Hertbeat 2
思考を読まれまいと努めて平静にデザートを口にしていく。
暫く、食器の音だけがしていた。
ついと席を立って僕の後ろに回ったセバスチャンが耳元で囁いた。
「何も無かった事にはさせませんよ。」
声の硬さにドキリとして振り返る。
「何年つきあっていると思っていらっしゃるのですか。
貴方が先を読んで、お一人で決着を図ろうとなさる事くらい見当が付いていますよ。」
僕の心を本当に見透かしているような視線に怯むが、ここで気圧されてはならない。
「話が見えないな。」
全く訳が分からないという風に素っ気なく答える。
「自覚していらっしゃらないと思いますが、
坊っちゃんが嘘を吐く時には、ある決まった癖があるのです。
私にならしごく簡単に見破れてしまう癖がね。」
片頬だけでニヤリと不敵に笑う。
「ほう、どんな癖があるというんだ?」
はったりかどうか見極めてやるという気で視線に力を込めて目を合わせる。
「お疑いのようですが真実です。どんな癖なのかはもちろん言いませんけれどね。」
にっこりの形に表情筋を動かしても悪い顔になる場合があるのは、
セバスチャンの家に預けられるようになってから知った。
僕が知る限り、この表情は門外不出で、殆ど誰も知らないに違いない。
“穏やか”“温和”“優しい”と評されるのは表向きの鉄壁の仮面によるもので、
こちらの方が彼本来の性質なのだ。
思考パターンを読んでくる厄介な相手を前に、
うかつにものを言って上げ足を取られてはならない時には沈黙するに限る。
そうすると、大抵の場合むこうから動く。
お互いの出方を探りあう黙り込んだままの状態が続いたが、
不意にテーブルに載せていた僕の手をセバスチャンが持ち上げ、指先をカリリと噛んだ。
驚いて手を引こうとするより早く強く握りしめられ動けなくなった僕に、
深い溜息を一つ吐いた後、セバスチャンは低い声で話し始めた。
「坊っちゃん、私が今日と言う日が来るのを何もせずにただ待っていただけだとでも?
この手を取る為にどれだけの時間を掛けたかお分かり頂きたいものですね。
マダム・レッドから揺るぎない信用を得続ける為に身辺に充分に注意を払い、
貴方が私の所にいらっしゃるのを少しでも楽しみにして下さるように、
料理の腕にも磨きを掛けましたし、それはもう色々と手を尽くしてきたのですよ。
今、坊っちゃんの手が私の中にあるのは必然なのです。
もちろん、私はこの先にあるだろう不安要素の事も念頭に置いています。
ですから未来に起こるかも知れない事態を思い悩んで、
お一人で勝手に答えを出そうとなさらないで下さい。
もしも本当にそういう事が起きた時には、二人で話し合いながら考えていきましょう。
それでよろしいですね?」
確認の様な言い方をしているが、それは既に確定だと認識させる為に言ったのだ。
“二人で”とセバスチャンは言った。
僕にはそんな発想は無かった。
これまで、どんな時でも一人で闘ってきたから。
両親という後ろ盾を失って以来、アン叔母様の家に身を寄せてはいたけれど、
家と会社を継いだ以上、家令であるタナカや会社の幹部達と相談はしても、
実質的には何事に於いても最終決断は僕一人が下すべきものだったのだ。
子供と侮られる不利を跳ね返す為にも、僕は己の足だけで立って見せ、
かつ、そこらの大人よりも充分に強くあらねばならなかった。
孤独だと思う暇も無く、歩を前へと進め続けて行く以外になかった僕には、
全ての答えは自分だけで出すものでしかない。
それを覆す言葉を聞いたのは初めてだったような気がする。
衝撃にぼんやりとする僕の視界にセバスチャンが距離を詰めるのが見えた。
柔らかな力で頭を胸に抱きとめられたようだ。
腕の力を後頭部に感じ、温かさとしっかりとした鼓動を頬に感じる。
「貴方は、声を出さずに泣く・・・。」
そう言われて初めて自分の視界がぼやけている理由を知った。
何か言おうとしたけれど、何を言えばいいのか分からない。
自分自身、悲しいのか嬉しいのかさえ判断できなかったのだから。
この力強く打つ心臓の音が、これからはずっと僕の傍にあるのだと教えるように、
セバスチャンは暫くそのまま動かなかった。
リビングのソファーに座ってナイトティーを飲む。
カモミールで香りを付けたものを選んだのは、
夕方からずっと気持ちが昂ぶっていた僕を落ち着かせる為だろう。
しかし、カモミールの香り以上に僕を落ち着かせたのは隣にある体温かもしれない。
今までは二人掛けの方に僕が、一人掛けの方にセバスチャンが陣取るのが常だったので、
ソファーで座る時にセバスチャンが隣に腰掛けるのは初めてだ。
直接体が触れる距離ではない。
カップを持ち上げて肘が当たらないくらいには離れている。
それでも隙間には確かに心地よい温度があって、
肌触りの良い毛布に包まっている時の様な感じがするのだ。
心と体から緊張を解くそれは、ゆるゆると眠りを誘う。
「お休みになられますか?」
僕の顔を覗き込んでセバスチャンが問い掛けた。
「ああ、そうだな。」
自室へ向かおうと立ち上がった、と思ったのだけれど・・・。
足に床を踏んでいる感覚は無くて、代わりに体がふわりと浮いた。
何が起きたのかと驚いている僕の目の近くにセバスチャンの顔がある。
やけにくっきりといい笑顔をして。
「お疲れのご様子ですので私が寝室へお連れします。」
踵を返したのは僕の部屋とは逆の方向で、つまりセバスチャンの部屋の方向だ。
「おい、僕の部屋は向こうだぞ。」
横抱きにされた状態で自分の部屋を振り返る。
「マダムとお話したのですが、思春期の健康な男の子でいらっしゃる坊っちゃんには、
そろそろそれなりのきちんとした知識をお教えする必要があると思いまして、
僭越ながら私がご教授させて頂く事になりました。
ですから今後、寝室はこちらという事で、ね。」
どうアン叔母様を言いくるめたのか知らないが、
セバスチャンの表情は “きちんとした知識”だけを教えるつもりの顔では断じてない。
脳内で激しい警鐘が鳴り、手足を必死にジタバタさせたが、
180センチ超えの男は難なく僕を連れて行ってしまったのだった。
END
作品名:Hertbeat 2 作家名:たままはなま