【腐】伝えたい言葉【西ロマ】
イタリアが統一して百周年。その記念式典に招待したイギリスから、兄弟へプレゼントが渡された。美しい小瓶に入った薔薇色の液体は、彼の調合した薬だという。
どうみても怪しい物体に体が拒否反応を示す。何とか気持ちだけ貰ってお持ち帰り頂こうと考えるロマーノの耳に、信じられない言葉が響いた。
「飲んで寝れば、一日だけ過去に戻れる薬だ」
同様に拒否しようとしていたヴェネチアーノも体を強ばらせる。それだけイギリスの告げた言葉は魅惑的だった。
「……本当かな」
「さあな」
イギリスの去ったテラスで、兄弟は向かい合いながら手の中の小瓶に視線を落としている。どちらも過去に忘れがたい思い出があり、告げたい言葉もあった。
小瓶を夕日にかざせば、薔薇色の液体がワインの様に幾重もの味わいを持った色を見せる。
百年に一度しか咲かない花で作ったという彼自慢の薬。機械が地を走り空を飛ぶこの時代に、なんて眉唾ものなのだろう。そう思うのに、二人にはもしかしてと希望を持ってしまう充分な後悔があった。
あの日、去りゆく君に伝えたかった本当の想い。
あの日、口に出来なかった別れの言葉。
それを口に出来たら、今のこの苦しさが消えるのだろうか。
泣きたくなるような後悔から、救われるのだろうか。
「に、兄ちゃん……一緒に寝てもいい?」
式典を終えた夜、ヴェネチアーノは枕を抱えながらロマーノの部屋に入ってきた。勿論手には薔薇色の小瓶。何も言わず受け入れたロマーノの手にもまた、同じ色の小瓶があった。
「なんか……いい匂い……」
「これ、何の匂いなんだろうな」
二人揃ってベッドに座り、同時に瓶の蓋を開ける。とたん部屋には柔らかな花の香りが広がり、二人の緊張を溶かしてくれた。
「こんな怪しい薬より、この花のアロマ貰った方が嬉しい気がするぞコノヤロー……」
「あはは、今度イギリスに言ってみようか」
笑い合いったものの、視線は瓶に落ちていく。自然と部屋は静まり返り、沈黙が床を這っていた。
「……いっせーの、で」
「お、おう」
心を決めたヴェネチアーノが、そう提案してくる。恐ろしいものの止める気は無いロマーノは、彼の提案に同意した。
「いっせーの!」
……ごくり。
液体を飲み込む音が、部屋に小さく響く。一口飲んでしまえば腹は決まり、二人はそのまま最後まで飲みきった。飲み終えた後は無言でサイドテーブルに瓶を置き、同じタイミングで布団を掛ける。
眠気は直ぐに手を伸ばし、ロマーノ達の意識を闇へ引きずり込んでいった。
羽のように軽い体が、光のトンネルの中を飛ぶように降りていく。標識も何もない道であったが、それが何を意味しているのかロマーノには分かっていた。
降りながら冷静に視線を彷徨わせる。目指すはたった一つ。二人の……スペインのターニングポイントとなる、あの日への扉を探した。
それは直ぐに見つかる。くるりと体勢を翻し、ロマーノは血のように赤い扉へと飛び込んだ。
かき消されるような光の洪水を抜け、顔に風が吹き付ける。ようやく落下が止まり目を開ければ、目の前に広がる世界は泣きたくなるほど懐かしい風景だった。
スペインの屋敷近くの草原。そこに一人立っている。夕日が草木を染め上げ、遠くで鳴く鳥の声が悲しく響いていた。
(ああ、この日だ)
やり直したかった日にきちんとこられたことに安堵し、今より大分小さくなった体でロマーノは屋敷へ戻っていく。誰も居ない寂しい家に戻れば、スペインが机の上の皿を床に落としていた。
「なんでや!」
今にも飛びかかりそうな顔で、彼は激昂している。
オーストリアと袂を分かち、スペインはフランスと組む羽目になった。そのまま対立は続き、子分はどんどん減っていく。そしてオーストリアの手は、イタリアにも伸びていた。
勿論スペインは戦いを選ぶ。だが、財政に苦しむスペイン王は渋った。元々南イタリアには多額の金をつぎ込んだにも関わらず、結局争いの種にしかならない状態に頭を抱えていたのだ。
(確か、俺を眼鏡に売ろうとしていたんだっけ)
幾度目かも分からない提案をされ、スペインが荒れていた日に来られたようで内心安堵する。
当時の自分は離れるのが怖くて、何も言えなかった。彼を気遣う言葉も、傍に居たいという願いも。スペインもまた、何も言わなかった。当たり前のようにロマーノを守り戦った。
(……言わなくては)
殺気立つ背中は今ののんびりとしたスペインには無いもので、思わず進もうとした足が竦んでしまう。だがそれでは意味がないのだと、心の中で己を叱咤した。
