錆声
文次郎
全てが嫌になったある日の夜。とりあえず仕事を投げ出して、自棄酒を煽ってみた。だがどんなに呑んでも嫌な気分は増すばかり。このまま酒を呑み続けても、気が晴れそうにないことは明白だった。
「誰か呼ぶか」
誰に言うでもなく小さく呟いて、机の上で書類に隠れかけていた携帯電話を取り上げた。電源を入れ、幾つかのボタンを押す。しかし従順に動いていた親指の動きがふと止まる。そのまま悩むように指が携帯の少し上を漂い、とまった。液晶の照明が少し暗くなる。仄暗い照明に浮かぶ画面には名前の羅列。
今呼べる奴などいない。そう気づき、その事実をすっかり忘れ去っていた自分に少し呆れる。表示されている電話帳に登録されている名前は殆ど、仕事を通じて知り合った者ばかりだ。数少ない気の置けない同期の人間は、おそらくみな同じように時間に追い立てられているだろう。
――こんな時に呼び出して愚痴を言えるような友人もいないのか。
必要な事以外全てを切り捨ててきた、その結果がこれだ。生きていく上ではなんら困らない些細なことだと思っていたが、その些細なことに今自分は打ちのめされている。その事実に小さくため息を吐くと、再び指を動かした。画面が明るくなり、次々と違う名前が現れる。ぼんやり眺めていると、とある名前が浮かびあがってきた。
懐かしい名前だ。
学生時代、常人とは比べものにならない体力と行動力で騒ぎを起こしては、自分を含む周囲の人間を巻き込んでいた同級生。本人に悪気がないのにずいぶん悩まされたものだが、自分に非があればきちんと認めるし、根気よく諭せば二度と同じことはしなかった。理解できずに繰り返すことも多かったが、幼い頃から全くと言っていいほど変わっていないらしいその素直さ純粋さで、なんだかんだいって皆に愛されていた。それを、羨ましいと感じていたのも事実だ。
何年会っていないだろうか。もう忘れられているかもしれない。そんなことが頭をよぎり苦笑をもらす。どうやら自分は思っていたよりも参っているようだ。ここまできたらいっそのこと、いきなり電話をして驚かせてやるのもいいかもしれない。
「あんた誰?」
などと言われたら、どうしようか。昔の思い出を語ってやるのもいいかもしれない。どうせなら、羞恥心なんてものをほとんど持っていないであろうあいつでも恥ずかしい思い出にしよう。それでも思い出さなかったらどうしようか。いや、それならそれでいい。俺は今酔っているんだ。酔っぱらいとは自分本位で意味不明で迷惑なものなんだ。自分でも訳の分からない言い訳を脳内でつらつらと並べながらボタンを一つ押す。
普段なら気にすることもない些細な事柄に、柄にもなくへこみっぱなしな自分を持て余しながら。
全てが嫌になったある日の夜。とりあえず仕事を投げ出して、自棄酒を煽ってみた。だがどんなに呑んでも嫌な気分は増すばかり。このまま酒を呑み続けても、気が晴れそうにないことは明白だった。
「誰か呼ぶか」
誰に言うでもなく小さく呟いて、机の上で書類に隠れかけていた携帯電話を取り上げた。電源を入れ、幾つかのボタンを押す。しかし従順に動いていた親指の動きがふと止まる。そのまま悩むように指が携帯の少し上を漂い、とまった。液晶の照明が少し暗くなる。仄暗い照明に浮かぶ画面には名前の羅列。
今呼べる奴などいない。そう気づき、その事実をすっかり忘れ去っていた自分に少し呆れる。表示されている電話帳に登録されている名前は殆ど、仕事を通じて知り合った者ばかりだ。数少ない気の置けない同期の人間は、おそらくみな同じように時間に追い立てられているだろう。
――こんな時に呼び出して愚痴を言えるような友人もいないのか。
必要な事以外全てを切り捨ててきた、その結果がこれだ。生きていく上ではなんら困らない些細なことだと思っていたが、その些細なことに今自分は打ちのめされている。その事実に小さくため息を吐くと、再び指を動かした。画面が明るくなり、次々と違う名前が現れる。ぼんやり眺めていると、とある名前が浮かびあがってきた。
懐かしい名前だ。
学生時代、常人とは比べものにならない体力と行動力で騒ぎを起こしては、自分を含む周囲の人間を巻き込んでいた同級生。本人に悪気がないのにずいぶん悩まされたものだが、自分に非があればきちんと認めるし、根気よく諭せば二度と同じことはしなかった。理解できずに繰り返すことも多かったが、幼い頃から全くと言っていいほど変わっていないらしいその素直さ純粋さで、なんだかんだいって皆に愛されていた。それを、羨ましいと感じていたのも事実だ。
何年会っていないだろうか。もう忘れられているかもしれない。そんなことが頭をよぎり苦笑をもらす。どうやら自分は思っていたよりも参っているようだ。ここまできたらいっそのこと、いきなり電話をして驚かせてやるのもいいかもしれない。
「あんた誰?」
などと言われたら、どうしようか。昔の思い出を語ってやるのもいいかもしれない。どうせなら、羞恥心なんてものをほとんど持っていないであろうあいつでも恥ずかしい思い出にしよう。それでも思い出さなかったらどうしようか。いや、それならそれでいい。俺は今酔っているんだ。酔っぱらいとは自分本位で意味不明で迷惑なものなんだ。自分でも訳の分からない言い訳を脳内でつらつらと並べながらボタンを一つ押す。
普段なら気にすることもない些細な事柄に、柄にもなくへこみっぱなしな自分を持て余しながら。