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花の名前1

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 うっかりーうっかりと言えばあれだろう。花組のみんなが俺に向かってよく使うあの言葉だ。ついうっかり間違えてーとか、ついうっかり失敗してーとか、ついうっかり爆発……考えるだけでも恐ろしい。
 そう言えばついこの間もさくら君の口からその言葉を聞いたようなー大神は遠い目をして、その時のことを思い返した。



 その日はマリアが夕食を担当すると言うことで、一人では大変だろうから少しでも手伝いになればと大神も厨房へ向かった。別に他意はない。それが他の誰であったとしても、大神は手伝いを申し出たであろうし、本当にただの親切心からでた行為だったということははっきりと言っておきたい。
 厨房についた大神は、そこにマリアがいることを疑いもせず、軽やかにその中へと足を踏み入れた。

 「マリア、何か手伝うことあるかい?」

 にこやかにそう言った大神が感じたのは紛れもない殺気。はっとした大神が身構える間もなく、その頬をかすめて何かが後ろの壁に突き立った。それは一本の研ぎ澄まされた包丁。ぎこちない動きでそれが飛んできた方を見る。そこにはに妙に凄みのある笑みを浮かべたさくらがいた。

 「さ、さくら、君?」

 うわずった声で彼女の名を呼ぶ。

 「マリアさんなら、今、いませんけど?」

 と、彼女はごく自然に、にっこりと可愛らしく笑って言った。が、その目はちっとも笑っていない。

 「そ、そうか。で、そ、その、あの…」

 「なにか?」

 またまたにっこり。笑っているのに怖い…。大神は壁に刺さったままの包丁を指さし、おそるおそる尋ねた。答えを聞くのが、恐ろしいような気はしたが。

 「-これ、は?」

 「あぁ、それですか?いやだわ。私ったら、つい、うっかりー」

 「つ、つい、うっかり…?」

 「はい。つい、うっかり、手を滑らせてしまって…。ごめんなさい、怖かったですよね?もちろん、大神さんをねらった訳じゃないんですよ?もう、本当に、うっかり手からすっぽ抜けちゃって…ほら、私ったらドジだから。うふふ♪♪」

 「はは、ははははは…」

 一見、まるで邪気の無いように見えるさくらの笑顔を見ながら、大神もまた引きつった笑顔で乾いた笑い声をあげる。
 彼女が怖かった。それはもう、今すぐ回れ右をして逃げ出してしまいたいくらいに。だが、大神にも隊長としての意地がある。仮にも部下である(しかも女性の)一隊員に怯えて逃げ出すことなど出来ようはずもない。

 ーうっかりとばした包丁が、果たしてあんなに的確に飛んでくるものだろうか?

 大神は思う。だが思いはしたものの、それを口に出して彼女に質すつもりにはなれなかった。なぜだかとても恐ろしい答えが返ってきそうなーそんな嫌な予感がしたから。もちろん、ただの直感にすぎなかったが。野生の本能と言うべきか、こういうときの直感はやけに良く当たるものなのだ。
 大神は怯え混じりの眼差しをさくらの顔に向ける。その視線を受けたさくらはにっこりと見事なまでの笑顔で大神の、そんな眼差しを退けた。
 その完璧な笑顔の奥に、大神は女性というものの奥深さというかなんというかー恐ろしさを、かいま見たような、そんな思いがした。

 ー女心は難しいなぁ、大神ぃ

 そんな親友の声が、どこからともなく聞こえた気がして、大神は疲れ切ったようなうつろな笑みをその面に浮かべたのだった。



 今度こそ、死ぬかも知れないーどこまでも真剣に大神は思った。
 何しろ今度の相手は紅蘭なのだ。紅蘭と言えば爆発。包丁どころの騒ぎではない。

 ー長いようで短い人生だった

 魂が抜けたような表情で大神は思う。そうして再び視線を遠くにさまよわせる大神を、現実へと引き戻したのは紅蘭の声。

 「甘いっ。甘いで、大神はん」

 「甘いって…何が?」

 思わず問い返してしまう大神。何を分かり切ったことをとあきれ顔の紅蘭は、大神の予想を遥かにこえた答えを返してきたのだった。

 「何て、そら、つっこみに決まってるやろ?」

 つっこみ?ー大神の思考が一瞬停止する。固まってしまった大神を尻目に紅蘭は拳を振り上げ力説する。

 「ぼけと言ったらつっこみ。これはもう常識やで、大神はん!!」

 ーそう、なのかな?

 紅蘭の言葉のあまりの力強さに、首を傾げつつも納得してしまう大神。

 「うちが可愛い発明品にうっかり君なんて名前つけるはずないやろ?あかんなぁ。うちの性格知ってればそのくらい分かりそうなもんや」

 そう言われてみればそんな気がしないでもない。ただでさえ実験相手には事欠いているのだ。それなのにせっかくのカモーもとい貴重な実験台に恐怖心を与えるような名前では、誰も彼女につきあいはしないであろう。以外にと言うか、計算高い一面を備える紅蘭のことだ。彼女がそんな無用の危険を冒すはずがない。いかにも成功しそうな名前で安心させておいて、時間差のフェイントで大爆発を起こすーそれがいつもの、大神も知り尽くした紅蘭のパターンだったはずである。
 そこまで考えて大神はかすかな苦笑をその口元に浮かべた。よくよく考えてみればそれは、普段であれば笑い飛ばせる、そんなレベルの冗談だった。よほど余裕がなかったのか、動揺していたのかーあるいは先日のさくらの一件が予想以上に根深く大神の心に残っていたのかも知れない。それもまあ、仕方ないだろう。先日のさくらの一件は、大神のそれまでの女性観を根底から覆すような、それだけのインパクトのある出来事だった。

 「まったく、うちがせっかく初心者の大神はんのためにって分かりやすいぼけかましたってのに、つっこみの一つもできへんなんて、これはもう犯罪的やで?」

 大きなため息をつく紅蘭に、大神は訳もなく自分が何か悪いことをしてしまったような思いに駆られる。
 ごめん、と頭を下げた大神に、しゃあないなぁーと紅蘭が笑った。優しい目で大神を見つめ、そんなところも大神はんらしいわーそう言う紅蘭に、大神の顔にもまた笑みが浮かぶ。
 そんな大神の笑い顔を見て紅蘭はほんの少しだけその頬を赤らめた。が、気を取り直すように小さく一つ咳払いをした後、

 「せやけどなぁ、大神はん。一つだけ忠告しておくから、よーく覚えとき」

 「?」

 「鋭く的確で、なおかつ笑いのとれるつっこみーこれができへんようじゃ、立派な隊長
には到底なれへんで?」

 真面目な口調でそう言った。
 それが真実なのか、はたまた紅蘭のたちの悪い冗談なのかー判断できずに大神は考え込んでしまう。
 普通の軍人であれば、そんな馬鹿な話があるかと、一蹴してしまうであろうことを、もしかしたらそんな基準もあるのかもと思うところが大神という青年のお人好しなところだ。そう言う部分を周囲の人からこよなく愛されている大神青年は、一つ頷き心を決める。
 嘘と言い切れないのであれば、信じるほかない、と。そして決心する。明日からは日頃の鍛錬に加え、つっこみの練習もそのメニューに加えること。もちろん恥ずかしいから、人に見られないようにこっそりと、だが。
 そっと拳を握り、大神は思う。これは花組のみんなにふさわしい隊長になるための試練なのだ、と。
作品名:花の名前1 作家名:maru