Be for you
Be for you
毎週火曜日の夕方六時から七時半までと、土曜日夕方五時半から八時まで。
担当教科は数学、物理、化学の理数系を基本として、必要と希望があれば選択性の美術なんかの実技を除いたほぼ全般を漏れなくカバー。
報酬は月三万円の月謝と授業後の夕飯。
難解なことで有名な某国立大学理学部の現役大学三年生。それが、俺の先生。
「うん、出来てるな」
パラパラと、自作のプリントに書かれた回答をルーズリーフに記していた答えと照らし合わせつつ、満足そうに頷いて久々知先生はそう呟いた。
その呟きを聞いて、いつまで経っても慣れない採点中の緊張感に畏まっていた俺の体からも、ようやく力が抜けて思わず安堵の溜息が漏れ出る。
毎回の授業後に行われる確認のテストはその日の先生の指導をちゃんと聞いていれば決して難しい物ではない。
けれども、だからこそ悪い点を取れないというプレッシャーがかかるものだから、家庭教師をして貰うようになって直に半年経つというのに未だに結果を聞くまで全く気が抜けないでいる。
「一個だけ、計算違いがあるな。単純な書き間違いだけど、試験の時はこういうケアレスミスで大きく差がつくから。
気をつけて、一問一問を慎重に解くこと。最後に見直すのも忘れないように」
「はい、先生」
椅子を引き、俺の真横で採点済みのプリントを見返して成果を確認している先生の手元を覗き込む。
プリントの中で自己主張をしている、赤ペンで描かれた丸の中に一つだけ混じるチェックマークを指差す手の先の形良い爪に次いで、何気なく上げた目線の中に映った至近距離にある横顔の、緩く上向きに反った睫の長さに思わず目が釘付けになった。
いかにも研究者然とした理数系らしい線の細い身体に洗いざらしのシャツの襟元に覗く骨ばった鎖骨の窪み。
頬にかかる艶やかな黒髪が空調の風に揺られて俺の鼻先をくすぐった。
「ここの計算式は、だから」
不意に、横に座る俺に説明をしようとしてかこちらを振り返ろうとした先生の視線が、見惚れていた俺の視線と思いがけずかち合って。
言いかけた言葉を途中で飲み込んで俯き気味になるのを追っていた俺の目には、ゆっくり目を伏せた先生の瞼が、一度だけ瞬きをしたのが見えた。
「間違いが一個だけってことは、セーフ…だよ、な?」
逸る心臓を抑えつつ、期待を抱きながら確認の問いを口にした俺がその腕に軽く触れても、先生はその手を振り払いはしなかった。
噤んだ口元を見つめ「先生」と、応えを促せば俯く顔に寄せた眉根が僅かな逡巡を見せたが、小さく息を呑んだ気配の後で肯定の意を含ませて頭が下げられた。
「んっ…ふ、…ぅ…っ」
重ね合わせた唇の隙間から時折甘い吐息が漏れ出る。
快感を追う事に没頭して舌を絡ませる事に気をやり過ぎると、ともすれば膝の力が抜けてその場にくず折れてしまいそうになる危うい身体をお互いに支え合って。
密着した身体を通して伝わる互いの鼓動が体内で反響し、耳を犯すように絡みつく水音と共に昂ぶる気持ちを更に熱く煽る。
相手の呼気を奪うように貪る口付けは激しく、息苦しさに逃げる舌を尚も追いかけ絡め捕らえて放さない。
「ぅ、んぁ…や、ふぁっ…」
漏れ出る吐息に絡む艶声。すでに幾度と無く交わしたキスで知り尽くした相手の感じやすい箇所を舌先で擽る様に責めれば、委ねられている肢体は顕著に反応を見せて、そんなごく小さな刺激にすら呼応して肩が何度も小さく跳ねる。
時折口内に溜まってしまう唾液を飲み下す、その一瞬の行為の切れ間の隙にお互い塞がれていた気道に酸素を補給して。
唇を重ねたまま何度も角度を変えつつ続くキスに昂ぶる気持ちで全身の体温は上昇の一途を辿る。
煽られるままにより一層深く口付けをと惹き付けられる心を抑えられず、伸びかけの黒髪に指を埋めて頭を固定してキスを繋げる俺には乱れを見せる息すらも愛しく、紅潮し出した頬に指先を滑らせると潤んだ瞳で見つめ返された。
情欲を掻き立てるその視線に、背筋の産毛が総毛立つ程にゾクゾクした。
ちゅくちゅく…と絡ませ合う舌が間断なく立てる濡れた音が引き起こす卑猥な連想に歯止めが効かず、頭を支えているのとは逆の手が自然と先生のシャツの合わせ目に向けて滑り、明確な意思を持って薄い胸元をまさぐり出した、その矢先。
ピタリと重ね合わせていたはずの互いの身体の間に隙間が生じた。
先生は僅かに身体を引いて距離を取ると、シャツの隙間から挿しいれて熱を帯びた素肌を探り当てようとしていた俺の手を取り、やんわりとその先を制止した。
「ご褒美はここまで、だろ…?」
