あの夏、あの日、僕たちは 3
全国大会、準決勝。結果は、3-1で青春学園が勝利を収めた。
(終わった…。ばってん、)
手塚国光は、圧倒的な強さで千歳を退けた。無我を纏い、百錬も才気をも繰り出した手塚に敗れた千歳だったが、だからこそ己が目指すべき高みはまだまだ無限にあるのだと知った。
四天宝寺の夏が終わった。渡邉が
「お前らよお頑張った!流しソーメン食わしたる!」
と千歳の肩を叩きながら笑う。ソーメンかい、ビミョーや、と文句を言いながらもしっかり渡邉と連れ立って歩く部員たちの後ろを、千歳はゆっくりと着いていった。
「千歳」
途中、低く耳触りの良い、試合中のものとは違う穏やかな声に呼び止められる。
「桔平」
「お疲れ」
そこには、千歳が着用しているものと同じく、白いシャツに黒いスラックスという、面白みの欠片もない制服を着用した、親友の姿があった。この形の制服──とくに夏服ならばなおのこと、女子のそれやブレザーと違い、どこの学校もそう代わり映えはしない。かつて二人で通った中学もまた、同じ「学ラン」と呼ばれる制服だった。だから千歳は、自分がまだ1年前のあの夏に居るかのような既視感を覚えたのだけれど、あの頃よりずっと短くなった親友の髪を見てすぐに我に返る。
「見とったとや?」
「ああ。手塚は、強かったと?」
「うん」
「そうか」
「……俺」
きゅ、と唇を噛みしめる千歳に、橘は、あの頃よりもずっと柔らかくなった眼差しで先を促す。
「俺……あの頃、俺たちがいっちょん強か思っとったと。お前がいなくなってからも、無我ば求めて、ひとりでも、あの頃よりもずっと強くなったと思っとったと」
「ああ。お前は強かよ。あの頃よりも、ずっと強かなった」
「ばってん、強か奴はまだまだおったばい。無我に行き着いとる奴も、無我の先の扉ば開けちょる奴も、天衣無縫に近か奴も、それ以外にも、たくさん」
「そうだな」
「俺、強くなりたか。もっと、もっと強くなりたか」
「ああ」
「テニス、したか」
橘が、笑う。
「随分と良か顔になった」
「そうね?」
「久しぶりにあった時のお前の顔、まるで死んどったから」
千歳も、笑う。
「うん。ずっと死んどったばい。桔平おらんくなってから、「俺んテニス」ば出来んくなって、ずっと死んどったよ」
「それは、」
「ずっと、ずっと桔平んこつ追っかけるテニスばっかやっとった。ずっと、桔平とまた戦うためだけに、やっとった」
「……ばってん、手塚と戦ったのは、お前が俺以外の「理由」を見つけたからとや」
「そう、たいね」
「……それで?「千歳千里」は、生き返ったとや?」
「俺んこつ、生き返らせてくれた奴が居ったと」
「四天宝寺の奴か?」
橘の問いかけに、千歳の脳裏に浮かんだのは、ふたつの光色だった。一つは目の前の親友。もう一つは、彼よりずっと朗らかに笑い、けれど同じ位強い目で千歳を射抜いて誰より暖かく千歳を受け入れようとする、眩い少年。
「ちゃんと、居場所を見つけたんだな」
何も答えぬ千歳の様子を肯定の意と取ったのか、橘は、千歳があまり馴染みのない、優しい、暖かな顔で笑う。否定をする理由などどこにもなくて、千歳もまた、笑って頷いた。
(俺も、桔平も。あの頃と変わらんようで、あの頃とは、変わったとね)
「橘さん!」
遠くで親友を呼ぶ、不動峰レギュラー陣の声がする。
「千歳!」
千歳を呼ぶのは、千歳の耳にすっかり馴染んだ、親友とは違った低音だ。心配で堪らない、きっとそんな表情をしているのだろうことが声音で分かる。思わず緩んだ表情に、何故か親友は、(これは九州時代からよく見知っている)ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「居場所……というよりは、人、か?」
