蝙蝠、家路を辿る。
しみじみと語るアルフレッドの姿がなんだかおかしくてブルースは思わず吹き出してしまった。
だって、まるで…育児に悪戦苦闘する親に見えて仕方なかったから。しかも外見からしてどちらかと言えばおじいちゃんと孫になるのにと、少しずれたギャップが更に面白く感じた。
「? どうなさったんですか? ブルース様」
「いいや…すまない。今まで僕が見てきたアルフレッドが親、と言うよりは親身になってくれる執事と思っていたからかな…子育てに励んでいる親みたいな感じで」
はあ…とアルフレッドが相槌を打つのを見て、添えられたクッキーを一口かじる。バターをたっぷり使っていたそれは濃厚な味がして美味しい。
他愛のない話をしていて楽しいがそろそろ本題に入ろうと、2枚目のクッキーを口に運んだ後、ブルースは考えた。この空白の期間、自分がどこにいたのか明かそうと。実際、ここに来た理由もそれを話す為でもあったのだから。
「実は…」
雑談をしていたから緊張が解れたとばかり思っていたがいざ、切り出そうとすると金縛りにあったように体が硬直する。そんなブルースの様子を察したのか、アルフレッドも先程の和やかムードとは一変し目の色を変え、真面目に聞く態勢に入る。
「…生きていたのは見ればわかる通りだ。事前に用意していた脱出装置を使ったんだ。バットマンとしての自分とブルース・ウェインとしての僕を切り離すにはこれしかなかったんだけど、誤解を招いた事はすまないと思っている。それで、実は…その…この1年近くまでは――」
「以前、」
話の途中でアルフレッドが遮る。絞り出したように発されたその声は僅かに震えている風にも感じられた。
「以前…貴方をイタリアのカフェで見かけたんです」
その事を聞いてブルースの脳裏にイタリアのカフェでの事が思い出される。まさか、あそこにアルフレッドも居たとは…少々の驚きにブルースは目を丸くさせた。
「…いつなんだ」
「つい先月です。あの時、私は心の底から安心したんです…貴方が、ブルース様が生きていると知って本当に…」
先月というと丁度セリーナと久々に故郷へ戻るかと話をしていた時だろうか。1ヶ月の間、カフェはあそこの1回っきりだったから間違いないであろう。
「ブルース様、私は貴方に謝りたかった…レイチェル様の事で貴方を苦しめてしまった事や、私は執事として大きな過ちを犯した…一番傷つけてはならない貴方様を傷つけた」
「アルフレッド…」
涙ぐみながらアルフレッドが言う。
「ブルース様…本当に申し訳ありません…謝って許されない事は重々承知です。ですが…最後の私の勝手で謝らせてください…」
アルフレッドの顔に両手が覆われる。ブルースはそんな彼の両手をそっと自身の方に寄せる。涙で湿った老人の温かい手。
レイチェルという単語を聞いてふと思い出す。彼との信頼関係が崩れた原因があれがそうだと言っても過言ではない。嘘をつかれ、裏切られたと勝手に勘違いして、悔しかったというのもあったが一番は彼女がハーヴィーを選んだというショッキングな事実の方が大きかった。それに今振り返ればあの嘘は、ブルースを傷付けまいとアルフレッドが必死に守っていた意味のあるものだ。明かしたのは、ブルースが身を滅ぼしてまでバットマンを続けようとするのを制止する最後の手段だったに違いない。冷静になった今ならわかる。だから自分のした行為は所謂『八つ当たり』に過ぎない。それをアルフレッドは自分が去ってからもずっと悔やんでいただなんて――。
彼を苦しめていたのは他でもない――自分だ。
「謝るのは僕の方だ…本当にすまない」
ブルースは震えた声でそう謝罪し、元執事のその両手を頑なに握り締めた。
***
トーマス&マーサ・ウェイン孤児院を出る時、ブルースはアルフレッドに見送られながら行った。
「ここにはまた来るよ」
「はい」
「元気にしていてくれよ」
「はい」
一歩、踏み出す。
「じゃあ…」
ふと、言い忘れていたことを思い出し、あぁ、そうだと付け加える。
「彼…ジョン・ブレイクにも宜しくと伝えてくれないか」
自分の跡を継がせた元熱血警官の名を口にして。アルフレッドは一瞬、目を大きく見開かせたがすぐに微笑みながら「…はい」と返した。
そうして今度こそ本当に背を向けて、ブルースは我が家だった場所を後にした。
END