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あの夏、あの日、僕たちは

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 心配そうな表情で千歳が消えたドアを見つめる小石川に、ユウジがそらそうや、と笑う。
「千歳やで。あの外見詐欺の童貞や。大方「このドキドキは何?私こんなの初めて!怖い!」なんて乙女思考に陥っとんのやろ」
「いやぁなにそのオトメン、ほんまにそうなら千歳くんきゃわいいわ!」
 面白がるダブルスを銀が諌めつつ、
「まあ、実際戸惑いはあるんやろ。謙也は分かりやすいから」
 と微笑む。
「あら、銀さんにまでモロばれ?」
「そらなあ……」
 思い返すのは、気付けば千歳を追いかけている、謙也の眼だ。
 なんちゅー顔すんのや、と、誰もが思う程、嬉しそうで、情けなくて、寂しそうで、苦しそうで、幸せそうで、熱に浮かされたような、そんな眼差し。千歳が喋りかけると、いつでも金色の髪が眩しい彼は、殊更輝くように笑う。千歳のサボり癖で1組との合同授業や部活に姿がないと、無意識に頭を巡らせあの長身を探す姿は、さしずめ忠犬のようでもあり。千歳の過去や千歳自身を知りたくて知りたくて仕方がない癖に、平気な振りをして、何でもない風を装って、けれど切なげに千歳を見つめる。
「ほんま、こっちがむず痒くなるわ」
「見ててじれったいのよねぇ」
「千歳も自覚なしやし」
 ぼけっとしている割に勘の冴える千歳は、謙也の気持ちにも薄々気付いているのだろう。最近目に見えて、謙也を避け初めている。あからさまな態度ではないが、謙也と二人きりになるのを回避しようと、部活や帰り道は大抵白石か銀、金太郎あたりと一緒にいるのだ。しかしその行為は無意識に、千歳が謙也を意識しているからに他ならない。白石たちは、4月からの短い付き合いで、千歳の謙也に対する態度をそう解釈していた。
 長身もさることながら、目鼻立ちのはっきりとした顔立ちは精悍だ。反面、くるりとした大きな目と、眉や目尻のくにゃりと垂れ下がる柔らかな笑顔が、どこか幼さを残す。千歳千里という少年は、人形めいた美しさを持つ白石とはまた違った部類の男前だった。朗らかでのんびりとした喋り口は、口の悪いユウジや財前と比べて遥かに取っ付きやすい。授業は頻繁にサボる割に成績は悪くはなく、テニスの腕前は相当──つまる所、千歳はモテるのだ。
 転校してきてからのこの4ヶ月という短い期間で、彼は何度告白を受けたのだろう。しかし普段ふわふわと何を考えているかイマイチ分からない、真面目な話題や白石の小言は笑って誤魔化すような適当さを持つ彼は、この時ばかりは流石は九州男児と賞賛したくなる程に男らしくなる。
「今の俺には、テニス以上に夢中になれるモンが無か。だからあんたとは付き合えん。すまん」
 たまたま告白シーンを見かけたユウジの報告(ものまね付き)曰く、すっぱりきっぱり言い放ったそうだ。例えばそれが、学年一可愛いと評判の女の子でも、自分に気があるという噂の前々からあった女の子でも、誰を前にしても、態度も何も、浮かれるどころか顔色ひとつ変えずに接する。この短い期間で度々耳にする、こと恋愛事に関する彼のエピソードでわかったことは、いっそ冷徹なまでに、千歳千里は、他人に興味がないのだということだ。
 そんな彼が、謙也の想いを意識し、避け、戸惑う。
 千歳の中で確実に、良くも悪くも忍足謙也が「特別枠」なのだと、白石達は察していた。当の本人は、それを全くもって、微塵も気付いていないようだったが。