柔らかい口調ではあるけれど、控えめに口にしたその言葉には抑え切れていない色香を匂わせておきながらも、確とした拒絶の色をそこに滲ませている。
「あ、はい…」
唐突に堰き止められて、昂ぶった熱が徐々に波引いていくのが分かった。
キスのその先を拒否した先生の頬は未だ昂ぶった体温に仄かに赤く色付いているが、それでも何事もなかったかのように振舞う先生の素振りは、すでに気持ちの切り換えを済ませてしまっているのが目にも明らか。
直前までは嫌がっていないどころか、自分から進んで舌を絡ませて来ていた程だったのにと思いはしても、あまりの先生の態度の切り換えの見事さに口に出せなくなってしまっていた俺は心中で困惑するばかり。
戸惑いを隠せずにただ棒立ちしている俺には目もくれずに、居住まいを正した先生が見やった腕時計は時を刻む長針がすでに『8』の数字を通り過ぎてしまっていた。
毎回の授業後に行う確認のテストで、その日の授業内容をちゃんと理解していればキス一回。
学校の小テストで平均点以上を納めたら溜まっているのを手で抜いてくれるし、これが満点なら口で、俗に言うところのお口でご奉仕ってやつを一回。
学力検査や試験で予め規定した目標より好成績を納めたら、達成科目の数だけセックスで。
「…どう思うよ?」
「正直に言わせて貰うとだな」
「おう」
「知るかボケ」
「ヒデェ」
にべもない突き放しっぷりに、思わずテーブルに頭を突っ伏してしまった。
二人掛けの小さなテーブルで、向かい側の席からはズズズッ…とストローからドリンクを啜る音だけが伏した耳に届く。
「珍しく神妙な顔して相談があるとか言うから、一体何かと思えば、惚気か。アホらしい」
吐き捨てるように毒突くと、手にしたバーガーを大口開けて一齧り。
話を聞いた途端に目に見えて機嫌を悪くした悪友の態度ときたら、相談を持ちかけた俺を気遣って行きつけのファーストフード店に着くなり、わざわざ人目を避けた隅の席を選んでくれた最初の時とは大違いだ。
「三郎にはアホらしいかもしれないけどな。でも、俺には重大な事なんだよ」
冷め始めてしなびてきたセットのポテトを一摘みして口に運ぶ。
思ったよりポテトの塩気が大分塩辛かったものだから、咀嚼するだけで口の中には余分に唾液が滲み出てくる。
毎週火曜日の夕方六時から七時半までと、土曜日夕方五時半から八時まで。
担当教科は数学、物理、化学の理数系を基本として、必要と希望があれば選択性の美術なんかの実技を除いたほぼ全般を漏れなくカバー。
報酬は月三万円の月謝と授業後の夕飯。
難解なことで有名な某国立大学理学部の現役大学三年生。それが、俺の先生。
「うん、出来てるな」
パラパラと、自作のプリントに書かれた回答をルーズリーフに記していた答えと照らし合わせつつ、満足そうに頷いて久々知先生はそう呟いた。
その呟きを聞いて、いつまで経っても慣れない採点中の緊張感に畏まっていた俺の体からも、ようやく力が抜けて思わず安堵の溜息が漏れ出る。
毎回の授業後に行われる確認のテストはその日の先生の指導をちゃんと聞いていれば決して難しい物ではない。
けれども、だからこそ悪い点を取れないというプレッシャーがかかるものだから、家庭教師をして貰うようになって直に半年経つというのに未だに結果を聞くまで全く気が抜けないでいる。
「一個だけ、計算違いがあるな。単純な書き間違いだけど、試験の時はこういうケアレスミスで大きく差がつくから。
気をつけて、一問一問を慎重に解くこと。最後に見直すのも忘れないように」
「はい、先生」
椅子を引き、俺の真横で採点済みのプリントを見返して成果を確認している先生の手元を覗き込む。
プリントの中で自己主張をしている、赤ペンで描かれた丸の中に一つだけ混じるチェックマークを指差す手の先の形良い爪に次いで、何気なく上げた目線の中に映った至近距離にある横顔の、緩く上向きに反った睫の長さに思わず目が釘付けになった。
いかにも研究者然とした理数系らしい線の細い身体に洗いざらしのシャツの襟元に覗く骨ばった鎖骨の窪み。
頬にかかる艶やかな黒髪が空調の風に揺られて俺の鼻先をくすぐった。
「ここの計算式は、だから」
不意に、横に座る俺に説明をしようとしてかこちらを振り返ろうとした先生の視線が、見惚れていた俺の視線と思いがけずかち合って。
言いかけた言葉を途中で飲み込んで俯き気味になるのを追っていた俺の目には、ゆっくり目を伏せた先生の瞼が、一度だけ瞬きをしたのが見えた。
「間違いが一個だけってことは、セーフ…だよ、な?」
