真白物語
Episode.1 皎潔の街
一.
この日――とぎ澄ましたような深い群青色の空が一面に広がって、幾重にもなる金色の光が地上に降りそそいでいた。晩秋の秋風がこの身に堪えるような、十月下旬のマサラタウンである。
その街を丘陵の上から眺めている青年がいる。
山間にある小さな街で、見下ろすと一面の田園風景が広がって、民家は十件程しか見当たらない。
この街から一番道路へと通じる道に掲げてある看板には、
――マサラは真っ白、汚れなき色。
と、あり、また、この街のことが記されている本には、
――この街の名であるマサラの由来は真っ白、つまり汚れなき色ということであり、元はマッシロタウンという名であったが、街の名士であるオーキド・ユキナリ博士の先祖に当たるオーキド・マサラというトレーナーの功績を称えてマサラに訛ったものである。
と、記してある。
青年にとっては見慣れた風景であるが、同時に懐かしくも感じられた。
年は恐らく二十歳前後といったところか。標準的な背丈の浅黒い肌をした、いかにもトレーナーらしい引き締まった体躯の青年で、少しくたびれた服を上下に着込んでいる。
彼の左肩には、黄色いねずみポケモン・ピカチュウが乗っかって、腰のベルトにはキラキラと輝くモンスターボールが五つ。
丘を下って、まっすぐに延びる田圃道を抜けると、小さな一軒家が見えてくる。彼はその一軒家の中へ入っていった。
すると、扉の開く音を聞いて、
「どちら様ですか?」
と、バリアーポケモン・バリヤードを伴って、奥から三十半ばぐらいの女性が走り出てきた。
女性は青年の姿を見るや、最初こそ驚いたように目を見張ったが、やがてにっこりと笑みを浮かべた。
その右頬にはえくぼが生まれている。
「おかえりなさい、サトシ……」
と、言い、それに対して彼は、
「た、ただいま。母さん……」
少々ぎこちなげに言った。
青年の名前をサトシという。
彼が故郷であるこの地、マサラタウンを再び旅立ってから、そろそろ三年もの月日が経つ。
「とにかく、あがって。すぐにお風呂を沸かしてあげるから――さ、ピカチュウも……」
「うん、ありがとう」
と言って、サトシは奥へとあがった。
風呂で身体を洗い、母・ハナコが用意をした服に着替えたサトシが居間へ行くと、テーブルの上には既に昼食が用意されていた。
サトシの好物であるカレーライスである。
「急だったから少し雑になってしまったけど……」
「いや、おいしいよ。やっぱり母さんの作ったカレーが一番だな」
「うふ、ふ……ありがとう」
ハナコは久しぶりに見る息子の姿に目を細めて、
「ところで、食べ終わったら博士のところに行くの?」
と、訊ねた。
博士とは、オーキド博士のことである。
「うん、そのつもり。ポケモンたちに早く会いたいからさ」
「そう」
サトシが十歳のみぎりから各地に旅に出て仲間としたポケモンたちは今、手持ちに加えているポケモンを除いておおむねオーキド研究所へと預けられている。
サトシはカレーライスを五皿もおかわりした後に、一度部屋に戻って仕度を終えると、
「行ってきます」
と、ピカチュウを肩に乗せてオーキド研究所へと出掛けた。
二.
この街はもともと人が少ないせいもあって、近隣の家同士の付き合いというものが大変に深い。既にサトシが帰郷したことが伝わっているのかオーキド研究所への道すがら、
「サトシ君お帰りなさい。元気そうで本当になによりだわ」
「今回は長くいるのかい。だったら、家にも顔を出してくれよ」
と言って、街の人々が声をかけてくれる。
サトシもその一つ一つにきちんと受け答えるのである。
オーキド研究所はこの街の海沿いにある、丘陵のうえに在った。
研究所と言っても、一軒家を改造したものでさほど大きくはない。だが、裏手にある庭はとても広大で、この庭にはこのマサラタウンから旅立った幾人にもなるトレーナーから預けられたポケモンたちが自然環境に近い状態で放し飼いにされている。
オーキド博士は、研究室にいた。
長らく助手を務めているケンジという青年と共に、この日十歳となった少年にポケモン図鑑とフシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメの三匹の内の一匹を授けるところであった。
「やあ、サトシ、久しぶり」
と、ケンジは親しみを込めて手を上げた。この二人は以前にオレンジ諸島を共に廻ったという経緯がある。
「ケンジ、久しぶり。――ご無沙汰しております、オーキド博士」
「いやあ、久しぶりじゃのう、元気そうでなによりだよ。ま、ま、こっちに来なさい。何年ぶりになるかな?」
「そうですね、また各地を巡って……もう、三年ほどになりましょうか」
「いやあ、もうそんなになるかなあ……そう言えば、たしかに以前あった時よりも大分逞しくなったように見えるよ……まったく、時が経つのははやいものだねえ」
「今度は長くいるのかい?」
と、ケンジが尋ねた。
「そうだね、今回ばかりは少し長めに居ようと思っているよ」
「それがいいな、ハナコさんもよろこぶだろうて。はっは、は……」
「こりゃ、どうも……」
サトシは頭に手を添えながら、苦笑を浮かべた。
と、ここで、
「あ、あの……」
傍らに控えている少年が口を開いた。
「おお、そうだ。――サトシ、この子はシュウヤ君といって、ほれ、サトシの家の近所にある成瀬さんの息子さんなのだが、以前からポケモントレーナーになりたいと言ってな……それで、十歳になった今日、ポケモンを連れて各地に旅に出るのだが、まあ、サトシと同じ路を辿ることになったというわけだよ」
「は、はじめまして……」
「こちらこそ、はじめまして」
少し緊張した面持ちで頭を下げたシュウヤに対して、サトシは爽やかな笑みを浮かべて応えた。
「それで、シュウヤ君、どの一匹にするかは決めたかい?」
「あ、あの……それが……まだ、決まらなくて……」
と、シュウヤはうなだれながら言った。
それもそうであろう、もうかれこれ二時間余り、放たれた三匹を前にしてその事が決められずにいるのだから……
三匹は待ちつかれたのかぐっすりと眠っている。
「まあ、よいよい……こういうことはそう簡単に決められることではないからな。ゆっくりとお決め、ひとまずは休憩を挟もうじゃないか」
「は、はあ……」
「はっは、は……昨日はあんまり寝ていないのじゃろう。眼の下に隈ができておるぞ」
「えっ……」
と、シュウヤは慌てて右手を眼の下に添えた。
微笑を湛えていたオーキド博士は三匹をモンスターボールに収めると、ふとケンジの方に向き直って、
「ケンジ君お茶を淹れてきてもらえるかな、ああ、あと茶菓子も忘れずにな……」
「わかりました、博士」
「ケンジ、俺も手伝うよ」
「ありがとう、サトシ」
三.
ケンジが茶菓をはこんできて、シュウヤに勧めた。
茶はなかなか上等なもので、茶菓子は醤油たれにつけたものを焼いた煎餅であった。
サトシとシュウヤは茶を飲みながら、煎餅をゆっくりと食べた。
「御馳走さまでした」