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【くらちと】さすらい人に捧ぐ、王子様の愛のうた

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白石蔵ノ介が、親友の忍足謙也から、恋人である千歳千里がストーカー被害にあっているらしいという話を聞いたのは、およそ3日前のことだった。

 白石にとってそれは正に寝耳に水の話で、まさかあんなデカい男相手にだとか、そもそも何でそれを謙也が知っているのかだとか、どうしてそれをまず自分に伝えてくれなかったのだろうとか、言いたいことも山ほどあったけれど、いつになく厳しい表情をした親友を目にして、それが事実なのだと、冗談で済まされるような事態でもないのだということをまざまざと思い知らされる。
(俺が、護らなあかん)
 意外と男らしくて人のあしらいも器用な194cmの大男、それこそ自分が何をせずともへっちゃらなのかもしれない。しかし白石にとって千歳は、生まれて初めて出逢った、何より得難い大切な人だった。
 昨年秋の西日本大会で出会った時から、ずっと惹かれていた。
 テニスへの並々ならぬ想い。勝利への拘り、プライド。ことテニスに関して自分と同じような考えを持つ彼に興味が湧いた。この春四天宝寺に転校してきたのには流石に驚いたが、それで益々彼の一面を知ることになって、親しくなって、そして結果として結ばれたのだから、良かったと思っている。
 千歳千里は一度テニスを離れれば、マイペースで、のんびりやで、いやに幼く懐っこい笑顔を浮かべる少年だった。小さな動物や可愛らしいものが好きな、優しい心根の持ち主だった。時折、かつての相方を想っているのか遠い目をしたり、寝言でかの人の名を呟くのを知ったからこそ、余計に放っておけなかった。
(千歳は、テニスと、俺のことだけ思っとったら良えんや)
 大好きで、大切で、愛おしい存在だからこそ。彼には、綺麗なものだけを見ていて欲しい。辛い思いも、怖い思いもさせたくないのだ。
(大丈夫。……俺が、護るから)
 事の詳細を知る謙也からよくよく事情を聞いていけば、千歳へのストーカー行為が始まったのは彼が転校してきて一ヶ月程経ってからのことらしい。時期としては5月の半ば、折しも白石が千歳と付き合い出した頃だ。
「最初は、物がよう無くなる、っちゅーことに気ぃついたンやと。そっからどんどんエスカレートして、後を付けられとるような感覚だ、無言電話だ、妙なプレゼントに、妙な手紙まで貰った言うとったで。貰った言うても、下駄箱やら郵便受けに入っとったっちゅー話やけど」
「手紙?」
「まあ、当然無記名や言うてた」
「ラブレター……っちゅー訳でもないんやな?」
「気持ち悪ー言うてすぐ捨てた言うてたから……ラブレターっちゅーより内容は強烈やったんと違う?」
「あいつ捨てたんか、大事な証拠を!」
「あー……」
 謙也の語るところによれば、ここまで分かりやすいストーカー行為にも拘わらず、千歳はそれを単なる嫌がらせと見ているらしい。身の危険を感じている、と言うよりも、「自分が気に入らないのであれば正々堂々正面からぶつかれ」と息巻いているのだと言うから呆れたものだ。
「どんだけ男らしいねん。そんでどんだけ鈍感やねん。横文字苦手にも程があるやろ」
「まあ、本人がその程度にしか思ってへんのやったら、下手に追い詰められて精神的にやられるっちゅー心配もあらへんし……」
「そらそうやけど」
「でも……さすがにこの前のは、キとったな」
「この前?」
 何やら言いよどむ謙也に、ただ黙って彼を見つめて先を促せば、今更誤魔化すことも出来ないと観念したのか、嫌悪感も露わにした表情で、ぽつりと呟いた。
「……精液」
「は?」
 その単語が、何を示すのかすぐには理解が出来なくて、思わず間抜けな声が出る。
「……見つからんと思っとったジャージがな、ザーメン濡れで返ってきたんやと」
「な、」
(何やそれ。ちゅーことは、相手は男か。ザーメン濡れて、それやったら、完璧相手は、千歳を、「そういう目」で)
「何にせよ、俺、千歳の周りには注意しとくわ」
 謙也が白石を強く見据えそう宣言するのに、真っ白になった頭では、ただ頷くことしか出来なかった。



 白石蔵ノ介が、親友の忍足謙也から、恋人である千歳千里がストーカー被害にあっているらしいという話を聞いたその日から、白石の日常は、千歳を護る日々へと変わった。

(千歳は、優しいから。せやからきっと、俺にそんな辛い目にあってるなんてこと、言えへんかったンや)
 一刻も早く、彼を苦しめる芽を摘み取って、安心させてやりたい。そうして、一人でそんな恐怖を抱えていた(謙也に相談していたとはいえ)ことを叱って、それから目一杯抱き締めて、キスをして、とことん甘やかしてやるのだ。

 安否確認は、常に行わなければならない。
 授業中を除き、白石はこれまで以上に千歳に連絡をとった。彼が携帯を手元に置いていることは稀だったし、電話に出ることも滅多に無かったが、電話帳の彼の名を、白石は根気良く何度も押した。
 何度も、何度も、何度も。彼が出るまで、何度も押した。
 千歳が自分に気を使って相談をしなかったのであれば、彼のその優しさは尊重してあげたくて、非通知で発信するのは忘れない。と言っても、今迄も、照れ屋な彼が自分からの電話を取ってくれないかもしれないという懸念からそうやってきていたから、今更と言えば今更な行為だ。
『……はい』
 それでも千歳は、発信の相手が自分だと分かってくれているのか、電話に出る時は、いつだってその声が喜びで震えていた。無事が分かれば十分で、白石は、長話は無駄と、いつもそこで電話を切ってしまう。後になって、優しい言葉をかけてやれば良かったかとも思うが、それは、手紙やちょっとしたプレゼントで許してもらうことにしよう。

(『千歳千里様』……っと、)

 携帯を見ない彼だからこそ、しつこい程電話はすれど、見ているのかいないのか判断の出来ぬメールは送り辛い。想いを伝える手段は、常に手紙だった。今時何とも古風なやり取りだが、白石は、このやり方をとても気に入っていた。下駄箱や、机の中、部室のロッカー。それを見つけた時の千歳はというと、毎回毎回切れ長の目を真ん丸くして、そこに綴られる白石の想いに、頬を赤くし小さく震え、それはもうこの上なく可愛らしいのだ。
 勿論、さっき渡したばかりのその手紙には、千歳を護るという固い決意をしたためた。安堵のためか、はたまた喜んでもらえたのか、感動してくれたのか。千歳が目に涙を浮かべながら謙也の元へ報告に向かったのだけは、何だか照れ臭かった。

(あ、また)

 千歳は、少しばかりだらしがないところがある。だらしがない、と言うよりは、興味があること以外は注意力が散漫になるのだろう。使ったものは基本的に出しっぱなしだし、ロッカーに鍵はかけない。成る程、これでは件のストーカーに、どうぞ何でもお好きな物を持って行ってください、と言わんばかりだ。今日もいつものように部室に置きっ放しのボールペンを、一先ず預かることにする。白石のロッカーの中は、そんな千歳の忘れ物で大半が占められていた。

「……って、あいつ……」