「スペイン」
皿を割り、肩で息をしている男に声を掛ける。びくりと反応したスペインは、ゆっくりとこちらを振り向いた。
(ああ、こんな頃から、お前は……)
疲労の濃い顔を無理やり押さえ込み、『親分』の面を被っている男の前に立つ。今も昔も自分の前では弱みを見せない姿に、ロマーノの胸が痛んだ。
「ロマーノ、ここ掃除するからあっち行っとき」
取り繕った笑顔でスペインは親分を演じる。こんな自分には頼れないのは分かっている。それでも。
(愚痴を聞く位は出来る筈なんだ)
それすらもして貰えないのは悲しい。何もしてやれない自分に出来ることといえば、一つしかなかった。
「スペイン」
鈍感な親分様にきっちり伝わるよう、言葉は濁さずに伝える。今まで後悔し何度も脳内で練習していた言葉を、ロマーノはようやく唇に乗せた。
「俺を売れ」
「ロマーノ!」
「このままじゃ、お前はフランスの手下に成り下がる。俺を売って、少し休め」
何を言うのかとこちらに身を乗り出すスペインの頬を両手で挟み、まだ彼の腰程度にしかない身長に悔しさを覚える。こんな自分など、頼れる筈がない。なら、せめて足でまといにはなりたくなかった。
「……ロマーノ」
「お願いだ、エスパーニャ」
いつも彼がしてくれるように、スペインの頬を優しく撫でる。別れることは寂しくあるものの怖くはなかった。当時は不安だったが、長い時を生きる自分達はいつかまた会える日が来ると今なら信じられる。
傍に居ることにこだわるよりも、スペインの苦しみを止めることの方がロマーノには重要だった。
これで自分を捨て体勢を整えてくれえれば、未来、あんなにスペインが貧乏に苦しまずに済むかもしれない。南イタリアを奪われないよう戦い、そして取り返す為の戦いをしなくて済むのだから。
それが自分が居なくなるだけで叶うというのなら、喜んでオーストリアに行ける。スペインの為に何か出来るという喜びは、別離の寂しさを遥かに超えた。
「……あかんよ、ロマ。そんなん言うたらアカン」
暫く無言で見つめ合う。真剣な眼差しでこちらを見ていた男は、やがて涙を溢れさせながらそう言った。驚くロマーノを抱きしめ、ぎゅっと腕に力を込める。
「自分より俺が大切なんて……そんなこと言われたら、絶対手放せなくなるやろ」
どうみても怪しい物体に体が拒否反応を示す。何とか気持ちだけ貰ってお持ち帰り頂こうと考えるロマーノの耳に、信じられない言葉が響いた。
「飲んで寝れば、一日だけ過去に戻れる薬だ」
同様に拒否しようとしていたヴェネチアーノも体を強ばらせる。それだけイギリスの告げた言葉は魅惑的だった。
「……本当かな」
「さあな」
イギリスの去ったテラスで、兄弟は向かい合いながら手の中の小瓶に視線を落としている。どちらも過去に忘れがたい思い出があり、告げたい言葉もあった。
小瓶を夕日にかざせば、薔薇色の液体がワインの様に幾重もの味わいを持った色を見せる。
百年に一度しか咲かない花で作ったという彼自慢の薬。機械が地を走り空を飛ぶこの時代に、なんて眉唾ものなのだろう。そう思うのに、二人にはもしかしてと希望を持ってしまう充分な後悔があった。
あの日、去りゆく君に伝えたかった本当の想い。
あの日、口に出来なかった別れの言葉。
それを口に出来たら、今のこの苦しさが消えるのだろうか。
泣きたくなるような後悔から、救われるのだろうか。
「に、兄ちゃん……一緒に寝てもいい?」
式典を終えた夜、ヴェネチアーノは枕を抱えながらロマーノの部屋に入ってきた。勿論手には薔薇色の小瓶。何も言わず受け入れたロマーノの手にもまた、同じ色の小瓶があった。
「なんか……いい匂い……」
「これ、何の匂いなんだろうな」
二人揃ってベッドに座り、同時に瓶の蓋を開ける。とたん部屋には柔らかな花の香りが広がり、二人の緊張を溶かしてくれた。
「こんな怪しい薬より、この花のアロマ貰った方が嬉しい気がするぞコノヤロー……」
「あはは、今度イギリスに言ってみようか」
笑い合いったものの、視線は瓶に落ちていく。自然と部屋は静まり返り、沈黙が床を這っていた。
「……いっせーの、で」
「お、おう」
心を決めたヴェネチアーノが、そう提案してくる。恐ろしいものの止める気は無いロマーノは、彼の提案に同意した。
「いっせーの!」
……ごくり。
液体を飲み込む音が、部屋に小さく響く。一口飲んでしまえば腹は決まり、二人はそのまま最後まで飲みきった。飲み終えた後は無言でサイドテーブルに瓶を置き、同じタイミングで布団を掛ける。
