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【くらちと】さすらい人に捧ぐ、王子様の愛のうた

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 先日あんなに気色の悪い目に合ったというのに、試しにと戸を引っ張ってみたロッカーは、いとも容易く開いてしまった。矢っ張り鍵など掛かっていない。そして無防備なことこの上なく、ジャージも入れっぱなしだった。
(反省しとらんのか……)
 その布地を手に取って、口元に持っていく。思い切り息を吸って、洗剤と、彼の汗と体臭の混ざった心地の良い香りを堪能した。
(これに、どこのどいつかも分からん奴が汚いモン擦り付けて、アレぶちまけたんか)
 身体が震えるのは、怒りのためだ。ジャージを握る手にも力が篭もる。
(千歳の匂いに興奮するんも、分からんでもないけど。やっぱり許せへん)
 不機嫌さも露わに、部室の扉に鍵が掛かっていることを確認し、どっかりとパイプ椅子に座る。苛立ちに任せ思い切り体重をかけられたそれが、ギシリと高い悲鳴を上げた。

(これをドロドロにすんのを許されたのは、俺だけやっちゅーに)

 そのまま怒りと興奮ですっかり形を変えてしまった下半身へと、右手を伸ばす。
(この前だって、俺がオサムちゃんに呼び付けられて帰りが遅なるって知っとったから、千歳は、一緒に帰られへん代わりにわざわざジャージ置いてってくれたんや)
 恥ずかしがり屋の恋人が、健気にも自分に残してくれたメッセージ。
(ああ、もしかしたら犯人は、俺と千歳の仲を知っとるのかもしらん。俺と同じことをして、「恋人」っちゅー位置に成り代わろうとしとるのかも)
 ジャージのざらついた布地が怒張した雄を擦る快楽と、千歳の匂いと、想像の中の彼が激しく乱れる姿で、白石の身体はどんどん昂ぶっていく。その一方で、冷静などこかの部分が、犯人像をひたすらに追い掛けていた。
「千歳……千歳……っ!」
(……せやけど、そいつは、絶対に「俺」にはなれん。だって、千歳は「俺」のことを、一番好いとるから)
 その証拠は、付き合い始めてから送った、彼の好きなキャラクターのぬいぐるみだ。自分が送ったなんて一言も言わないのに、彼は、部屋に飾ってくれている。そしてその中になけなしの小遣いで購入した盗聴器が入っていることも全て知ってくれた上で、時折、白石に聞かせるように、甘い吐息を漏らしながら自慰をしてくれるのだ。そうして彼の声を聞きながら、白石もまた、部屋で自身の昂ぶりを慰めるのだ。共に擬似的なセックスに耽るのは中々に退廃的で、白石を夢中にさせた。
(残念やったな。千歳は、俺のモンや)
「大丈夫っ……俺が、護るからっ……千歳……っ!ん、っ……!」
 顔も分からぬライバル相手に勝ち誇った笑みを浮かべ、白石は、千歳のジャージにたっぷりと吐精したのだった。

(……さて)

 千歳を護る、と決めた白石が、今日に限ってこんなに悠長なのには理由がある。出席日数ギリギリの千歳に補習があるせいだ。それもそろそろ終わる時間帯と見越して、部室を後にすると、見覚えのある長身が、のっそりと正門を出て行くところだった。
(ああ、わざわざ俺が分かりやすいように、タイミング見計らってくれたんやな)
 こんなにも自分のことを愛してくれている千歳は、けれどとても照れ屋だから、一緒に肩を並べて帰ることは出来ない。いつだって白石が数歩後ろを着いていくのだ。今は彼の身に危険も迫っているのだから、特に注意をしなければならない。
(ほんまに健気な子)
 白石がちゃんと後ろにいるかどうか、時々立ち止まってキョロキョロと確認する様が、何ともいじらしい。すぐにでもこの物陰から飛び出して抱き締めてしまいたい衝動に駆られるが、そこはグッと堪える。
(いつ、どこで見られてるかも分からんからな。下手にストーカー刺激して無駄な火種作る必要はあらへん)
 しっかり寮に入っていったのを見届けて、白石は自分の精液にまみれたジャージの入った紙袋を、外に備え付けの郵便受けに押し込んだ。
(せめて、せめてこうやって、俺がいつだって千歳のことばっか考えて、千歳のことばっか想っとるって、知ってもらえたら良え)
 少しだけ驚くとは思うけれど、きっとすぐに喜んでくれる筈だ。自分に聞かれていると知りながら自慰をするような、いやらしくて可愛らしい彼だから。今日も帰ったら、早速彼の声を、歓喜に震え咽び泣く彼の声を聞かなければ。彼を安心させてやるために、自分の存在を、彼に気付かせてあげなくては。

「大丈夫や、千歳。俺がいつだって、お前のこと護ったる。いつだって、見ていてやる。いつだって、一緒に居ったる。いつだって、いつだって、いつだって、いつだって、いつだって、いつだって、いつだっていつだって、いつだって、いつだって、いつだって、いつだって、いつだって」



 白石蔵ノ介が、親友の忍足謙也と恋人の千歳千里から、お馴染みの「顧問の事情」により部活のない日の放課後にわざわざ呼び出されたのは、そこから更に数週間が過ぎた頃だった。

 いよいよ件のストーカーが見つかったのかと、けれど出来れば自分が捕まえたかったと、僅かばかり残念に思いながらそれでも意気込み部室に踏み入れば、そこに居たのは親友と恋人の二人のみ。それならどうしてわざわざ呼び付けたのだろうと訝しめば、謙也が何とも唐突に、
「自分やったンやな、ストーカー」
などと言い出した。
「……は?」
「手紙、あれから千歳に言って、全部捨てさせへんかったんや。そしたら……筆跡な、これ、全部自分のモンやんか」
 ばさりとテーブルの上に放られたのは、この数週間千歳を勇気付けるために送った無数の手紙。
(ああ、こんなに。こんなに、千歳への想いを送っとったんや。千歳は、それを全部、こうしてとっといてくれて、)
「千歳のモンが失くなるンも、ジャージが消えるンも、全部白石が部室残る時やら合同授業ン時で、……それから、寮母さんが最近よく自分のことを見かける言うて」
「そらそうや、寮母さんには千歳に会うついでによう挨拶もしとるし」
「白石……っ!」
「お、おう?」
「自分、千歳の部屋に入ったことなんか、最初の頃に皆して押し掛けた時以来やろ!」
 いつに無く剣呑な光を眼差しに宿した謙也が、必死な声で言い募るのが何やら滑稽で、白石は思わず笑ってしまった。
「なっ……にが、可笑しいんや、」
「いやいや、せやかて謙也」
 妙な誤解をしているらしい謙也に、白石は語る。
 自分がどれだけ千歳を想っているか。千歳がどれだけ自分を想っているか。手紙を書いたのは何のためか。彼の置き忘れたものを拾い集める自分の気持ち。些か恥ずかしくもあったが、彼が自分のためにわざわざ置いてくれるジャージのことも、そのジャージに何をするかも、プレゼントしたぬいぐるみの中に隠されたモノで日々聞いていたものも、全て、何もかも、洗いざらい語り尽くした。
「と……盗聴器て……ちゅーか、やっぱり、ジャージの、あれも」
 自分たちの想いの、絆の強さに圧倒されたのか、謙也が色を失くしたような顔でこちらを見つめる。千歳も、感動のあまりだろうか、切れ長の涼しげな目にいっぱい涙を浮かべていた。
「ちゅ、ちゅーかな、さっきっから、付き合うとるだ恋人だ……自分ら、いつからそんな仲になっとるん……?」