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スズメの足音(前)

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 飛行機は予約していたので、空いてしまった時間を少し観光に充てて予定通りにアパートへ戻った。
 二年前までは大地や旭と毎日一緒にいるのが日常だったのに、こうして一人暮らしの部屋に一人で戻ってくると現実に帰った気がして寂しかった。
 乗り物の待ち時間に細山からのメールを確認して到着時間を知らせていたら帰宅して数分で電話が来て、近くまで来ているというので部屋に迎え入れた。
 細山はベタベタするのが好きで、玄関の扉を閉めた途端に抱きすくめられた。甘い煙草のにおいがした。近くまで来ていると言っていたけど、どこかで時間を潰して待っていてくれたのかもしれない。
 旅行荷物を整理して洗濯機を回し、細山が申し出てくれたので宅配で送った土産荷物の受け取りと洗濯物干しを頼んで横になった。
 実家の親からの電話で目を覚ましたのは暗くなってからだった。届いていたおみやげを仕分けして地ビールを細山に差し出した。
「店とか友達にはお菓子にしたんだけど、細山さん甘いのよりこっちのがいいかと思って」
「飲兵衛だから?」
「それもあるけど、店に差し入れあってもしょっぱいのしか食べないから」
 答えると嬉しそうに頬を撫でられる。キスの合図だった。少しじゃれあったところで空腹に耐えかねてストップをかけた。空っぽの冷蔵庫に土産物を収めて最寄りのファミレスで夕飯にした。
 旅行先では土地ならではのものばかり食べていたから、食べ飽きているフライ定食を注文した。禁煙席に比べ空いている喫煙席の空調に向かって細山の甘い香りの煙がのぼって消える。
 大会の話は上手くできなかった。細山は嫌な顔せず相槌を打ってくれるけど、バレーをやっていたわけでもない、ルールも何もかもよく知らない細山が聞いて楽しい話ではなかったと思う。少しだけ話して、何度か灰皿に灰を落とす仕草を見て話題を変えた。どうしても細山に聞いてほしいわけじゃなかったから。
「――――――それで、列の最後尾に並んでバスに乗ったんだ。混んでたから奥の方に詰めてさ、俺のすぐ後ろに並んでた旭も当然乗って当たり前について来てると思って、発車してから振り向いたら……」
「いなかったんだ?」
「そう、知らないおじいちゃんおばあちゃんしかいなくて、慌てて旭を探したら窓の外で何か焦ってて」
「そのじいさんたちに譲ったってこと?」
「うん。旭が乗ろうとしたところにおばあちゃんが割り込んできて……割り込むっていうか、慌ててバス停に到着したら列の最後尾で乗車順を待ってた旭の前に出ちゃったっていうか。バスは結構ぎゅうぎゅうだったけど一人ぐらい入れても大丈夫だろうと思ったらしいんだよね。旭が一番後ろだったからどうぞどうぞって割り込ませたんだけど、ばあちゃんの後から連れのお年寄りが四人ぐらい来て、ちょうど旭だけ乗れなくて」
「じいさんたち無理して満員のバスに乗るなよなあ。タクシー捕まえりゃいいのに」
「俺たちもどうせ三人だったし最初からタクシー移動すればよかった」
 貧乏旅行だからと節約のつもりでバス移動していたが、帰ってみたら結構予算に余裕が残っていた。
「よしよし、それじゃいつかまた北海道旅行するときの教訓にしようか」
「また行くことあるかな?」
「そこは、今度は二人で行こうねって言うトコだろ?」
「っ!……………はい」
 照れて黙った鼻先をザラリとした指で摘まれた。女の子とは中学の時にほんの少しだけ付き合ったことがあるっきりで、その頃の彼女とは照れがあって、こんな風にじゃれあったりしなかった。まるきり不慣れな恋人らしい仕草が、旧友たちとの時間に浸かっていた腕を掴んで現在の現実に引き戻す。
 少しの間、黙って食べ残していたキャベツの千切りを口に運んだ。細山は先に食べ終えた皿をテーブルの隅に寄せて新しいタバコに火をつけた。
「あ、そういえば、帰りの飛行機に乗る前のことなんだけど、旭が……」
 不自然に始めたつまらない話にも細山は変わらぬ態度で穏やかに頷いている。夜が深くなるに連れて気温が下がって、いつの間にか雨が降りだした。ファミレスから出て二軒隣りのコンビニに入った。終電の時刻が近いけど、帰るとも泊まるとも言われなかった。コンビニでは雑誌だけ買った。
 ちょっと買い物していた僅かな間に雨脚は強くなっていて、細山は自然な手つきで外の傘立てからビニール傘を一本引きぬいた。俺たちは傘なんか一本も持ってきてないから知らない誰かのものだ。常習犯だな、と思いながらもやんわり咎めると、食事をしながら話に相槌を打つのと同じ穏やかさで小首を傾げる。
「店の中の客より数あるってことは忘れ物だから大丈夫でしょ」
 店内には女性客が一人だけ。傘立てにはまだ傘が残っていた。彼女が傘を失くして帰れなくなることはなさそうだけど、
「そういうこと言ってるんじゃないよ」
「孝支のそういう真面目なとこ好きだよ。じゃあ雨が上がったら今度返しにくることにする」
 話を切り上げて傘を開き、ポンと背中を叩いて雨の中へ促された。小さなビニール傘に男二人は収まりきれなくて肩がぐっしょり濡れた。
 当たり前に二人で俺の部屋に戻ったけど、出掛けの続きは「まだ旅行の疲れが残ってるから」と断ってしまった。何もしないで、狭いベッドの上で、ただ抱きしめられて眠った。
 それが今の現実だった。





「うん、大丈夫」
 ルーズリーフに書いた新入生向け部活説明会のスピーチ原稿を返し腰を上げた。
 入学式はもうすぐだ。荷物棚の一年生に使わせる段は綺麗に拭かれている。新二年生の段は「新年度だから持ち替えれ」と言ったのに漫画や雑誌が散乱している。新三年生の段には二人分の荷物が左に寄せて置かれていた。右に一人分のスペースを残して。
 帰り道、晴れ渡った青空に向かって大地は息を吐いた。
「大地、幸せ逃げてる」
「お、スマン」
 旭がバレー部を離れてもうじき一ヶ月になる。エースである旭が部を去って、守護神と呼ばれた二年の西谷も部活動停止で体育館から姿を消しても時間の流れは止まらない。
 春休みも大地は予定を組んで平常通りの活動を続けていた。休みの間の部活予定を伝えたメールに旭からの返信はなかった。
 二人欠けた体育館ではいつも以上に田中が声を張っている。大地は、旭と西谷不在のギリギリの人員でもチームの体裁を維持していた。練習試合のあてがあるわけでもなく、公式戦まで時間のある時期だったけど、顧問があちこちに練習試合を申し込んでくれているのは知っていた。もし急に試合ができることになっても実のあるものになるように。
 メンバーが揃っていないから、主力が抜けているからといって試合に後ろ向きになるのは避けたかった。
 でも、そうやって現状に合わせて理想を掲げ直すごとに、二人が抜けてぽっかり空いた穴がジクジクと痛む。
 俺は、大地も旭のことで責任を感じていると思っている。
 度重なるブロックで心をへし折られ、トスを呼ばなくなった旭の件で自分を責めようとした俺に『自分のせいだとか言い出すな』と言ったのは大地だ。冷静で、誰のせいというわけでもないのを理解してる。だけど、大地は主将だ。
作品名:スズメの足音(前) 作家名:3丁目