「へ、」
「まあどっちにせよ、お前がお前でおらるる所ばあるっちこつには、変わらんばい」
「き、桔平さん?」
「顔。にやけとるばい、しゃきっとせんね」
「えっ、」
「俺は偏見は持たんよ。」
「き、きききき桔平……!」
思わずしどろもどろになる千歳に、橘は、声をあげて笑いだす。そうしてひとしきり千歳をからかった後、いつか見た、獅子のような眼差しで千歳を見据えた。
「テニス、辞めんとやろ?」
「……続ける。もっと高み目指しちゃるばい」
「そうか。俺もだ」
二翼は、ふたり再び互いの手を強く握りあう。
「それじゃあな。……九州二翼、「四天宝寺中」千歳千里」
「……ああ。いつかまた。九州二翼、「不動峰中」橘桔平」
互いに背を向け歩きだした。行く先は、自分を待つ者のいる場所だ。
「千歳、」
ふわりと暖かな気持ちで謙也の元へ向かえば、彼もまた笑顔で千歳を迎え入れた。
「待っとってくれたと?ありがとうね」
「おう、ええんや」
見れば、謙也以外のレギュラー陣の背中は遥か遠くにある。
「なあ千歳、楽しかったか?試合」
「うん。楽しかった。」
共にのんびりと、彼らの後を追い掛けた。ゆったりとした千歳の歩調に合わせて歩く、普段は人一倍せっかちな筈の謙也が、千歳は嬉しかった。
「ばってん、俺……負けとる」
「まあ、そやなあ」
「すまん。謙也くんのオーダーば奪っちょって、こぎゃん結果、」
「あほ」
雑談がてら心のままに話していた千歳だったが、謝罪を口にした途端、何故か後頭部を思いきり叩かれた。
「あ痛っ」
「奪われたわけやない。俺が、これが一番良え、って思って譲ったんや」
「ばってん、」
「謝られてしもたら、俺はどうなるん?自分にテニスやってほしくて、自分に試合してほしくて、俺が選んだ道を否定されて謝られてしもたら、俺は、どうなるん?」
「そ……そんなつもりは、」
憮然とする謙也に、彼のプライドを、それから自分への想いを傷付けてしまったことを知る。
「……ごめん」
すっかり萎れてしまった千歳をもう一度小突いて、反省せいアホ、と、謙也が笑った。
「中学の全国は、確かにこれで終いや。けどな、俺は高校でもテニス続ける気満々やし、大体まだ会得しとらんだけで、俺ならすぐに無我も身につけて、3つの扉もいっぺんに開けたるっちゅー話や!無我プラス3つの扉プラススピードで、いずれ俺が全国最強の男になったる!」
冗談っぽく「ふふん、」と顎を上げて自信たっぷりに言い切る謙也の様子が、何だか小さな子供のようで、千歳もまた思わず微笑んだ。
「謙也くんは、凄かね」
「何や、馬鹿にしとるやろ」
「そんなこつ無かよ!ほなごつ凄かち思っとるばい!」
「そ、そうなんか?」
そらおおきに!と、照れたように破顔する謙也に、ふと思うところがあり、千歳は問うた。
「謙也くんは、スピード自慢で、髪ん色がお星さまんごたるから、スピードスター、なん?」
初めて会った時こそ陽の光のようだと思ったが、彼はそう、まるで星のようだ。
その暖かさこそ同じだが、引っ張りあげるてくれるような、背中を見せる優しさや強さを持つ親友とは違う。ただ隣にいて、見守ってくれる輝き。
謙也はきょとんとした後、一瞬だけ考えて、すぐに、ああ、と声をあげ笑った。
「確かに「スピードスター」言うけどな、この場合正しい意味は「スピード狂」や」
「スピード狂?」
「そ。速い星、やのうて、「スピード狂」、な。俺にぴったりやろ!」
作品名:あの夏、あの日、僕たちは 3 作家名:のん