LOST ④
約束する、君はそう言って笑った。
三月に入ると、沖縄には次々と美しい花が咲き始める。一年を通して咲いているブーゲン
ビリアやハイビスカスは勿論、県花でもある燃えさかる炎の様な深紅の花をつけるデイゴ、そしてつつじやオクラレルカ、百合などがこれから徐々に満開を迎え始める。赤にピンク、白、黄色、緑、青、紫とさまざまな色彩が沖縄の大地を彩る。
沖縄は一年を通して花が絶えることは無いが、それでもこの春の季節は天候も幾分か安定していて、美しい花々が春を祝う為に咲き誇る。
その春の先駆けという三月の始め、平古場は生まれた。
華やかな平古場に良く似合う季節だと、木手は校内を歩きながら思った。窓の外に視線を移せば、蕾を綻ばせているつつじの生垣が見える。あの生垣一面が赤く色づく花で埋まれば、きっと燃えさかる花の波間を歩いている様な気分になるのだろう。
そんな風景に想いを馳せながら、最終下校時刻間近の静かな廊下を木手は歩いていた。そして、屋上へと続く階段まで来た木手は、先ほどまで話していた部員達との会話を思い出して、眉間に皺を寄せた。
***
「凛、来ねーらん……」
始めにそう言ったのは甲斐だった。
今日は、古武術の稽古日だった為に部活はない。部員達は部活の無い日は決まって、稽古までの時間を埋める為に部室に集まり、下らない話をしながら暇を潰していることが多かった。平古場も例外ではなく、いつもふらりと訪れては甲斐達と、他愛無い話やゲームに興じて騒いでいた。
この日は、明後日が平古場の誕生日ということもあって、当日にいつものメンバー全員が集まれないという理由から、平古場が来る前にこっそり集まって、サプライズでプレゼントを渡そうと決まっていた。
それなのに、主役である平古場が何時まで経っても部室に現れなかった。道場へ稽古に行く時間が過ぎても平古場は姿を見せることはなく、何時来るか分からない状況に、木手達は部室から離れることが出来ず、ただ平古場が訪れるのを待っていた。
携帯に電話をかけても、メールを送っても、平古場から返事はなかった。部室へは立ち寄らずに、もう道場へと練習に行っているのかもしれないと、知念に道場の仲間に連絡をとって確認してもらったが、平古場の姿はないという。学校にいるのかと、甲斐が探しに行ったがどこにもその姿は無かった。木手達は、平古場がサボってどこかに遊びに行ったのかと話したが、ここ最近、平古場が部活や稽古をサボることなく、きちんと毎日顔を出していることを知っていたから、それは無いだろうという結論に落ち着いた。
それならどこへ消えたのかと、それぞれ交代で携帯へ電話をかけながら話しをしたり、校舎やグラウンドを探したが姿を見つけることが出来なかった。
最終下校時刻が近づいて、さすがにこれ以上は学校へ残っていることが難しかった。仕方ないからと、平古場の誕生日当日に、集まれる時間でなんとか祝おうと話し合って解散することになった。
各々が荷物をまとめて部室を後にする。最後に、木手が部室の鍵を閉めて職員室へと鍵を返すために足を向けると、その後ろを知念がついてきた。
「どうかしましたか?」
「……」
知念は無言のまま上を向いた。その視線を追って木手も顔を上げると、視界に青い空と見慣れた校舎が映る。木手の目には特に変わった所は見えなくて、何かあるのだろうかと知念に視線を向けると、木手が見ていた場所よりも、もっと高い場所を見ていることに気が付いた。その視線の先を辿るように、もう一度上を向けば、知念がどこを見ていたのかを理解することが出来た。
学校の屋上。そして、ふと、木手の脳裏に閃くものがあった。
「あそこに、いるんですか?」
誰が、とは問わずに知念を見返せば、木手と視線を合わせて首を傾げる。
「わからねーらん。でも、屋上から見る海が好きだって言ってたのを思い出したから……」
「……そう」
木手の胸に突如、小さなさざ波の様な感情が沸き起こる。
バレンタインデーのあの日から、木手の中で生まれた『寂しさ』が消えることはなかった。
波ひとつない湖畔に広がる水面に、小さなさざなみが生まれて、一度生まれたその波は消えることなく、水面を揺らし続けた。
その寂しさの波は、木手の胸に押し寄せては引いていく。時に大きく、時に小さく、さらには大きな波をもたらして、木手の心を揺らす。
今まで、感じることの無かった感情に困惑する。木手は、どう対処していいのか分からなくて苦しかった。
先程の知念の言葉に心が揺れたのは、木手の知らない平古場を垣間見たからだ。きっと、幼馴染である知念以外にも、例えば仲の良い甲斐なども知っているだろう、平古場の好きな場所。
そう考えて木手は、平古場の好きなものも嫌いなものも、あまり知らない事に気がついた。平古場について、部員の誰よりも知らないのではないかと思った。
子供の頃から知っている甲斐や、小学校が同じだった田二志に比べれば、知っていることなど少なくて当然だけれど、同じように中学から知り合った知念や不知火達よりも、知らないことが多い気がした。共有した時間が少ない訳ではない。他愛無い会話も、テニスを通して過ごした日々も、それ以外にも、思い出として心に残る平古場との日々が木手の中には確かにあった。間違いなくあるはずなのに、他のメンバーよりも知らないことが多い気がするのは、何故なのだろうか。
その時、ふっと脳に閃く記憶があった。
焼け付く様な陽射し。蒸し返す熱。
晴天の空。暑い夏の日の帰り道。
そして、平古場の笑う顔。
平古場と二人きりで歩いた帰り道を、木手は思い出した。
――屋上から見る海は最高やし! 暇さえあれば、眺めに言ってるさぁ。
そうあの日、木手は平古場から聞いて知っていた。忘れていたのは、あまり興味が無かった所為なのかもしれない。そして、その後に何かを平古場が言っていた記憶がある。けれど、木手は思い出すことが出来なかった。
眉間に皺を寄せて屋上を見つめる木手に、知念は「永四郎?どうかしちゃん?」と首を傾げた。木手は、気持ちの奥底に潜りこませていた意識を素早く浮上させて、首を横に振って見せた。知念は、人差し指を眉間に寄せて、「まだ、皺とれてねーらん」と表情のあまり変わらない顔で木手を見つめている。
その顔にぎこちない笑みを浮かべて、知念へと返す。
「俺が、屋上を見て帰るから先に帰っていて下さい。もうすぐ下校時刻ですし」
「……でも」
「大丈夫ですよ。俺に任せて下さい」
そう諭すように言いながら、知念の背中を押して半ば強制的に帰る様に促す。一度、二度と振り返りながらも、最後には知念も納得したのか「頼んだ」と言って帰って行った。
木手にだって、知念と一緒に屋上を見て回った方が、効率がいい事くらい分かっていた。けれど、何故だか一人で屋上に向いたかった。
他の誰かではなく。
他の誰でもない、木手自身で平古場に会いたいと思った。
***
薄暗い屋上へと続く階段を一歩、また一歩と登る。壁に反響する足音だけがやけに耳に響く。気が付けば、目の前に屋上への扉が見えて、木手は一瞬だけ眉を顰めた。