Be for you
「フリだけで…そんなのだけで軽々しくこんなこと出来るくらいだったら苦労してない…っ」
「苦労って?俺と付き合うのって、やっぱムリしてたんだ?」
「そうじゃなくって…そんなんじゃなくて…」
あぁ、マズイ。
自分の声が冷たくなっているのが分かる。
断定されてしまうのが怖くてずっと逃げていた自分を棚上げしておいて、まるで先生を責めているようにも聞こえてしまう口調になっているのに気づいているのに、口から出る言葉は止められなかった。
追い詰めたい訳じゃない。
ただ、先生が苦しんでたんなら俺は身を引いた方がいいんじゃないかって、そう思ったのに。
俺に言われた言葉が衝撃的だったのか、見上げている先生は傷ついた瞳をしていた。
動揺が強すぎてうまく回らないらしく、もどかしそうに震わせるその口が言い訳を口にするのを待ち望んでいる。
口では突き放すような言葉を吐いておきながら、この手は俺に寄りかからんばかりに接近した肩を手放し難く抱いている。
そんな矛盾を抱えている俺の様子にすら目をやる余裕もないようで、先生は更に言葉を重ねて言った。
「お前に好きだって言われて…告白されて嬉しかった。嬉しかったんだ、本当に」
弱々しいけれども必死な声音とその内容に、頭の奥がぐらりと揺れた。
「お前が疑う気持も理由も分かるけど…。
でも、好きでもないのにあんな事出来るほど…っ、俺、割り切れてなんかない」
「じゃあ、先生の言う『あんな事』っていうのが出来たのは何で?」
ズルイ物言いだと、我ながらに思う。
明言出来ずに言葉を濁している事からも、先生にとってはすごく言い辛いことだってのはよく分かっているのに、先生の口からはっきりと肯定して貰いたくて、話を蒸し返してる。
「それは…」
途端に口ごもる先生の顔はいつの間にやら耳たぶまで真っ赤。
初めて見るそんな表情に釣られて俺の頬も熱を帯び出した。
踏ん切りがつかないのか、なかなか言葉の続きが出てこない。
沈黙がやけに長く感じる。
言って。早く言ってくれ。内心焦れつつも、躊躇いを見せるその口が開かれるのをじっと待った。
「…好き……だから」
実際にかかった時間の数倍も長く感じた沈黙の後に、ようやく喉の手前で足踏みしていた言葉が吐息と共に転がり落ちる。
無理に搾り出した様なささやかな声音ではあったけれど、望んでいた言葉そのままの告白を聞けて知らず張り詰めていた緊張の糸が緩み、安堵の息が吐き出された。
肩から力が抜けていき、頭が項垂れ沈み込むのを見て驚いた先生が、「大丈夫か?」と心配そうに声をかけてくれた。
「その言葉が聞きたかったんだ…」
肝心な言葉を見失っていた俺にとってはずっと不安でたまらなくて、無理に奮い立たせて構えていた反動なのか安心した途端に口元が緩んできた。
か細い笑いを口端から垂れ流す項垂れた頭を肩に乗せて、慎重な手つきで背中をさすって宥めてくれたから、お返しにと俺の方からも背中に手を回して抱きしめる。
「先生、ずっと俺に対して微妙に線を引いてる感じがしてたから…誘っても上手いこと逸らされてばっかだし、どうすりゃいいんだろうって思ってた」
「お前が線を引いてるって感じたのは…、俺がけじめに拘ってたからだよな?」
「ゴメンな」と、耳元で囁かれてやっと聞き取れるくらいの小さな謝罪には色んな意味が篭ってた。
「雇われてる身で勉強を疎かにさせるなんて、絶対やっちゃいけない事だと思ってるから」
散々俺を悩ませた先生の公私を分ける一貫した行動規範と同様に、信条を口にした先生の声には微塵もブレが感じられなかった。
いやいや、でもちょっと待って欲しい。
「それって、勉強が疎かにさえならなければ、先生的にはご褒美は許容範囲ってこと?」
「いや、それはアイツが…」
「アイツ?」
初めて耳にした俺の知らない交友相手の陰に、思わず声に剣呑な物が混じってしまう。
「友達に、年下の受験生と付き合うことになったって、相談した時に…年上として自粛するのも必要だけど、やる気が出る程度には色々妥協した方がいいんじゃないか?とか、受験控えてるっからって、何もしないで我慢させてたら浮気されるかもよ?とか…色々、その…言われた、から…」
きまり悪げに目線を彷徨わせながら言ったその内容に、若干肩がずり落ちそうになったのを寸での処で堪えた。
そんな、一部からかいも含んでそうな友人のアドバイスを真に受けて、あれだけの事をやったのかこの人は。
浮気をされたくなかったと告白しているも同然の言葉を吐いた事には気づいていないらしい先生は、唐突に脱力しかけた俺の様子を心配そうに窺っている。
行為には慣れても、実際に始めるまでの間のやりとりで抱く恥ずかしさだけは、いつも拭い切れてなかったくせに。
生真面目で責任感が強くて、自制心も半端ない癖して、なのに変なところで大胆で、俺に浮気して欲しくなかったからと、その一心で湧き上がる羞恥も堪えて尽くそうと懸命に身を張って。
なんて愛しい存在。
「なあ先生。受験に合格した時のご褒美ってあるかな?
もしあるんなら、俺が決めてもいいか?」
俺の突然の申し出に先生はきょとんとした顔を向けながらも、当然のように頷いた。
決めたんだ。
大学の受験に合格したら、先生を貰いたい。
「手に入れたい」なんて先生を物みたいに考えるのは失礼だと分かっているけれど、それでも正直な気持ちを言えば、俺が知っている家庭教師の先生も、俺が知らない大学生の久々知兵助も、この人の全て、全部貰いたい。
ずっと我慢させていたその代わりに、今度は俺がこの人を甘やかしてやりたくて堪らない。
今まで会えなかった休みの日も二人で会って、家庭教師じゃない時の素のままのこの人を知って。
それからキスをしよう。
無為に理由を付けて身体ばかり繋げる事に躍起になっていた分、俺とこの人に足りていなかった時間と心を手にしたい。
「…なにがいいんだ?」
一人心の中で決めたご褒美が何か聞き出そうと、先生が俺の服の布地をくいくいっと引っ張る。
わざわざ確認するくらいだから、いつものご褒美よりもっと凄い物を要求するつもりだろうかと、不安に思っているのが表情に表れていた。
抱きしめられながらも、気を引きたがる先生の細身の身体をひときわ強く抱き、髪を撫でてから小鳥が啄ばむ様なキスを僅かに開いていた唇に落とし、回した腕を解いた。
「内緒。受かった時のお楽しみってことで」
口元に指を当てるポーズを取って、まるで子供に言い聞かせるようにはぐらかしたのが気に入らなかったらしい。
隠しきれない不満げなオーラを出しながら、無言で顔を背けた先生の口先が僅かに尖っていたのが見えた。
拗ねたようなその素振りが新鮮に思える。
昨日まではこんな表情も見れてなかったんだな、と今更ながらに心底勿体ない事をしたと悔いた。
決意も新たに、俺は改めて意欲を燃やす。
うららかな春の日には、二人並んで歩けるように。
「先生」なんて記号じゃなくて、この人の事をちゃんと名前で呼べるように。
作品名:Be for you 作家名:いつき りゅう