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あの夏、あの日、僕たちは 3

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 うーん、と千歳はひとつ唸った。
「それでも、」
 千歳の中では、スピードスターの本来の意味は、最早関係ないのである。
「それでも謙也くんは、星んごた。」
 だから笑ってそう伝えてみせれば、謙也の顔がみるみる赤くなっていく。昨日までならむずむずとした胸の奥が、何故か今は、ほんのりと暖かかった。
「謙也くんは、凄か。星んごたる。」
「お、おん、」
「俺がテニスしたかち気持ちも、怖かち気持ちも、全部分かっとって、俺のしたかち事、叶えてくれたけん。星んごた。」
「……それは、」
 謙也が、ぴたりと立ち止まった。
「謙也くん?」
 一歩先を踏み出した千歳は、そんな謙也を訝しみ振り返る。
「それは、俺がお前んこと、見とったからやろ」
「謙也くん、」
 夕日に照らされているせいばかりではない。謙也の顔が、熱病に浮かされたように赤い。形の良い唇は何かを言いあぐねているのか、ぱくぱくと開いては閉じて、噛み締める、そんな運動を繰り返していた。何ともおちつきのない、忙しない様子の謙也だったが、その目が逸らされることはない。強い決意を秘めた、真摯な眼差し。
 そんな何かひとつの意志を持った視線を受けて、自然千歳の頬も熱を持った。

「好きです。付き合うてください」

 たっぷり時間を置いて、謙也の低く、けれどはっきり通る声が、誰もいない静かな道に響いた。
 沈黙が落ちる。
「ち、千歳…?」
 緊張のあまり固まっていた謙也も、千歳が何の反応も示さないのに流石に不安になったのか、恐る恐るといった様子で声をかけてくる。
「……謙也くん」
 やっとの思いで言葉を口にした千歳は、矢張り朱に染まった頬のまま、そわそわ視線を彷徨わせた。
「お、おう、」
「謙也くん」
 やがて覚悟を決めた瞳が、ひたりと謙也を捉える。
「……うん、」
「謙也、くん、」
「うん」
「謙也、」
「……千歳」
 星に願いを唱えるように、千歳は、星のようだと言った謙也の名を紡ぐ。

「好いとう」
「っ、」
「俺も、好きです」

 それまでただの一度も意識などしたことが無かったというのに、彼の名を舌に乗せ音にすれば、「その言葉」が、いとも自然に口をついて出た。
「好きです」
 震えた声で呟いた、次の瞬間、千歳は自分よりずっと背の低い、その割にしっかり筋肉のついた、思いの外に逞しい身体の、腕の中にいた。
「……ぬくか」
「嘘つけ。ほんとは暑いんやろ」
「そぎゃん思っちょるんなら、離してくれても良かよ?」
「……嫌」
「俺も。暑かばってん、ぬくいのも本当やけん」
 こうして抱きしめられて、千歳は、己の胸の内にずっと隠されていたある想いに気が付いた。
 それは、自分もきっと、ずっと謙也に触れたかったのだということ。彼の肌に、彼の心に、触れたかった。同じ髪の色だからと親友と重ねては、存在を意識して、目で追って、髪に触れて、思考が絡まっていたのは、きっと。
(きっと俺は、最初から謙也くんのこと、)
きっかけは、確かにその光色だった。けれど、

(「浪速のスピードスター、忍足謙也とは俺のことや!宜しくな!」)

 けれどきっと最初から、千歳は謙也に、恋をしていた。

「謙也くんは、やっぱり星んごた」
「……何や、それ」
「テニスも、「これ」も、俺がしたかっち思っちょること、全部全部叶えよる」
「そんな言うたら自分こそ、俺ん願い叶えてしもた」
「俺も、お星様んごた?」
「おう。いっとう綺麗なお星さんや」
「謙也くん、クサかー」
「なっ、」
「ばってん、嬉しかよ」
「……っ一言余計なんや、アホ」
 ふたりで笑いあった。照れ臭さで身体中赤く染めながら手を繋いで、仲間たちの元へと向かう。彼らはきっと冷やかして、面白がって、からかってくるのだろう。けれど誰より喜んでくれると、知っているから気にしない。

(今度は、自分の気持ちに嘘をつかん。

桔平への想いも、
テニスへの想いも、
四天宝寺への想いも、
謙也くんへの、想いも。)

 大阪へ戻ったら、今まで我慢していた分、もっともっとテニスで暴れてやろう。それから謙也に、もっともっと好きだと言おう。もっともっと抱きしめて、それから抱きしめてもらおう。
 この夏の向こうの日々に思いを馳せて、千歳は謙也の手を強く握った。もっと強い力で握り返されて、指先がジンと痛んだけれど、構わなかった。




(あの夏、あの日、僕たちは)
(格好悪く、がむしゃらに、必死になって、恋をしていました)