スズメの足音(前)
旭が部活に顔を出さなくなってから、俺のように説得に行くわけでもなく、時折何か考え込んでいた。旭のことを考えてるんだ、と俺は思ってる。俺には、誰にも、打ち明けたりしないけど。
「大地さ、もっと思ってること、話せよな」
「……………」
話せといった端から口を噤んで何か考えている。口に出さないことがたくさんある。
「筋が通ってなかったり、つまんないことでもいいからさ」
先に泣いている人がいると自分が泣けなくなったり、自分より怒っている人がいると自分の憤りが引っ込んでしまって宥め役にまわってしまうことがある。俺が悔やむほど大地が自分の気持ちを腹の底に押し隠して表に出せなくなるんじゃないか。
坂の途中で大地が足を止め、フッと笑った。
「大丈夫だよ。多分、スガが心配してるようなことは考えてないから」
同じように足を止めた俺の背中をポンと叩いて再び坂を下りはじめた。烏野高校は坂の上にあって、下校はいつだって重力に背中を押されて足を踏み出す。
「スガが思ってるのはどうせ旭のことだろ?」
「う、……うん」
「考えてないといったら嘘になるけど、さっきは、ちょっと違うこと考えてた」
何気なく滑らせた視線が着地したカラスに留まる。地面に散らばっていた何かを啄んでいた雀が一斉に飛び立った。一羽だけで雀を蹴散らしたカラスがふてぶてしく鳴く。
「“落ちた強豪、飛べない烏”……なんて言われるけど、エースも威勢のいい守護神も欠いた状態じゃカラスってよりあっちだよな」
木に数羽とまった雀を指さした。
「先輩が引退して新チームで、スガが正セッターで、烏養監督の復帰でごたごたした時期もあったけど少しずつまとまってきたと思ってたんだ」
強豪と呼ばれた時代の名将、烏養監督が復帰した。高齢だったから、体調の都合でほんの一時だったけど、厳しい練習に一年が半分以上抜ける事件があった。結局監督と入れ替わりで戻ってきたけど、一度逃げた負い目のある部員を含むチームが落ち着くのには当たり前に時間がかかった。
「監督の復帰で一歩進んだかと思ったら一歩退がって、縁下たちが戻って少しずつ前に進んだかと思ったら今度は旭だ。別に、自分のせいだとか思ってるわけじゃないから勘違いするなよ?」
「……うん」
「ただ、まぁ、たまにはため息も出るよなぁ……」
語尾が宙に溶けた。力を抜いた顔は少しだけ頼りない。いつも正しいと思うことをきっちりやって、「やるだけのことはやった」という潔さで前を見据えている大地にしては破格と言える。
「大地は、主将としても、仲間としても、充分ちゃんとやってくれてるよ」
「うん」
わざわざ弱音を吐かせたのに、励ましになるようなセリフが上手く出てこないのが悔しかった。
足元の傾斜が緩くなる頃、分かれ道に差し掛かる。いつもここで別れて帰る。そこまで満足な言葉は浮かばなかったけれど、ふと思いついて「またな」と言おうとする大地を遮った。
「あのさ、大地、雀の足音って聞いたことある?」
「?」
向こうにしたら何の前振りもなく突然の質問だった。
「ないけど」
大体の人がないだろう。さっきのカラスだって羽ばたく音にまぎれて着地の音はしなかった。もっと体重の軽い雀なら尚更だ。
「じゃあこれからちょっと聞きに行かないか?」
要領を得ないで眉根を寄せる大地を引っ張って分岐路を俺の帰り道方向へ曲がる。二分も歩くと簡素な造りで屋根の低いガレージがあった。トタン屋根の端にサビが浮いている。その軒下にしゃがみこんだ。
「スガ、これ……」
「シッ!」
人差し指をピッと口の前に立てる。素直に黙った大地と並んで屋根の端に切り取られた空を眺めていると、小さな影がいくつか屋根に飛び込んできた。
トトトットトットトトトッ
雀が次々に薄いトタン屋根に着地した。
「!」
無言で確かめるような目顔で振り返った大地に頷いて、雀の群れがひと通り着地するまで耳を澄ませた。
「……雨の音みたいだな」
「そういえば、前に雨の音好きって言ってたっけ?」
「うん、落ち着く」
ポツポツと屋根を叩く穏やかな雨の音。並んで開いた傘の下でそんな話をした。
「雀って、あんなに小さくてちっぽけだけど、ここならちゃんと足音聞こえるべ?ちっちゃい一歩でもさ。だから、えーっと………」
このガレージを見つけたのはまだ先輩がいた頃。練習しても毎日進歩していない気がして、その間に旭と大地は先輩から認められて。焦っていた時だ。
同じ学年で一番背も低くて、入部直後からガタイの良さを買われていた旭が羨ましかった。先輩たちとは上手くやっていたけど、守備力を認められた大地みたいには評価されなかった。
比べてもどうにもならない生まれついての身体や、自分よりひたむきな仲間の努力の成果を見て落ち込んでいるなんて、誰にも打ち明けられなくて帰り道にしゃがみこんだのがちょうどこのガレージの前だった。
小さいけど確かな音がして見上げたら空が青かった。雀の立てた音とわかって物珍しさで気分が変わった。それから後ろ向きな帰り道にはなんとなく、ここで立ち止まるようになった。
「ごめん、上手く言えなかった」
「大丈夫。わかるよ」
髪をかき混ぜて目を合わせて頷く。励まそうとしたのは俺なのに、逆になってる。
照れくさくて乱れた頭を自分でなでつけながら、大地が先に立つのを名残惜しく見上げた。
穏やかな雨の音の中で目を覚ました。窓のすぐ目の前に枕を置いて寝ているせいで外の音がよく聞こえた。そのせいでこんな夢を見たんだ。
体を起こそうとするのを細山の腕が絡みついて阻まれた。次第に土砂降りに変わり、再び目を閉じても夢の続きは見なかった。