眠気は直ぐに手を伸ばし、ロマーノ達の意識を闇へ引きずり込んでいった。
羽のように軽い体が、光のトンネルの中を飛ぶように降りていく。標識も何もない道であったが、それが何を意味しているのかロマーノには分かっていた。
降りながら冷静に視線を彷徨わせる。目指すはたった一つ。二人の……スペインのターニングポイントとなる、あの日への扉を探した。
それは直ぐに見つかる。くるりと体勢を翻し、ロマーノは血のように赤い扉へと飛び込んだ。
かき消されるような光の洪水を抜け、顔に風が吹き付ける。ようやく落下が止まり目を開ければ、目の前に広がる世界は泣きたくなるほど懐かしい風景だった。
スペインの屋敷近くの草原。そこに一人立っている。夕日が草木を染め上げ、遠くで鳴く鳥の声が悲しく響いていた。
(ああ、この日だ)
やり直したかった日にきちんとこられたことに安堵し、今より大分小さくなった体でロマーノは屋敷へ戻っていく。誰も居ない寂しい家に戻れば、スペインが机の上の皿を床に落としていた。
「なんでや!」
今にも飛びかかりそうな顔で、彼は激昂している。
オーストリアと袂を分かち、スペインはフランスと組む羽目になった。そのまま対立は続き、子分はどんどん減っていく。そしてオーストリアの手は、イタリアにも伸びていた。
勿論スペインは戦いを選ぶ。だが、財政に苦しむスペイン王は渋った。元々南イタリアには多額の金をつぎ込んだにも関わらず、結局争いの種にしかならない状態に頭を抱えていたのだ。
(確か、俺を眼鏡に売ろうとしていたんだっけ)
幾度目かも分からない提案をされ、スペインが荒れていた日に来られたようで内心安堵する。
当時の自分は離れるのが怖くて、何も言えなかった。彼を気遣う言葉も、傍に居たいという願いも。スペインもまた、何も言わなかった。当たり前のようにロマーノを守り戦った。
(……言わなくては)
殺気立つ背中は今ののんびりとしたスペインには無いもので、思わず進もうとした足が竦んでしまう。だがそれでは意味がないのだと、心の中で己を叱咤した。
「スペイン」
皿を割り、肩で息をしている男に声を掛ける。びくりと反応したスペインは、ゆっくりとこちらを振り向いた。
(ああ、こんな頃から、お前は……)
疲労の濃い顔を無理やり押さえ込み、『親分』の面を被っている男の前に立つ。今も昔も自分の前では弱みを見せない姿に、ロマーノの胸が痛んだ。
「ロマーノ、ここ掃除するからあっち行っとき」
取り繕った笑顔でスペインは親分を演じる。こんな自分には頼れないのは分かっている。それでも。
(愚痴を聞く位は出来る筈なんだ)
それすらもして貰えないのは悲しい。何もしてやれない自分に出来ることといえば、一つしかなかった。
「スペイン」
鈍感な親分様にきっちり伝わるよう、言葉は濁さずに伝える。今まで後悔し何度も脳内で練習していた言葉を、ロマーノはようやく唇に乗せた。
「俺を売れ」
「ロマーノ!」
「このままじゃ、お前はフランスの手下に成り下がる。俺を売って、少し休め」
何を言うのかとこちらに身を乗り出すスペインの頬を両手で挟み、まだ彼の腰程度にしかない身長に悔しさを覚える。こんな自分など、頼れる筈がない。なら、せめて足でまといにはなりたくなかった。
「……ロマーノ」
「お願いだ、エスパーニャ」
いつも彼がしてくれるように、スペインの頬を優しく撫でる。別れることは寂しくあるものの怖くはなかった。当時は不安だったが、長い時を生きる自分達はいつかまた会える日が来ると今なら信じられる。
傍に居ることにこだわるよりも、スペインの苦しみを止めることの方がロマーノには重要だった。
これで自分を捨て体勢を整えてくれえれば、未来、あんなにスペインが貧乏に苦しまずに済むかもしれない。南イタリアを奪われないよう戦い、そして取り返す為の戦いをしなくて済むのだから。
それが自分が居なくなるだけで叶うというのなら、喜んでオーストリアに行ける。スペインの為に何か出来るという喜びは、別離の寂しさを遥かに超えた。
「……あかんよ、ロマ。そんなん言うたらアカン」
暫く無言で見つめ合う。真剣な眼差しでこちらを見ていた男は、やがて涙を溢れさせながらそう言った。驚くロマーノを抱きしめ、ぎゅっと腕に力を込める。
「自分より俺が大切なんて……そんなこと言われたら、絶対手放せなくなるやろ」
作品名:【腐】伝えたい言葉【西ロマ】 作家名:あやもり