出逢い
求導女の名が出て少しムッとしたが「そうですか」と軽く流した。腕時計にちらっと目を遣りながら時間を確認する。車なら5分ほどで着いてしまうので、それを考えれば緊急でもない限り、あと15分ぐらいは大丈夫そうだ。ふと、隣の牧野へと視線を移す。
その時、司郎はある違和感を感じ取った。さっきはよく彼の顔をまじまじと見てなかったから気付かなかったけど明らかに顔が火照っている。しかも時折、ふらふらと体を小さく横に揺らしながら細く息を吸ったり吐いたりを繰り返していた。
最初に逢った時点でも様子がいつもと違うと感じてはいたが、これは明らかにおかしい。この長椅子に座るまで、相当無理をしていたのだろう。牧野の性格上ならあり得る。
「…もしかして熱あるんですか」
司郎が眉を潜ながら問うと牧野は、あははは…と、また無理をしているかのように苦笑いをしながら曖昧に答えた。
「あ、まぁ…昨日辺りから少し体調を崩していたのですが。今は大丈夫ですよ」
そう牧野は言っているもののどう見ても大丈夫そうには見えない。司郎ははぁ、と溜め息を吐くと、長椅子から立ち上がった。
「全く、自分の体調管理も出来ないようでは困りますよ。ほら、手貸してください。どうせ俺も病院に戻るんだ。午後からすぐの予約は入ってなかったと思うので一緒に行って診察しますよ。お金は払わなくて結構です。心配しないでください、あの求導女にも念の為連絡はいれておきますから」
本当に体調が悪いから診察しようと思ったの半分と、彼といる時間を延ばす口実半分で牧野に手を伸ばそうとした瞬間、――。
パシンッ、と指先に軽く痛みが走った。牧野に手を払われたのだ。
「いっ、いいんですっ! 本当に大丈夫ですから…」
牧野は顔を俯きながら早口気味にそう言った。
異様に冷たい態度。これではまるで拒否されてるみたいじゃないか。なんだというのだ。
滅多に動揺しない司郎でもこれには流石に頭にきた。
未だ下を向いている求導師の頭上から低く重たさを含んだ声を降らす。
「牧野さん、俺の事避けてるでしょ」
慌てて顔を上げた牧野は目を丸くしながら「そっ、そんな事は…」と言葉を濁す。隠しているつもりだろうが残念ながら兄はあまり嘘を吐く事は得意じゃない。顔に丸出しじゃないか。声も震えている。瞳に怯えきった色が濃くなる。ろくに嘘もつけないくせに言うもんじゃない。これでは怪しさばかりが積もっていくじゃないか。
「み、宮田さん? …もうそろそろ医院に戻られてはどうですか? その…きっと、次の患者さん達がお待ちになっていると思いますし、私もそろそろ掃除を再開しなきゃ八尾さんに怒られてしまう、」
そう言いながら立ち上がろうとした、牧野に司郎は彼の手首をガシッと強く掴んだ。これ以上ないくらいに握り締める。
「逃げる気か」
同時に、自分でも想像した以上に切羽詰まった声を出していたのに驚く。無論、牧野はすっかり動揺していて此方に向けている視線は恐怖を訴えるものでしかなかった。
「みやた、さ」
「貴方は俺をいつも避けていた。今だってそうだ。どうしてなんですか? 俺が宮田だからか。それとも俺のこの無感情な顔のせいか。態度か。答えろよっ!」
自分でも驚くくらい感情的になっていた。声を荒上げたのなんて何年ぶりだろうか。
「俺は…あんたの事がこんなにも、好きなのに…っ!」
あぁ、言ってしまった。当然牧野は目をぱちくりさせている。らしくない、こんな失言をしてしまうだなんて。
脱力して同時に握っていた手首を離す。ほんのり赤く、掴んだ跡が痛々しく残っている。
掴まれていた腕を法衣へと移動させる牧野。もう片方の手も含めて、両手でぶるぶると黒い布を握りしめると今まで黙っていた牧野がとうとう沈黙を破った。
「どう接していいかわからなかったんです」
蚊の鳴くような声でぽつり、と一言呟く。あの、誰にでも笑顔を振りまいている牧野が?
「あっ、いえ。だからといって嫌いだったとか決してそういうわけではないんです! 寧ろ…」
牧野が頬を赤らめながら言葉を続ける。
「寧ろ、宮田さんとは仲良くなりたいと思ってたんです…元はといえば同じ血を分けあった双子だし…」
恥ずかしそうに視線を斜め下に落としながら言う。
牧野の本音を聞いて今度は司郎が目をぱちくりさせる番だった。同じ血筋を持った兄の心の声。
「でも、誤解を招いていたなんて…ごめんなさい。」
「いえ、いいんです…俺も…いきなり問い詰めて…」
「…私も、宮田さんの事が好きでした。今だって勿論。でも、どうしていいかわからなくて…きっと恐れていたんでしょうね。嫌われたらどうしようとか。敢えて距離を置こうとか。自然と自分の中で」
牧野の目元に小さな海が宿る。やがて必要以上にそこが潤っていくのが司郎には見てとれた。
「だから今、すごく嬉しくて…あぁ、すいません…どう言葉にしていいのか…っ」
遂に牧野の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。綺麗な色の、穢れなく透明な、滴が床に落ちていく。
「牧野さん…」
「宮田さん…好きですっ、私もあなたの事が…っ!」
すっかり涙声になっている兄の声を耳にしながら、しかし敢えて最後まで聞かず、抱き寄せる。
「好きなんでしょ? 兄さん」
意地悪く耳元で囁いてやると案の定、耳たぶを真っ赤にして牧野が頷く。あの求導女が来たらどんな顔をするのだろう。きっと悲鳴を上げるか、通り越して唖然とするかだろうな。
「さて、医院へ向かいますので一緒に車に乗りましょう」
***
「――たさん……宮田さん!」
自分によく似た、でも少し高めな声に呼ばれて我に還る。目の前には牧野の心配そうな顔が覗いていた。
「どうしたんですか? さっきから上の空だったみたいですが…」
過去の想いを勝手に巡らせていたらしい。牧野には聞こえないだろう。ハッと小さく乾いた笑いが漏れる。宮田は肩を軽く上下させ牧野に言った。
「いえ、すいません。で、なんですか?」
「はい、実は…」
教会でのあの出来事からすぐに宮田医院へと連れて行って牧野を診察した。思った通り、熱を出していた牧野には処方箋を渡した、その日はそれで終わった。が、それ以来、牧野の司郎に対しての態度はすっかり変わった。前みたいに目が合う度に肩をいたいちビクッと震わせたり、瞳に宿っていた動揺の色はすっかり消え失せ、自然でかつ穏やかに接してくれるようになった。正直、今では村人達と話しているより雰囲気が柔らかいんじゃないかと思うぐらいだ。
今、こうして生き別れていた兄と病院の診察室で会話をしているのはあの時からすると不思議な光景と思えるに違いない。だって成人してから出会った当初の牧野と司郎といったら仲がギクシャクしていたのだから。自分の実の兄が求導師として信頼を寄せられている事に対しての羨望感と複雑な気持ちがいがみ合っていたからだ。そして今思えば、そこには微かだが、あの求導女にすがる彼に対しての嫉妬心もあったのも確かなのだが。
紆余曲折とあったが今こうして2人でいられるのだから結果良ければ全て良しだ。