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ゆめのあとさき

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『どんなに僅かな時間でも、俺は、お前と一緒に――』


あの時の言葉は、決して嘘ではなかった。
確かに、迷っているクンツァイトの背中を押す為に動いた結果ではあった。
だがしかし、彼女に告げたあの言葉は、あの時の気持ちは、紛れもなく自分のスピリアの奥底から発せられた真実の叫びだった。
そのことを、今も変わらぬこの胸のあたたかさが、教えてくれる。



*****



「お兄ちゃん、」


ぼんやりと窓の外を眺めていたヒスイは、妹の声ではっと我に返った。


「もう、何回も呼んでるのに、ぜんっぜん返事しないんだから!」
「あ、いや…すまん」


半眼になったコハクに凄まれ、ヒスイは一瞬怯んで素直に謝る。
再びもう、と呆れたように呟くコハクも別段本気で怒っているわけでもなく、ただ溜息をついてヒスイの部屋に置かれた椅子にすとん、と腰を下ろした。


「で、何か用か?」


ベッドに寝転がっていた体を起こし尋ねると、コハクは少しだけ言いづらそうに言い淀む。


「…シーラおばさんが、お兄ちゃんに話がある、って…」


その言葉の意味することを悟って、ヒスイはあからさまに顔を歪めた。


「どうせまた縁談だろ? ンなもん、お前から断っておいてくれよ」
「、だって…!」


コハクの反論を聞く前に、ヒスイは再度ベッドに倒れこんだ。
そんな話を聞くくらいなら、先程までのように終わりの見えない思考の闇に沈んでいた方がマシだ。
そんなことを思っていると、不意に沈黙を破るコハクの呟きが、ぽとり、落ちる。


「…お兄ちゃん、本当に結婚、とか、しないつもりなの?」


咎めるような、というよりは、どこか悲しそうな声。
す、と目を細め、ヒスイは無意識の内に口を開いていた。


「お前はシングじゃなくても、いいのか?」
「っ、!」


息を詰める気配と大きく震えた瞳に、ヒスイは漸く自分が失言をしたことに気づく。


「悪い、コハク、今のは…っ」


跳ね起きてゴメンと力なく項垂れる兄に、コハクはふるりと首を振った。


「ううん、いいの。お兄ちゃんの気持ち、分かってるから…」
「…コハク…」
「わたし、お兄ちゃんがずっと苦しいまんまなの、知ってる。なのにずぅっと何にも出来ない自分が悔しいよ…わたしはお兄ちゃんの妹なのに…お兄ちゃんはわたしのお兄ちゃんなのに」


ヒスイは、己の不甲斐なさに唇を噛んだ。
コハクにこんな顔をさせてしまった上、今、どうしようもなく、泣きたくて堪らない。
コハクが、自分たちのことをそんな風に思って、それを長い間そうやって胸の内に秘め続けていたなんて、知らなかった。

兄貴失格だな。
そう自嘲気味に笑い、ヒスイはおもむろに窓の外、青い空を見やった。


「あれから三年、か…」


ぽつりと零された呟きに、コハクも釣られるように空を見上げる。


「…ちがうよ、お兄ちゃん。もうすぐ四年だよ」
「そうか? …そうだったな」


顔を見合わせて、二人は小さく笑いあった。
そうしてまたどちらともなく視線を外に流す。
空にはエメラルドの月が柔らかに輝いていた。



*****



無機質に輝く通路に、かつん、と足音が響く。
その音が寂しく感じないのは、きっと、ここにいるのが自分一人だけではないからかもしれない。
久々の再会に各々が各々にはしゃぐ声を聞きながら、ヒスイはリアンハイトから降り立った。


「変わんねえな…」


何年経っても、ここは変わっていない。
寒くもなく、暑くもなく、だのにどこかあたたかく、冷たい。
この四年の間に何度か、ソーマの解析をしたいというコランダームを訪れたことがあった。
ヒスイも、皆も、ここに来る度にいつも淡い期待のようなものを抱く。
けれどそんな思いすら許してはくれないかのように、今日も『いばらの森』は何ひとつ変わらない姿でヒスイたちを迎えてくれた。


「きゃはははっ! 遅いぞお前たち! 早くアタシにソーマを寄越せー!」
「むきー! コラン! その前に貸してるボクたちのソーマを返せぇ!!」
「きゃはははっ! イネスとヒスイのは返してあげてもいいけど、ベリルのはどーしよーっかなぁー! きゃはははっ!」


ぎゃんぎゃんと騒ぎ始めたベリルとコランダームに、ヒスイはシングとイネスと顔を見合わせ苦笑する。
変わっていないのは、『いばらの森』だけに限ったことではないのかもしれない。

暫く騒いでいたら気が済んだのか、コランダームはベリルのものも含め解析に貸し出していたソーマを返してくれた。
それと入れ替わりに、シングが己のソーマと、リアンハイトを借りる際にカルセドニーから預かってきた、かつてはペリドットのものであったソーマをコランダームに預ける。
一度に全員のソーマを解析に回さないのは、万が一の有事の時にソーマがひとつもないのは困るだろうと、小さな機械人が提案してくれたからだ。
ヒスイも、今日は訳あって来られなかった妹から預かっていたソーマをコランダームに渡す。


「あ、そーいえば、」


アンクレット型のソーマを小さな腕に抱えて、コランダームは何かを思い出したように呟いた。


「今回の解析で、お前のソーマに新しい進化が見つかったぞ」






「ねぇコラン、何でヒスイのソーマだけに進化が起きたのさ?」


ベリルの問いに、コランダームはくるくるとコマを回転させてうーんと唸る。


「お前たち全員のソーマに同系統の変化が見られたんだけど、その変化の推移がゲイルアークだけずば抜けてたの。その関係でソーマエボルブと似たないしは同等の進化が起こったんだという推論に至ったんだけど…」


と言葉を区切り、コランダームは回転を止めてにんまりと笑った。


「ベリル超〜変な顔! どうせあたしの説明ぜーんぜん理解できなかったんでしょ! きゃはははっ!」
「う、うるさいうるさーい!」


高速で回転しながら笑い続けるコランダームを睨むベリルの肩にぽん、と手を置き、イネスは柔らかく微笑む。


「要するに、スピリアの強さ、ってことよ」






シュン、と音を立てて開かれた扉の奥に、足を踏み入れた。
サンドリオンを来る度に訪れているこの部屋も、やはり何ひとつ変化は見られない。


「よォ、久しぶりだな、クンツァイト」


しんとした部屋にヒスイの声がわんと反響し、消える。
コランダームが施したというエメラルド色の保護結晶に包まれたクンツァイトには何の反応も見られない。
小さく唇を噛み締め、ヒスイは右手でもう片方の手のゲイルアークにそっと触れた。

本当に、お前に。
本当に、そんな力があるのなら。
一度だけでいい。
一瞬でも構わない。
どうか。

深呼吸をひとつし、ヒスイはゲイルアークを掲げた。


「行くぜ、相棒!」


きつく奥歯を噛み締め、目を瞑り、強く思う。
ただひとつのことを、強く、強く。
たったひとりのことを、強く、強く、想う。

どうか。
どうか。
頼む。


声にならない声で、ヒスイは叫んだ。
瞬間。
閃光が弾ける。
真っ白い輝きが部屋の中を埋め尽くし、そしてその光が消えた時、そこにヒスイの姿はなかった。






さわり、柔らかな風が吹く。
作品名:ゆめのあとさき 作家名:狗原綾菟