LOST ④
木手は『勝ちたい』、『強くなりたい』、その思いを胸に今日まで走り続けてきた。
そして、どんな時も振り返らないと覚悟を決めていた。
どれほどの人を傷つけ、誇りを踏みにじり、神聖なるスポーツという言葉を汚してきただろうか。その行動を、後悔したことも間違っていると思ったこともない。正しいか間違っているかなんて、常識から考えてみれば答えなんて『間違っている』に決まっている。それでも尚、木手がその手段を選んだのは結果が欲しかったからだ。『勝利』が欲しかったからだ。
勝利が欲しい。その為の強さが欲しい。誰もが一目置くほどの存在になりたかった。
けれど、ただ純粋に強さを求めるだけの時間が木手には無かった。決して、弱い訳ではないと分かっていたけれど、全国大会へ出場し、優勝する為の確実な方法を選び、そして実行したまでだ。綺麗な言葉を並べて、規律正しい強さを磨くだけでは足りない。
勝利を、栄光を、威信を、誇りを。それら全てを、どんな手段を講じてでも手に入れたかった。
だからこそ、木手はこれからも迷いなく誰かを踏み台にして進んでいく。
それが誰であろうと。たとえ、部員達であったとしても。
そうして過去の痛みを、傲慢さや恐怖といった感情の仮面の下に隠して、前だけを見てここまで辿り着いた。
だから、平古場を傷つけたとしても、後悔なんてしないと思っていた。それが、木手にとって信じる道だったからだ。
それなのに、振り返りそうになる。胸を襲う悲しみの所為で。
フェンスを握る手がより一層強くなる。そうしないと、足元から崩れ落ちそうだった。強く目を瞑った暗闇に、平古場の笑顔が浮んでは消えた。そして、耳に残る平古場の声が木手の中で反響する。
――わんが、やーを日本一の部長にしてやる。
その言葉に、何故か涙が出そうになった。
その理由を考えて、気がついてしまった。木手の中にある感情の意味を。
ずっと、さざなみの様に木手の胸の中で生まれては消える寂しさの正体を。それが何なのか、ようやく木手は理解した。
平古場を好きだ、ということに。
木手は、やっと平古場の感情を理解出来たと思った。
――こういうのは、物より気持ちが大事だろ?わんはその気持ちが、嬉しいんだよ。
バレンタインデーに、チョコレートを渡した木手へと平古場が言った言葉のその意味を、ようやく木手は実感することが出来た。
「そうだね。気持ちが嬉しい。……でも、同じだけ悲しいって、君は言わなかったじゃないか」
口に出した言葉が震えた。
平古場から贈られた言葉は、今まで貰ったどんなプレゼントよりも嬉しかったが、胸が張り裂けそうなほどに、悲しさと苦しさも秘めていた。
そして、その単純な答えに気がつかなかった自分自身を浅はかだと思った。今更、気がついた所でもう平古場は木手から離れてしまっている。平古場の選んだ道を歩くために。
けれど、それは木手も同じだ。この感情に気がついても、今目の前にある目標は全国大会への出場であり優勝することだ。他のことに目を向ける時間なんてありはしない。
もしかすると、平古場はそういうもの全てに気がついていたのかもしれない。木手が、たとえ平古場のことを好きになったとしても、テニスを選ぶだろうということに。だから、あんな科白を口にしたのかもしれない。
どうしようもない馬鹿だと思った。
もっと簡単な道だってあるはずなのに、それを選ぶことをせず、こんな風にお互い傷つけ合っている。分かっているのに、間違っていることなんて分かりきっているのに、それでも木手の中の優先順位は変わることはなかった。
全国大会で優勝すること、それは木手にとって何よりも優先すべきものであり、誰に何を言われようと譲れない想いだった。
ふと、目を開けて下を見れば、グラウンドを歩く平古場の姿が見えた。校門へと歩くその姿を見つめながら、フェンスにかかる指の力を少しだけ緩めた。そして、届かないと分かっていながら木手は、平古場へと呟くように胸の想いを風に乗せた。
「待っていますよ、平古場クン。……必ず、全国大会で約束を果たして下さい」
たとえ、どんな道を選んでも、きっと幸せなことも不幸なこともある。ならば、信じる道を後悔なく歩くしかない。そうすれば、きっと目指す未来が同じ二人の、歩む道はいつか交わるはずだから。
その時が来るまで、この感情はこの澄み渡る沖縄の空に預けておこうと思った。
「楽しみにしてますよ。平古場クン」
そう言って、木手はフェンスから手を離して、グランドを歩く平古場を一瞥した。そして、自身も帰宅する為に屋上の扉へと歩き始めた。
木手の脳裏に、平古場の晴れ渡る青空の様な笑顔と、大切な約束の言葉が蘇る。
それを思い出して、木手は小さく笑う。
それは、愛しさの篭った優しい笑みだった。
あと少しで、二人が願う場所へ辿り着ける。
だから、今はただ、二人が信じる未来へ続く道を歩くだけだ。
まだ少し遠い未来へ。
君と。