物語にもならぬ物語
「・・・・・・長官ッ」
「なんだい。大声を出さないでくれるかい?お前でも消すよ」
僕は書物に書かれた文字を読んでいく。
美しくはないが、丁寧で見やすい文字は、内容と合わさり、中々興味深い。
僕は背後で焦った気配を無視して思考を再開する。
東洋の印刷の技術が浸透仕切れず、紙に直接文字を書き、
それをまとめた「本」が主流になっているこの国において、本を何冊も作ろうと思えば、
製本元が何人もの技師を雇い行う作業となる。当然の結果として、
本は(僕の国に比べればだが、)高価なものとなり、庶民の手に渡ることはほとんどない。
その多くが貴族や土地土地の富豪に買い占められ、またその貴重性からか、
代々大事に保管されてきた蔵書は代々の当主のみしか閲覧することはかなわないのが常だ。
もちろん、「だからこそ」禁書の類があるのはそこなわけだが。
そして、僕がもっとも興味を示す情報の類はたいがいそこに埋もれている。
この国だけではない、
この西洋の国々における「情報」とは対外「特権階級」が握っている。
どこもかしこもマヤカシだらけ。
正義も悪も関係ない。
財力
権力
情報力
それらをもったもの達が支配するのが今の世界。
全く
乱れきって吐き気がする。
「・・・・消される前に、長官が捕まりますよ」
ぼそりと呟かれた言葉に、僕は思考を中断し、
本を閉じる。
「この【僕】を【捕まえる】?」
茶番にもほどがある。
「誰が捕まえるんだい?.........司法の番人たるこの僕を。
なぁ・・・・随分お前も言うようになったね。消えるかい?」
言葉と同時に殺気を浴びせてみれば、数瞬ひるむ気配がするものの、
それでも、声の相手......祖国からくっついてきた僕の従者は.......普段は滅多に見せない
根性を発揮する気になったらしい。
「確かにあなた様は司法の主であり、私の王であらせられます。
ですが、長官。ここは幾ら廃屋とはいえ、この国の貴族の居城ですよ」
怯えながらも(実際4割ほどは演技だろうが、伊達に僕の従者を務めているわけではない
僕でさえこいつの本気を見たことはないが、おそらくは僕にはやや劣るくらいの実力だろうと踏んでいる)
言葉を繋ぐ相手に、消すのを取りやめしばし、つきやってやることにする。
「そんな事はお前に言われずとも判っているよ。
だが、ここは此だけの禁書を持ちながらも長年放置されていたこともまた事実だ。読まれぬ本ほど哀れなものはないからね」
「・・・・・・その言葉だけ聞くと長官が物凄くいい人のようですね」
「ふん。僕がいい人?虫ずが走る」
鼻で嗤い、手に持っていた本を棚へと戻す。
その際、
天窓から差し込む光の中埃が舞い、朽ちかけた古城の書庫に、数瞬沈黙が満ちる。
見渡す限り
本
本
本本ほんほんほん.......
本の山脈が幾重にも連なる書庫は、この城をかつて統べたという一族の絶大な権力と、
その一族の「古さ」を思い知る。喩え、この国の王族といえど、この量を集めるには数世代を要するだろう。
それをたかだか、イタリアの一地方の貴族が持っている。不可解でそれ故に興味をそそられる事でもある。
「・・・・・・やはり勿体ないね」
巨大な書庫を見渡しながら僕は呟く。
「ですが、ここは『この国の貴族』の『居城』であり、この国の【情報】が詰まった場所です。
『貴方様』が関与することはまかり成りません」
呟きに律儀に反応した従者に、冷笑で返す。
「・・・・・アラウディ様」
返事を返さず、唯一書物の山に埋もれていない窓へと近づく僕へ、
静止するかのように名が(こいつが名前呼びするときはよほど腹に据えかねてるか、
焦っているかのどちらかだ。今回は後者だろうが)呼ばれるが、僕はそれをむしする。
「焔に呪われ、家督争いの果てに滅びた一族、ね。」
この国の暗部に脈々と伝わってきた血脈の末裔がお家争いをしていたのは、
裏では有名な話だ。
喉奥で笑い、僕は視線を窓の外のそれへと向ける。
「争いの末残ったのは最後の当主の実弟と当主の不義の息子一人だけ.........だっけ」
そして、その実弟は家族と屋敷の者を惨殺し、当主の息子に殺されて悲喜劇の幕を下ろした。
僕が調べ上げた情報はそれ以上は何もない。
かの悲喜劇がどのようにはじまり、幕を引くまでに何があったか。
そんな細部にいたる情報は一切あがってこなかった。
見事なまでに統制された情報。
それをやったのが誰なのかは調べがついている。
「この世の煉獄を生き抜いた『生き残り』はどんな化け物かとおもえば.......」
眼下を見下ろしながら僕はくっと口角を上げる。
「案外綺麗な顔をしているじゃないか」
日の光を浴びて透き通る金糸を揺らめかせ、黒衣の少年、
いや、もう青年に差しかかっているのだろうか.......が草木の中を歩いてくるのが微かに見える。
その傍らには、よく凝視していないと風景にとけ込みそうな長髪の青年の姿。
少年の姿形は事前に従者に調べさせたものと一致するが、青年の方と言えば.....
「それに面白い者も連れている」
まるで、言葉に合わせたかのように、不意に金色の少年が上を向き、
距離が離れているものの、
確かに、
視線があった。
金色の瞳が不思議そうに瞬き、此方を見つめ返す。
深いようでいて浅い、浅いようでいて深淵なんて見えない。
そんな、瞳。
「アラウディ様!!」
言わんこっちゃないとばかりに従者が叫び、背後へと腕を引かれる。
ざわりと周囲を黒い影......それまでこいつが潜んでいた僕の影.....が覆い、
「昔から貴方と来たらどうしてそう、やっかいなものばかり関わりたがるんですか!!」
久方ぶりに見た奴は細い目をつり上げて凄んできた。
全くうっとうしい。昔の事まで持ち出して。
「消しがいがあるだろう?」
「後で幾らでも付き合ってあげますから『あれ等』は駄目です」
あの少年も、その傍らの奴も『並』じゃない。
そういって顔をしかめ術をあみながら、移動を試みようとしていた従者であり術者である男の瞳が、
僕が取り出した物を見てまた吊り上がる。
「貴方様はまたそんな物を持ち出して!!!」
「たかだか禁書の数冊だよ。」
「数冊!?追われたらどうするんですか!!!
そこにどれだけの情報が詰まっていると思ってるんです!?」
「大丈夫だよ。」
恐らく追ってはかかりはしないだろう。
「何を根拠に!」
「単なる僕の勘だよ」
その言葉に絶句した術者がまた何か言いかけたが、
「五月蝿いね。」
「っ!?」
いい加減しびれを切らし、
その頭をけり飛ばし、術をとかせる。
僕らが飛び出した場所はちょうどよく森と街の中間地点のようだ。
ここからなら、日暮れまでには塒(ねぐら)に戻れるだろう。
「さっさと、塒に戻るよ」
痛みのあまり地面に蹲る背中を踏みつけて命令する。
「・・・・頭から血を流している部下に対してその仕打ちですか」