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恋夢幻想1

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夏風邪は馬鹿がひくとは良く言うが、その日、大神はまさにその夏風邪をひいて一人寝込んでいた。
 帝国歌劇団はたまの休日で、隊員達はこぞって看病を申し出たが、せっかくの休みをつぶしては申し訳ないと大神は全て断ってしまったのだ。
 だから今、この広い帝国劇場にいるのは大神ただ一人である。
 皆は前々から計画していたピクニックにそろって出かけていった。支配人から三人娘まで、全員勢ぞろいでのお出かけだ。
 シーンと静まり返った帝劇は、なんとも物足りなく、寂しくもあったが、それも仕方がない。こんな時に風邪をひいた自分が悪いのである。自業自得というものだ。
 大神は、一人ため息をつく。自分の周りが今までいかににぎやかだったか改めて気付かされた。時にはその騒がしさが鬱陶しく感じられることも、もちろんあった。だが、今はただただその喧噪が懐かしい。
 慣れない病気で気が弱くなっているのだろうか?痛いくらいに自分が独りだと感じられて、大神は丸くなって布団の中にもぐりこんだ。

 「あーあ、俺も運が悪いよなぁ」

 かすれた声で呟く。本当は大神だって皆と行くピクニックを楽しみにしていた。だが、そんなことを言っても皆が気にするだけだからと、なんでもない顔をして送り出したものの、実際にはひどくがっかりしていたのだ。

 ー皆、楽しんでるかな?

 そんなことを思う。出かけ間際の皆の心配そうな顔が脳裏に浮かぶ。

 ーもしかして、俺のせいであまり楽しめてないんじゃあ…

 考えて思わず苦笑をもらす。

 「そんなわけないか」

 自分が彼女達にとってそんなに重要な存在であるはずがない。そんなことを考えながら大神は一人苦く笑った。

 「なにが、そんなわけないか、なの?」

 突然聞こえた声にひどく驚いて大神は顔をあげた。部屋の入り口のところになぜか、皆とピクニックに行っているはずのあやめがたっている。いつもと同じあの柔らかな微笑みを浮かべながら。

 「あ、ああああああああ、あやめさん!?」

 「なぁに?そんなに驚くことないでしょう?」

 激しくどもった大神の耳に届くあやめも苦笑まじりの声。優しく瞳を細め、彼女は軽い足取りでベッドに歩み寄る。そしてサイドテーブルに持っていたお盆を置くと、そのまま大神の顔を覗き込み、その額にそっと手のひらを当てた。

 「熱は下がったみたいね」 

 「どうして、ここに…?ピクニックは?」

 「ばかね」

 彼女はそう言って笑った。柔らかく、優しい笑顔で。

 「あなた独り放っておけるわけないでしょう?お粥、作ってきたから食べなさい」

 「すみません。御迷惑を」

 恐縮してそう謝罪すると、『ばかね』、もう一度そう言って、あやめは大神の頬にそっと触れた。

 「へんな気を使わなくてもいいの。ちっとも迷惑なんかじゃないんだから」

 大神の目を覗き込むようにして彼女は言った。息がかかる程近くにあやめの顔を見て大神は一瞬息をとめ、それから少し照れくさそうな笑みを浮かべて素直に『はい』と頷いた。あやめはそんな大神を目を細めて見つめ、改めてお粥を食べる様すすめる。大神は再び頷き、お粥の入った容器を手に取った。まだ温かなそれは少し薄味の病人仕様だったが、大神にはとてもおいしく感じられた。だから思ったままにそう伝えるとあやめは嬉しそうに笑ってくれた。ただそれだけのことで大神は心底幸せな気持ちになれる。そんな自分の中にあやめへの思いを再確認し、大神はせつなく、やるせない眼差しであやめを見つめ、苦く笑うのだった。



 「皆は楽しんでいるでしょうか?」

 食事を終えた後、ふと隊員達のことを思い出し、そんなふうに尋ねてみた。

 「もちろんーと言いたいところだけれど…」

 わずかに言い淀んで彼女は続ける。いたずらっぽい笑みをその唇の端に浮かべながら。

 「あなたのことが心配でそれどころじゃないんじゃないかしら。あの子達」

 まさか、と笑うと、彼女は真顔で意外な真実を明かした。

 「そのまさかよ、大神君。あなたがどう思っているかは知らないけれど、あなたが考えている以上にあの子達はあなたを認めているし好意を抱いているのよ。ほかでもない自分達の、花組の隊長としてのあなたにね。ねえ、あの子達私になんて言ったと思う?」

 楽しそうに彼女が問いかける。分からないと正直に答えると彼女は、クスリと笑って教えてくれた。彼の部下達の本当の心の内を。

 「隊長を独りにしておきたくないけど、自分達では逆に気を使わせてしまうから、あやめさん、お願いしますって、そう言ったのよ、あの子達」

 「…皆がそんなことを?」

 予想もしていなかった言葉だった。彼女達が自分を心配してくれている?気がつかなかった。いつのまにか彼女達との距離は、こんなにも縮まっていたのだ。感激に胸が塞がるような思いだった。花組の隊長で良かったと心からそう思った。

 「まだずっと先のことだと思っていました」

 「なにが?」

 震える声の大神励ますようにあやめが先を促す。

 「皆にそんなふうに思ってもらえること。自分はまだ名ばかりの隊長だとおもっていましたから」

 「そんなふうに思っていたのはあなただけよ、大神君。皆あなたのことを認めているわ。もちろん、私も含めて」

 そう言ってあやめは微笑んだ。胸が一杯になって大神はそっと下を向く。この時大神は、自分が今までどれほど気を張り詰めていたかにやっと気がついた。思わずまぶたが熱くなる。まずいーそう思ったときにはもう遅かった。透明な液体が頬をつたってこぼれ落ちる。

 「やだな。これでやっとスタート地点だって言うのに、なんで、俺…」

 慌ててゴシゴシと顔を擦るが、そう簡単には止まってくれない。

 (よりにもよってあやめさんの目の前で…)

 穴があったら入りたいとはまさにこういう時のことを言うのだろう。自分の余りの情けなさと恥ずかしさに大神は耳まで真っ赤にして俯いた。
 きっと呆れているだろうと思うと恐くて顔もあげられない。あやめのー好きな人の前ではこんなにも自分は臆病になってしまう。敵を前にすればいくらでも勇敢になれるのに。

 「しっかりしなさい…」

 密やかな笑いを含んだ声。ゆっくりと彼女の気配が近付くのを感じる。いつものように励ましてくれるつもりなのだ。ぎゅっと目を閉じたままその瞬間が訪れるのを待つ。彼女の励ましはいつだって自分に力を与えてくれるから。

 「…大神君」

 その声とほとんど同時に額ではなく頬に柔らかな感触。フワリと甘い香りが鼻腔をくすぐる。それはほんの一瞬のことだった。掠めるように触れた唇に驚き、大神は目を見開いてあやめを見た。

 「あ、あやめさん…」

 何よりも愛おしいその名を呆然と唇に乗せる。頬が熱く胸が痛かった。忍ぶはずの思いが、今にも堰を切って溢れ出そうになる。手を伸ばせば届く距離にあやめを見ながら大神は、彼女を抱き寄せたいと言う衝動を必死の思いで堪えた。
 あやめが微笑む。優しく柔らかく包み込むように。そして言った。

 「少しは元気が出たかしら?大神君」

 伸ばされた指先が大神の頬に、そっと触れる。

 ー思いが溢れた。
作品名:恋夢幻想1 作家名:maru