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やわらかな獣 2

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今朝はなぜだか頭の芯から冷えこむようにきりと冴えていて、目覚まし時計が鳴るよりも早く目が醒めた。身体の調子はすこぶる良好で、開けっ放しのカーテンから差し込む朝の光が心地よく感じる。
「ヴェスト、起きろー。早く支度しないと遅れんぞ」
さするように揺り起こせば、隣で浅い寝息を立てていたドイツが、ううと唸った。そうしてくしゃくしゃになったシーツを抱きくるめると、朝の光から逃れるようなかたちで、顔を覆う。
「……ヴェスト?」
返事の代わりにうううと唸るドイツは頭までシーツを被り直して、ベッドのなかにずるずる潜ってゆく。妙である。ドイツは朝につよいほうで、いまだかつてこんなふうに、駄々を捏ねられたことはない。シーツのなかからは、わけのわからない呪文のような言葉がもごもごと漏れてくるが、そのどれもが言葉のていを成していない。まさしく呪文のようななにかである。
「んー……まさか、身体痛ぇの?」
誘い込んだのはドイツのほうで、たやすく燃えたのはプロイセンのほうだった。上になっている以上、責任は五分五分でもプロイセンは劣勢だが、どちらにせよ、いまさら責任を取り沙汰するような打算的な関係ではない。ただ、誓って無理をさせたおぼえはなかった。それどころかいつもよりずっとスローペースを保っていたから、辛いというよりは単純に眠いだけなのだろう。
あれこれとドイツの世話を焼き、王か、あるいは姫に対するようなうやうやしい扱い方をするのはプロイセンだけの密やかなたのしみだったから、次第に、むしろなにか楽しいような気分になってくる。そうして、悪戯好きの子どもがするようにシーツをめくると、ドイツとちらりと視線が絡んだ。
「…にいさん、まぶしい……、休暇を取ってあるから、寝かせてくれ……」
なだめるような手つきで髪を撫でながらシャワールームへと促すが、ドイツは猫のようにかたくなに丸まったまま、すこしだけ目を細めてそう言った。
休暇、と、おもわず鸚鵡返しがプロイセンの口からこぼれる。そんなものは今のいままで聞かされたおぼえがない。いつのまに?何のために?出かける予定はなかったはずだ。
プロイセンがそうして文鳥のようにくるくると首をかしげるので、ドイツは頬袋に砂糖菓子を詰め込んだりすのような、やわらかい表情をふわふわ浮かべて笑った。
「……楽園、を……」
そこまで言って、ドイツは再びまぶたを落としたようだった。プロイセンはおもわず髪を撫でる手を止めて、口元をひきつらせる。楽園?楽園って、昨日言ってたやつ?……なんだって?
どうやら明け方の睦言の続きのようである。まるで真綿にくるまれて夢をみるような、覚束なさをはらんでいたから、あたりまえのように冗談だと思っていた。思い返せば昨晩のドイツのようすはやや妙ではあったが、気まぐれを起こしているのに違いないと、プロイセンは勝手な判断を下していたのだった。


昨晩ドイツは楽園をつくりたいと、確かに言った。プロイセンはその手を取って好きにしたらいいと返したけれど、実際のところそんなものは本心ではない。ただ、冗談に冗談を返したつもりだった。そもそもあらゆる人間においての楽園など不可能だし、仮にそういう計画を立てたとして、それらは机上の空論に過ぎない。感情のあるものをおもうまま転がそうとすることじたい破綻していて、現実的、あるいは建設的提案とはきわめて考えにくい。
たとえばドイツ一人のための楽園を作ると仮定しても、まるで鉄の塊のように無感動な国民と、完全無欠の象徴を最低限度必要としなければならないだろう。ひょっとするとそれらは実現することができるのかもしれないが、そんなものは正気の沙汰ではない。つまり、それを本気で試みているのならばプロイセンは、ドイツの頬を打ってでも目を覚まさせなければならないのだった。

***

「そんなオオゲサなものじゃない」
珈琲をふたつ淹れてテーブルの向かいについたドイツは、プロイセンの説得を口元だけで笑った。
セックスの翌朝はプロイセンがおおむね家事を担当する手筈になっていて、朝食はすこし焦げたスクランブルエッグと、チーズの溶けたライ麦パンだった。あまり手の込んだものは、プロイセンにはつくれない。珈琲豆を挽くのはそれなりに慣れているが、ふたりで分担したほうが早いと言って、ドイツがてきぱき済ましてしまう。
「つーか意味がわかんねー、おまえ、何がしてえの」
「だから楽園を、」
「あーもー、それはわかってるっつーの。もっと詳しく、わかりやすく」
楽園を作りたいだけじゃ抽象的すぎてわかんねえだろ。毒づくように呟いて、マグカップの飲み口を囓るように珈琲を啜ると、行儀が悪いと叱られる。このあたりは普段と大差ないようすで、すこしだけ安心する。
「そうだな……まあ、端的に言うと、家から出ないでセックスしたり」
予想だにしない提案に、思わず含んだ珈琲を吹き出すと、ドイツはあからさまに嫌そうな表情で布巾を持ち出した。汚いから始まった諫言はいよいよ説教じみてきて、どうしようもないだの落ち着きがないだのとさんざんな言いざまである。反駁の合間さえまともに与えられない。あきらめて言い返そうとした言葉を飲みこみ、かわりにためいきをはき出すと、ドイツがふいに押し黙る。
「……すまない、具体的すぎたみたいだ」
色気もなければ反省の色もない謝罪ではあるが、ドイツの言う楽園が、当初プロイセンの想定していた物々しさを放っていないだけましだった。高尚な言い方をするから何事かと思ったが、いわば単なる巣籠もりであり、長期的な休みと、健康な身体さえあれば誰でもできるという手軽さである。
「そういうわけで、兄さん」
「おいおい、まだ俺はうんともすんとも言ってねえぞ」
腕を組んで、値踏みするようなつよい視線を向ける。提示された条件は悪いものではなかったが、ドイツがなにか企んでいるのは明白だった。頷いてよいものか、しかし拒んだところでどうなるものでもない。プロイセンは迷っている。
「兄さん……」
わがままに屈するつもりはないが、おねだりにはめっぽう弱い。だめかな、と、瞳の奥のほうを揺らせながら訴えてくるのには堪えた。わざとやっているにしても、卑怯である。逃げ口上を考えている隙にもじっと見据えてくる瞳の奥が揺れて、まばたきをするたびに泣いているように見えたから、プロイセンはややあって細く、長くため息をはき出した。拒める余地はない。
「……わかった、わかったよ。しゃーねえ」
プロイセンがあきらめたような表情でパッと両手を掲げて見せ、降参の構えを取ると、眼前の表情があからさまに晴れてゆく。安心したような、あどけない表情に毒づくのもためらわれて、プロイセンはおもわず苦笑を浮かべた。
「ほんとうに?」
「ああ、もう。好きなだけわがまま聞いてやるよ」
作品名:やわらかな獣 2 作家名:高橋