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あの夏、あの日、僕たちは 2

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千歳千里は覚えている。彼と初めて会った日のことを。



 始まりは中学2年の秋、千歳が部活の紅白戦で右目を負傷した頃のことである。
 悪化する一方の視力、距離感や平衡感覚を掴むこともままならず、まともにテニスの出来なくなった千歳は、そのまま獅子楽中テニス部を去った。それから幾日もしない間に、千歳と共に「二翼」と称された親友もまた、テニス部から、否、獅子楽から、九州から──千歳の前から、姿を消すこととなる。彼は千歳の認めた唯一無二の片翼でありながら、千歳の今後のテニス人生を脅かす傷を作り出した、試合相手でもあった。パートナーである筈の千歳という翼を、図らずももいでしまったその試合の結末に対し、彼は己の翼をも共に封じ千歳の元を去るという、何とも彼らしい不器用な形で「けじめ」をつけたのである。
 強固であった筈の翼の名は、こうしていとも容易く、敢然たる姿で羽ばたいていた南の地の空から墜えて消えたのだった。
 一方で、翼を失えど、公の場で翔ける空が無くなれど、たとえ「二翼」の二つ名を失おうと、千歳の選択肢に「テニスを辞める」という答えなど存在しない。ただ一人になってからも、狭くなった視界で、拙いバランス感覚で、がむしゃらにラケットを振るい、夢中でボールを追い掛けていた。
 元々運動神経は良い方だ。小学校半ばからの、沢山の練習と試合を重ねた経験値の高さのお陰で、相手の体勢や打球のインパクト音から返球の強さやコースも予想がつく。身体は、細胞は、すぐにテニス「らしい」動きを思い出していった。けれどそれは、矢張り二翼と称された頃と同じ程に、と言うには遠い。元のように動くためには、「あの頃」に戻るためには、何かこの目の代わりになる「力」をつけなければならない。千歳は古今東西数多のテニスプレーヤーの試合映像を何度も観返しては分析を繰り返した。
 そうして片目の視力、というハンデを補うべくして見つけたものは、己の限界を超えた者のみが到達できるという場所。過去に対戦した記憶をもとに、体が無意識に経験した技を繰り出す「力」。「無我の境地」と呼ばれる、それだった。
(こいつを完璧に自分のものにしたら、テニスば続けられる──)
 そこからの千歳は、異常なまでの執着を持って無我を追い求めた。テニスに関する書物だけでは飽き足らず、医学書までも読み漁り、大学病院に通い詰めてはテニスをしながら脳波を調べ。実に3日間、不眠不休で、周りが止めるのも構わず、身体が悲鳴を上げるのにも狂気と呼べる程の強い意思で無視を決め込み、テニスを続けた。混濁し朦朧とする意識の中、やっとの思いで辿り着いた、無我のその奥。

(テニスば、続けられる──)

 同じ頃、眼の治療のために千歳は担当医師と両親から、大阪の著名な眼科医を勧められていた。大黒柱である父親が陶芸家である千歳家の台所事情は、決して楽なものではない。そう重々承知している千歳は、失明の恐れまではない自身の眼の具合も、視力に代わって手に入れようとしている無我への絶対の自信もあり、当初はその提案に渋っていた。
 考えが変わったのは、眼の治療と無我の追随で、家と大学病院の往復が日課となっていた千歳が久方振りにテニスコートに顔を出した、春も近い冬のある日のことだ。
 久しぶり、なんて笑いながら足を踏み入れた、満足に飛べない翼に、好奇の目が注がれた。耳に入るのは、憐れみ、同情、それから僅かながらの、嘲笑。気にせず部活に顔を出してみれば、どうしたって思い出す、ふたつの翼が羽ばたいていた夏の陰が瞼の裏にちらつく。気付いたことは、九州という地に、千歳を、二翼を知る者があまりに多いという事実だった。この地には、あまりにも強く二翼の記憶が刻み付いているという事実。
 どの道、親友以上に千歳の心を震わせるような選手は最早この場所には居ない。暫くしてから千歳は、「その地でテニスが一番強い学校に通う」ことを条件として、医師と父母の勧めを承諾したのだった。

 4月。
 千歳が生まれ育った熊本とはまた違う、独特の訛りの強いその土地に、千歳は降り立った。此処はあの場所とは違い、人々の喋り方も、歩く速度も、時間の流れすらも早いように感じる。生来のんびりとした気性の千歳は、新大阪駅を降りてから新しい住まいである学生寮に向かうまでの道すがら、何度も人にぶつかって、何度も人並みに流されて、早くもこの土地の持つ空気に気圧されていた。
(否。ここでまた一から、俺んテニスばやったるって、決めたけんね。負けてられんたい)
 せかせかと進むこの街の時間は、怯む間すら与えぬと言うように流れていく。

 大阪は四天宝寺中学、新学期。最終学年である、千歳の新たな級友たちにとって、面子は変われど既に二年間の学校生活で周りは見知った者ばかりという中、矢張り転校生は物珍しい。更に千歳はその日本人離れした長身と顔立ちから、非常に目立つ。中学生と言えどご多聞に漏れず饒舌な者の多いこの学校で、とにかく休む間もなく千歳は話しかけられた。帰りのHRが終わり、尚も質問責めにしようとするクラスメイトたちの気配を察した千歳は、生まれて初めて、と言える程のスピードでもって教室を飛び出した。朝からぽんぽんとテンポ良く続く早口の応酬にぐったりとした千歳が向かったのは、テニス部である。
 そこで顧問の渡邉を通して紹介をされたレギュラー陣の中に、一際鮮やかな、色があった。
 人形めいた顔立ちの部長、つんつんとした頭の副部長、千歳と並ぶ程の長身の剃髪の少年、頬を(何故か)紅潮させている坊主頭に眼鏡の少年、その少年にくっつきながら(何故か)千歳を威嚇するバンダナが特徴的な少年、耳にじゃらじゃらと色とりどりのピアスをつけた目つきの鋭い少年。そして、陽の光にきらきらと反射する、千歳が好きな花と同じ色をした、髪。

「……桔平……」

「最後にこいつが、」
「浪速のスピードスター、忍足謙也とは俺のことや!宜しくな!」
 にかっ、と音が聞こえてくるような、太陽もかくやと眩しい笑顔が飛び込んできて、
(ああ、全然別人やね)
 千歳は自嘲した。

 親友の笑みは、あんなに幼いものではない。どこか大人びていて、自信に溢れた、不敵なものだった。親友の笑顔も、確かに陽の光のようだったけれど、彼のような、春の日差しの如く暖かなものではない。夏の陽のように、強く、熱く、眩しいものだった。

 失望した。一人で一から、と、決意して大阪まで来たと言うのに。親友への想いは、羨望は、記憶は、一種の恋にも似た感情は、ひとつも自分の中で消化されていなかったのだ。
(俺は、まだ、桔平を)
 忍足謙也という少年を通して、橘桔平が己の中で未だ強く息衝いているという事実に、千歳は気付いてしまった。
(──こいつの、せいだ)
 唇を、きゅっと血が滲む程噛み締めて、目の奥がじんわりと熱くなるのを懸命に耐えながら謙也を睨んだ。(睨む、という表現が正しかったかは分からない。そこから溢れそうな水分を、我慢するので精一杯だったから。)謙也は、きらきらとした髪と笑顔で、「どないした?」と、首を傾げるだけだった。