二人の学級委員長
折角午後からは委員会だと思ったのに、三郎が学園長先生に呼ばれてそれが中止になった。だから久しぶりに一人で町へと向かうことにする。同室の親友の兵助は豆腐作りに勤しむというし、八左ヱ門は安定の委員会活動。雷蔵も図書当番らしい。暇なのは自分だけだ。
庄左ヱ門や彦四郎を誘って、とも考えたが、彼らにも同い年の友人たちと遊ぶ時間は必要だろう。声はかけずに行くことにした。
忍術学園とは違う種類の活気に包まれた町は楽しかった。買う予定も無い筆を眺めたり、切れそうな髪紐の予備を買い求めたり。小腹が空けば団子屋へと寄った。
お茶を飲みながら考える。三郎が呼ばれた、学園長先生の用件とはなんだろう。
委員会単位ではなく三郎個人が呼ばれたのだから自分には関係ないが、どうしても気になって仕方がなかった。一生徒である自分たちが学園の最高責任者である学園町先生から直に呼ばれることは珍しい。だがそれを尋ねるのは失礼だろう、いくら自分たちが恋仲であったとしても。
恋仲。
その単語を思い浮かべるたび、いったいいつまで続けていられるのだろうと勘右衛門はつい考えてしまう。
彼も自分も男で、忍で。常に死と隣り合わせだからこそ跡を残さなければならない立場だと、いわれてしまえば否定の言葉はない。
(特にあいつは、各方面から期待されてるし)
優れた才能を残していきたいと思うのは当然だ。鉢屋の家も学園も、『鉢屋三郎』という個人が持つ才能と技術を次代へ継がせようと躍起になっているのは知っている。
なのに彼は自分を選んだ。子どもを残せない自分を。
『お前は何も気にすることはない』
と彼は言うけれど、でもそういうわけにはいかないのだった。自分だって彼が好きで大事なのだから。彼が本来向けられるべきでは無い中傷を受けているところなど見過ごせない。
学園に戻ったら機をみてそこら辺の話しをしないと。勘右衛門は重くなった身体を糸で操るような心持で帰路についた。
入門表に名前を書き入れる。門を潜った途端、騒がしさが一気に襲い掛かってきた。どうやら誰かが争っているらしい。
こういう場合は大抵六年生の名物犬猿コンビか四年のアイドル達が原因なのだが、なじみのある声がそうでは無いと告げていた。
「だから八左が全部悪い!」
「わかってる、だから謝ってるんだろうが!」
「嘘こけ、八左ヱ門ニワトリ追いかけてどっか行っちゃったぞ!」
「……い、いま雷蔵が探してくるから」
わーわーと囃し立てるような声がする。そちらのほうを向けば藍色の衣を纏った人間が七、八人固まっていた。どれもこれもよく見知った顔だ。そこの中心ではこれまたよく見知った恋人と親友が言い争いをしていて、というか一方的に親友が切れていて、何が起こったのかと慌ててそちらへ走り寄る。
「みんなどうしたの?」
「勘ちゃん」
「勘」
「級長」
「勘右衛門」
「尾浜」
「学級委員長」
口々に言われてどれが誰だかわからない。しかしその中でも途方にくれた三郎が口にした『勘右衛門』と、語気が荒い兵助の『勘ちゃん』だけはきちんと耳に届いていた。
「なに。い組とろ組の喧嘩?」
「そんなもんだ」
「え」
場を茶化すつもりだった言葉に重い肯定が返される。作り笑顔のまま勘右衛門が固まった。
発端は生物委員会のニワトリで、逃げ出したニワトリが兵助の豆腐をつついてしまったことが全ての原因らしい。怒った兵助と謝り倒す八左ヱ門、しかしそこに通りかかったろ組の生徒が『たかだか豆腐くらい』と呟いたせいで事態が大きくなってしまった。
常々兵助の豆腐愛を語られ若干洗脳されつつあるい組の生徒としては、兵助の豆腐を台無しにするだなんてとんでもないことだと思っている。彼が怒り狂ってその場でニワトリを捌いたとしてもおかしくない、くらいの認識がある。一方でろ組の生徒にしてみれば、豆腐はまた作り直せばいいだけだという気持ちがある。それよりも八左ヱ門のためにニワトリを捕まえてやれよくらいは考えるかもしれない。
みんな組思い、級友思いの良い人間たちなのだ。────それが今回裏目に出た。
悪化する事態に参って、収集をつけるため学級委員長である三郎が借り出されたのだろう。彼の疲れたような笑顔がそれを物語っていた。
「勘右衛門」
「わかってる。……兵助」
「いくら勘ちゃん相手でも俺は譲らないからな」
「いいよ譲らなくて。でも怒ってるのは豆腐を台無しにされたからじゃないんだろ?」
「……まぁ」
長い付き合いだからこそわかる。豆腐作りを邪魔されたときの兵助は怖いが、それだけで関係の無い三郎にくってかかるほど短気な人間ではない。兵助は悲しいのだと勘右衛門はわかっていた。
「誰かにあげる気だったの?」
「……伊助たちに。伊助と三郎次が食べたいと、言ってくれたから」
「そっか」
「それは悪いことをしたな……」
兵助が白状したそれに、下級生を大事にする性質である三郎が本心から謝罪の言葉を口にする。周りにもそれがわかったのだろう。いきり立っていたい組もろ組もわずかに冷静さを取り戻した。
「八左ヱ門は?」
「謝罪の最中にまた逃げ出したニワトリを追ってった。いま雷蔵が連れ戻しに行ってる」
「そっか。なぁ、八左ヱ門だってたぶん、後輩達のためにニワトリ追いかけてるんだよ。あいつが生き物逃がすようなヘマするわけないもんね?」
「まぁ、仮にも委員長代理だしな」
「兵助と同じだよ。後輩のために頑張ってるんだから、今日は大目に見てあげて」
ね、と小首を傾げればその場の空気が緩く揺れる。誰も彼も勘右衛門の言葉を聞いて、それもそうだと心動かされていた。組の垣根を越えて一つになった、『許してやれよ』という思いが兵助を包む。
そっと三郎が勘右衛門の真横に移動した。
「兵助、うちの組の八左ヱ門が迷惑をかけた。作り直しは私も手伝うから、許してくれないだろうか」
下手に出た三郎というのは、ずるい。普段なんでもそつなくこなし率先して面倒ごとを片付けている彼にこういう態度を取られると、大抵の生徒は不必要な罪悪感に襲われ許さざるを得なくなってしまう。
このときの兵助もまさにそうだった。常日頃、個人的にかけられている迷惑なんてぽんと忘れ去る。更には自分のところの級長まで淡い笑顔を浮かべ、不安を滲ませながら見つめてくるのだから────逃げ場はすでに、なくなっていた。
「こ、今回だけだからな……!」
「「ありがとう兵助!」」
学級委員長委員会二人の声が、下げられた頭が綺麗に揃う。同時に周囲の生徒達の気も緩みわぁっと歓声が上がった。
「いやー、迷惑かけたなー久々知」
「作るの俺も手伝う」
「っていうか竹谷まだ戻らないの?」
「ニワトリどこまで逃げたんだろうな」
「生物逃がしすぎだろ」
「一年ばっかだもんな、やっぱり大変なんだって」
あっという間に騒がしくなる周囲。どうやら組同士の対立化は間逃れたらしいと知って、三郎と二人ほっと息をついた。