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serenade

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#Love from Nowhere

 ここはどこかしら、と女性は首を傾げる。微かに記憶はある。夢のように遠い、はかないものだけれど、確かに自分は昔生きていて、娘がいて、そして…そう、死んだのだ。けれど死んだ後もどこかに…、わからない。頭を押さえていたら、誰かの気配を感じて顔を上げた。
「こんにちは」
 そこにいたのは、穏やかな雰囲気の女性。栗色の髪をゆったりと片側に結っている。
「…こんにちは…?」
 女性の背後には、無限に続くような花畑が続いていた。

 女性はトリシャといった。自分は、と名を告げようとして、名前が思い出せないことに気づいた女性に、トリシャはいいのよと首を振った。
「あなたはもっと先へいくといいわ。わたしは、ここで待っている人がいるのよ」
「…待っている人?」
「そう。わたしの、大好きな人」
 両手をあわせて嬉しそうに顔をほころばせるトリシャに、女性は、ああ、確かに自分も昔こういう感情を持っていて、こんな顔をしていたのだ、と思い出した。そしてひとつを思い出せば、記憶はあっという間に蘇り、そして駆け足で消えていった。
「…コゼット…」
 両手で顔を押さえる。
「…わたし、娘がいたの」
 小さな小さな声で言えば、トリシャは瞬きして、わたしもよ、と答える。
「でも、小さいうちに離れてしまって…」
「わたしもそう」
「同じなの?」
「そうね。同じかもしれない」
「心配だったでしょう」
「そうね。でも、本当には心配してないの。だって、あの子は私とあの人の子供だし、弟もいるし、それに…」
 風がざあっと鳴った。花びらが薄青い空に舞いあがる。
「手紙を、書いたから」
「手紙?」
「ええ。あの子を大事に思ってくれる、あのことを愛してくれる人の所に届きますようにって、書いたの。手紙が誰かの手元に届いたのはわかったわ。だから、大丈夫」
「…?」
 思い出した最後の記憶に女性は思う。死ぬ間際に病院から連れ出され、殆ど仮死状態だったとき、すまない、と言う声を聞いた。あれは父親の声だった気がする。何を謝るのだろう、確かに彼が気に病むようなことはあったけれど、それでも、
「…それでも私は幸せだったわ。あの子がいたもの」
 人を愛して、そしてその人の子を産んだ。それが幸せでないわけがないではないか。そして、愛することを教えてくれたのは、不器用な父親の背中だった。だから父は何も謝ることはないのだ。仕方のないことは、世の中にはある。
 そして、もうひとつ。仮死状態のままに閉じ込められていた場所から解放されて、魂がやっと檻から放たれたその刹那。檻をこじ開けてくれた若い男の声を思い出した。お返しします、と彼が言ったのは、あれは――
「ヴァイオリン…」
 呟けば、呼ばれたのに答えるようにヴァイオリンが出てきた。そうだ。それを覚えている。「ファンティーヌへ」と刻まれたそれは、そうだ、自分に捧げられたものだった。その奏でる音楽ごと。
 これを燃やす煙で、自分はここへ送られたのだと理解した。そうだ。死んだのだ。すべての符牒が揃った瞬間、かつてファンティーヌという女性であった意識はぱちんと弾けて消えてしまった。後に残るのはトリシャだけだ。
「おやすみなさい。ファンティーヌ」
 目を閉じて、まだこの先へは行けない女性は微笑む。待つのは苦ではない。約束を信じているから。

 その場所に時間の概念はなかった。だから、ファンティーヌが去ってからどれくらい経っていたのかなんて仮定は意味がなかった。花は咲き、空は晴れ、トリシャは今日もホーエンハイムを待つ。
「…やあ、」
 とにかく、どれくらいか待った頃。男は唐突にやってきた。別れた日からかわらない姿で。
「待たせた…」
 照れくさそうに笑いながら頭をかく。トリシャは両手を広げて、お帰りなさい、と笑みを浮かべる。
「おかえり?」
 はて、と首を傾げたホーエンハイムは、トリシャの後ろの花畑の中に、懐かしい我が家の姿を見つけて目をこすった。
「そうよ。私の所に。お帰りなさい、あなた」
 ホーエンハイムはぽつりと頭をかいて、まいった、と嬉しそうに笑うのだった。

 事ここに至るまでの顛末をかいつまんで聞きながら、トリシャは自分をここに縛り付けていた意識が薄らいでいくのを感じていた。とはいえやっともう一度逢えたのだ。話したいことはいくらでもあった。
「そういえば、エドやアルと会った? 大きくなっていたでしょう」
「うん? ああ…そうだなあ。ふたりとも俺の膝くらいしかなかったのになあ」
 こんなにちびっこかったのに、と親指と人差し指の間を少しあけて示す夫に、そんなに小さくないわよ、とトリシャは笑う。
「…大きくなってた。子供って、すごく早く大きくなるんだな」
 苦笑は少しさみしげだったけれど。それを、彼が知ることができてよかったとトリシャは思う。
「そうよ。すぐ大きくなるの。あなたはそれが見られなくて、残念だったわね」
「そうだな、惜しいことをした。エドなんかすんごく目つきが悪くなって…まったく誰に似たんだか。あんな顔しなきゃ可愛いのに」
 口をとがらせるのがおかしくて、トリシャは笑ってしまった。
「あの子はあなたにそっくりよ」
「ええ? そうかな…まあトリシャ似じゃないか。確かに」
 あの頑固なのも目つきが悪いのも俺の血かあ、とホーエンハイムはがっかり肩を落とす。
「ええそう。そっくりでかわいいわ」
 けれど澄ましたように妻は言うから。ホーエンハイムは、照れ隠しに笑うしかない。ここにやってこれたのは、あの長い長い旅を終えることができたのは、きっと彼女を愛したから。そして、彼女が愛してくれたから。
「…そうだ。そういえば、あの手紙。結局、使わなかったんだな」
 不意にその笑みがなりをひそめて、困ったように、少し泣きそうな顔でホーエンハイムは言った。何かあったら帰るから、きっと呼んでほしい。そう言って、あの無茶苦茶な錬金術の手紙を残して言ったのに。死んでしまったなんて。どうして助けを求めてくれなかったのだろう。
 しかし母は強しというのか。
「使ったわよ。あなたには出さなかっただけで」
「え…?!」
 それはどういう、と目を白黒させたら、ふふ、とトリシャは面白そうに笑うのだ。
「じゃ、じゃあ誰に? 俺じゃなくてか…!」
 おろおろするのを放っておいたら面白いことを言いだしそうだ。そう思ったけれど、トリシャは一応教えてやることにした。…もしかしたら、夫はここに来る前に出会っているかもしれないし。
「私も、誰だかわからないのよ」
「…は?」
「こう、書いたのよ? 『私の愛するあの子を愛するあなたへ』」
「…は?」
 ぽかんとする夫に、トリシャは伏せ目がちに教えてやる。
「エドが、心配で。あなたにそっくりだから」
「……」
 それはどういう意味なのだろう。ホーエンハイムは困ったように沈黙した。けれど、どうも責められるわけではなさそうだと妻を見守る。
「無茶ばっかりするのよ、あの子。でも、女の子でしょう。心配で…強がって、泣くのもできないような子なんだから」
「……」
作品名:serenade 作家名:スサ