「謙也は俺見習って積極的になったらええねん。千歳も俺見習って正直になったらええねん。なー、小春ー」
「触んなや一氏」
「こ、小春ぅ……!」
 ユウジが行儀悪く耳をほじくりながら、もう片方の手で小春の肩をしかと抱き寄せる。が、肝心の小春には冷たくあしらわれ。そんないつものやりとりを始めたダブルスに、小石川が苦笑しながら「ほな、そろそろ財前起こしてくるわ」と立ち上がった。自分もいい加減に赤毛のゴンタクレの元へ向かわねば。何せ奴を起こすのは一苦労なのだから──と、来たる大仕事に向けコキリと右手の指を鳴らしながら白石は、ユウジの言うとおり、謙也と千歳は自分の気持ちにもう少し素直になってもいいのに、と考える。

(謙也は千歳の気持ちなんかもやもや考え込まんで、さっさと告白して、さっさと玉砕なり付き合うなりしたらええねん。そんで千歳は謙也をこっぴどく振るなり付き合うなりして、橘くんやら獅子楽やら九州やら、自分の「過去」への執着に気付いたらええねん。でもって、さっさと忘れてしもたらええねん。そんで「橘くんとのテニス」やら「橘くんとのためのテニス」やのうて、「自分のテニス」をやればええんや)

 謙也は自分の気持ちを押し付けることをしない。相手の想いや気持ちばかりを優先的に考え悩み、そして実際に相手の想いや気持ちの方を尊重する。
その優しさは彼の美徳であるが、過ぎれば損な性分だ。
 千歳は他人に踏み込まれることを良しとせず、だから他人に甘えられない。彼が心を唯一許していたのであろう相手は、橘桔平だ。彼の中で、かの少年の存在はきっと、あまりに大きい。大き過ぎるのだ。だから彼は、テニスにも、思い出にも、気持ちにも、橘桔平、その人以外を見出すことが出来ないのだ、と、思う。
「ま、ここはひとつ、スピードスターらしく、ヘタレ返上!っちゅーことで、謙也がちゃっちゃか動けばええワケや。チャンスはくれてやったしな」
「鴨が葱背負って……っちゅーか、でっかいにゃんこがポカリ持ってったわけやしね」
 うふふ、と、相変わらず底の読めない笑みを浮かべる小春の言葉に、せや、と、部活中テニスコートの外で女子が黄色い悲鳴を上げる、自信に満ち溢れた笑みを浮かべる。(財前やユウジ曰く、「渾身のドヤ顔」だそうな)
「謙也が動けば、でっかいにゃんこは自分の気持ちに気づいて、橘くん追いかけるようなテニスなんかしなくなる。そうしたら、どうせ両想いなんやし、ごちゃごちゃ悩んで試合中に集中力失くすスピードスターもおらんようになる。こいつらの無駄無駄なムラが無くなった四天宝寺は、ますますパーフェクトに近づくわけや」
「何や今更っちゅー気がせんでもないけど」
「もう全国ベスト8やしなあ」
「我ながら完っ璧な計画や。パーフェクトや」
「聞いてへんし」
「んーーーっ、エクスタシーーー!」
「ほんま蔵リン顔はええのになぁ」
「残念なイケメンやな。って銀、拝むんやない。いくら色んな所が末期だからってまだ拝むんやない」
 仁王立ちで低く笑い出した白石に、周りのメンバーもわあわあと騒ぎつつ。なんだかんだ四天宝寺中学男子テニス部一同、ふたりの行く末に気を揉んでいるのだ。

 あの不器用なまでにどこまでも真っ直ぐなスピードスターと、朗らかに笑いながらも未だ見えない壁を作ろうとしている大男のふたりは、彼らにとって、「仲間」に他ならないのだから。
(さっさと幸せになってまえ)
 これがテニス部レギュラー一同共通の、ふたりに対する所感である。




(あの夏、あの日、僕らが焼いたおせっかい、あなたの背中を押すことが、出来たのでしょうか)
(あなたの、今の「幸せ」に、繋がっていますか?)
作品名:あの夏、あの日、僕たちは 作家名:のん