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安楽椅子探偵・緑間真太郎の優雅なる略奪

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今回も依然変わりなく、高尾は捜査と身辺警護を兼ねて少女の家まで足を運ぶ羽目になった。
時は既に夕刻、黄昏に染まった邸宅を見て高尾は品悪く口笛を吹く。

「へえ、凄いな。緑間ん家ほどじゃないけど」
「……うちも元華族なので」
「お嬢様って訳か」

引っ掻き音を立てながら開いた鉄門を少女は我先にと歩き、高尾は庭を見回しながら後に続いた。
落ちた葉が風に吹かれて円舞する。広い庭だが、何処か寂しい印象を与えるのは生き物の気配が少ないからなのか。
洋風の客間に通されると、暫くして少女自らが紅茶を淹れて持って来た。
高級そうなカップに些か緊張を煽られたが、それでも緑間家の物に触れるよりはマシだと高尾は自分に言い聞かせる。

「……緑間様は、普段何をなさっているのです?」

少女は紅茶に角砂糖を一つ入れると、細いスプーンでくるくるとかき回しながら問いかけて来る。

「レコード聴いたり、本読んだり、偶に散歩したり」
「そうでなくて、その、わざわざご実家を出てらっしゃるわけですし」
「あー、女遊びしてるかって話?」

カップに唇を寄せながら高尾は笑う。
全く、これでは本当に『また』だ。

「――なあ、毒だとか命狙われてるとか、嘘なんだろ?」

片目を細め、カップの向こう側の少女を見遣る。
少女は大きな目を見開いて、そしてすぐに顔を赤くした。それが羞恥なのか怒りなのかは分からないが、『他のこと』なら高尾にも手に取るように分かった。

「多いんだよ、あんたみたいなの。依頼だとか嘘言って緑間に近付く人。でも、ま、今回は最年少記録かな」
「う、嘘なんかじゃ」
「この家、俺みたいなのからすれば物凄く立派だとは思うけど、でも門は錆びてるし、庭は手入れされてないし、お嬢様自ら茶を淹れるくらいには使用人も居ない」

元華族には多い話だった。
時代の流れに取り残され、高い矜恃とは裏腹に落ちぶれていく家。
洋の東西を問わず、落日の『名家』が返り咲く最も効率的で、そして最も単純な方法は――婚姻だ。

「どう見たって緑間狙いだったのに俺を家にまで呼んだのは、緑間の話が聞きたかったからっしょ。で? 他に何が聞きたい?」

にっこりと笑ってから、高尾はそっとカップをソーサーに戻す。
緑間家の物には劣るとしても、良い陶磁器だ。
だが、それが客にこの家に残された最後の矜恃を象徴しているようで何とも物悲しい。

「……貴方みたいな庶民に分かるもんですか」
「この民主主義の時代に『庶民』かよ、ってか別に分かりたくもないし」

呆れたように天井を仰いでから、高尾は視線を下ろして年下の少女をじっと睨み付け、それまでの軽口が嘘のように低い声で言う。

「あんたはさ、緑間の家柄と財産が欲しいだけだろ。あとは見てくれかな? ……俺、そういう風に真ちゃんのこと見られんのが、一番腹立つんだよ」

静かだが、揺るぎない感情の込められた言葉に、少女がびくりと肩を震わせる。
大きな瞳に涙すら浮かべたが、下唇を一度ぐっと噛みしめてから、少女は反撃とばかりに立ち上がった。

「……なによ、貴方が言えた分際? 緑間様がなんて言われてるか知ってるの? 『緑間は流石元士族だけあってお稚児遊びがお得意らしい』って笑われているのよ、貴方がずっと付きまとっているせいで!」

そう叫んだ少女が机上のカップを手に取って、その中身を高尾へとぶちまけようとしたその瞬間――大きな音を立てて客間の扉が開かれた。


「失礼。扉を叩いても使用人が出て来なかったのだよ」


黒いインバネスコートに身を包んだその長身。
西洋の物語に出て来そうな端正な顔。
透明度の高い硝子がはめ込まれた片眼鏡。

「えっ……真ちゃん?!」

驚きを言葉にしたまま固まった高尾だけでなく、少女もまた驚いて手を止めてしまっていた。
甘く整えられた紅茶が緩やかに零れて机の上で跳ねる。
目の前の惨状すら目に入らないほど、高尾は未だ呆気に取られていた。
普段、一人で出歩くことなど殆ど無いはずの緑間が、こんな東京の端にまでやって来るなど、高尾は想像したことすらない。

「高尾を返してもらいに来た。勝手につれて行かれると困るのだよ」
「いや、真ちゃんが俺に『行け』って」

自分で命じたというのに緑間はすっかり忘れているのか、牽制するような目を少女に向ける。
少女は激昂の途中で停止してしまった己の姿を恥じて、身動き一つ取れずひたすらに狼狽していた。

「日報に号外が出たんだが、その占術欄に『今夜は普段通り寝るべし』とあってな。寝台に高尾が居なくては普段通りにならない」
「うわ、ちょっ」

そういった私的で赤裸々で決定的な会話ほどこの場に不似合いなものはないというのに、緑間は素知らぬ顔で言ってのけると、長い脚を動かして高尾の傍に近寄りその手を引く。

「それでは失礼した。行くぞ高尾」

まるで突風のように現れた安楽椅子探偵――のはずの男は、おざなりな挨拶だけ残して同じく風のように去って行った。


***


「真ちゃん、突然すぎて吃驚したんだけど」
「これくらいで吃驚していて『探偵助手』は務まらないぞ」

手を引かれる高尾が抗議半分驚き半分で声を上げても、先を行く緑間は自分に非などないとばかりに答えるだけだ。
ただ、幾許か強調されたような『探偵助手』という言葉に、高尾の口元が緩んでしまう。全く、どうにも敵いそうにない。

「っつーか、真ちゃん……『さっきの』聞いた?」

高尾はふと気になって尋ねてみる。
先程の緑間の登場は、あまりにも良い頃合いすぎた。
まるで、客間の外で機会を窺っていたかのような――。
だが、緑間は『さっきの』の内容も聞かされない内に、即座に否定してみせる。

「聞いてない。俺は高尾の話しか聞かないし、高尾の話しか信用しないのだよ」
「……そっか」

日が沈んで間もない往来、うっすらとした瓦斯燈が二つの影を引き延ばす。
強く握り合った手の感触だけが頼りだった。