逸る心臓を抑えつつ、期待を抱きながら確認の問いを口にした俺がその腕に軽く触れても、先生はその手を振り払いはしなかった。
噤んだ口元を見つめ「先生」と、応えを促せば俯く顔に寄せた眉根が僅かな逡巡を見せたが、小さく息を呑んだ気配の後で肯定の意を含ませて頭が下げられた。
「んっ…ふ、…ぅ…っ」
重ね合わせた唇の隙間から時折甘い吐息が漏れ出る。
快感を追う事に没頭して舌を絡ませる事に気をやり過ぎると、ともすれば膝の力が抜けてその場にくず折れてしまいそうになる危うい身体をお互いに支え合って。
密着した身体を通して伝わる互いの鼓動が体内で反響し、耳を犯すように絡みつく水音と共に昂ぶる気持ちを更に熱く煽る。
相手の呼気を奪うように貪る口付けは激しく、息苦しさに逃げる舌を尚も追いかけ絡め捕らえて放さない。
「ぅ、んぁ…や、ふぁっ…」
漏れ出る吐息に絡む艶声。すでに幾度と無く交わしたキスで知り尽くした相手の感じやすい箇所を舌先で擽る様に責めれば、委ねられている肢体は顕著に反応を見せて、そんなごく小さな刺激にすら呼応して肩が何度も小さく跳ねる。
時折口内に溜まってしまう唾液を飲み下す、その一瞬の行為の切れ間の隙にお互い塞がれていた気道に酸素を補給して。
唇を重ねたまま何度も角度を変えつつ続くキスに昂ぶる気持ちで全身の体温は上昇の一途を辿る。
煽られるままにより一層深く口付けをと惹き付けられる心を抑えられず、伸びかけの黒髪に指を埋めて頭を固定してキスを繋げる俺には乱れを見せる息すらも愛しく、紅潮し出した頬に指先を滑らせると潤んだ瞳で見つめ返された。
情欲を掻き立てるその視線に、背筋の産毛が総毛立つ程にゾクゾクした。
ちゅくちゅく…と絡ませ合う舌が間断なく立てる濡れた音が引き起こす卑猥な連想に歯止めが効かず、頭を支えているのとは逆の手が自然と先生のシャツの合わせ目に向けて滑り、明確な意思を持って薄い胸元をまさぐり出した、その矢先。
ピタリと重ね合わせていたはずの互いの身体の間に隙間が生じた。
先生は僅かに身体を引いて距離を取ると、シャツの隙間から挿しいれて熱を帯びた素肌を探り当てようとしていた俺の手を取り、やんわりとその先を制止した。
「ご褒美はここまで、だろ…?」
柔らかい口調ではあるけれど、控えめに口にしたその言葉には抑え切れていない色香を匂わせておきながらも、確とした拒絶の色をそこに滲ませている。
「あ、はい…」
唐突に堰き止められて、昂ぶった熱が徐々に波引いていくのが分かった。
キスのその先を拒否した先生の頬は未だ昂ぶった体温に仄かに赤く色付いているが、それでも何事もなかったかのように振舞う先生の素振りは、すでに気持ちの切り換えを済ませてしまっているのが目にも明らか。
直前までは嫌がっていないどころか、自分から進んで舌を絡ませて来ていた程だったのにと思いはしても、あまりの先生の態度の切り換えの見事さに口に出せなくなってしまっていた俺は心中で困惑するばかり。
戸惑いを隠せずにただ棒立ちしている俺には目もくれずに、居住まいを正した先生が見やった腕時計は時を刻む長針がすでに『8』の数字を通り過ぎてしまっていた。
毎回の授業後に行う確認のテストで、その日の授業内容をちゃんと理解していればキス一回。
学校の小テストで平均点以上を納めたら溜まっているのを手で抜いてくれるし、これが満点なら口で、俗に言うところのお口でご奉仕ってやつを一回。
学力検査や試験で予め規定した目標より好成績を納めたら、達成科目の数だけセックスで。
「…どう思うよ?」
「正直に言わせて貰うとだな」
「おう」
「知るかボケ」
「ヒデェ」
にべもない突き放しっぷりに、思わずテーブルに頭を突っ伏してしまった。
二人掛けの小さなテーブルで、向かい側の席からはズズズッ…とストローからドリンクを啜る音だけが伏した耳に届く。
「珍しく神妙な顔して相談があるとか言うから、一体何かと思えば、惚気か。アホらしい」
吐き捨てるように毒突くと、手にしたバーガーを大口開けて一齧り。
話を聞いた途端に目に見えて機嫌を悪くした悪友の態度ときたら、相談を持ちかけた俺を気遣って行きつけのファーストフード店に着くなり、わざわざ人目を避けた隅の席を選んでくれた最初の時とは大違いだ。
「三郎にはアホらしいかもしれないけどな。でも、俺には重大な事なんだよ」
冷め始めてしなびてきたセットのポテトを一摘みして口に運ぶ。
思ったよりポテトの塩気が大分塩辛かったものだから、咀嚼するだけで口の中には余分に唾液が滲み出てくる。
作品名:Be for you 作家名:いつき りゅう