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どれくらいの時が、過ぎて行ったのだろう。
私の属する世界に、主と共に帰って来たのは、最近の事のようでもあるし、
もう、はるか昔の事のようでもある。
主は悪魔に転生してからも、自堕落に過ごすのを嫌って、
人間の時と同じように、一日を24時間で過ごす。
目覚めから、就寝まで、私の懐中時計が無駄になることはなかった。
人間の食事は必要ではないのだけれど、習慣として、
また、味覚が残されているので、数少ない楽しみとして摂取するのだ。
だから、私の屋敷を再生する時、厨房を新たに加えなければならなかった。
そしてまた、定期的に人間の世界に赴いて、食材を調達することも必要になった。
その時には、気晴らしを兼ねて、主を連れて行く事にしている。
自分の存在を欠いてからの人間の世界を、主は、ただ静かな目で見ているだけ。
少しずつ、季節が移ろい、時が移ろい、何もかもが色を変えていく。
何一つ変わる事のない私たちを置いて。
かつて、あちら側の時間の中にいた主が、何を思っているのか、私は訊ねる事をしない。
それを聞き出したところで、どうする手立ても無いのだから。
私は、主の傍近くを離れず、寄り添うだけ。
主も、それ以上を望まない。
今はまだ、この距離を保っている。
あの時、決められてしまった未来を、私は、受け入れられるようになったばかり。
自分の立ち位置を、悪魔たる私が、まだ決めかねている。
契約を交わした主従であっても、以前のそれとは、異なってしまった。
幾多の不安、数多の葛藤を超えて、ここに留まると決めた主。
殆ど永遠ともいえる悪魔の生を、死なずに生きる事にした。
悪魔の生を終わらせる気なら、水底に沈んだ悪魔の剣を探させれば済むのだ。
命令一つで、私は、その魔剣を彼の前に差し出すのだから。
けれど、主は、そうしない。
退屈を嫌う子供が、退屈の繰り返しに身を任せるという。
そんな生き方を彼にさせる為に、その魂を取り戻したのではない。
私の失態が、私の執着が、彼を悪魔に転生させるきっかけになってしまった。
深い後悔に苛まれ続ける私は、
離れて行く事など考えられないのに、その手を取れずにいる。
なのに、私の手の届く位置に居続けてくれる主が、嬉しかった。
いつか来るかもしれず、永久に来ないかもしれない、解氷の時を待つかのようだ。
何も言わずに、その後ろ姿だけで、私に許しを与えてくれる主。
言葉では私に与えられないものを、主は、そっと手渡してくれるのだった。
私は、その主に報いたくて、主の数少ない望みを叶えてやりたいと思う。
主好みの新作スイーツのレシピを入手してみたり、
主の気に入りそうな、他の色味を含まない白い薔薇の新種の苗を取り寄せてみたり、
“シエル・ファントムハイブ伯爵”に仕えていた時と変わらず、
私は、主が心地よくあるようにと心を砕く。
書店で本を物色する姿も、玩具店で新商品を試す姿も、
人間であった時と何も違いは無いけれど、時間の流れは彼に干渉しない。
時代が変わってさえ、同じままなのだ。
同じ年頃の男の子より、いや、女の子よりも華奢で小柄な姿は、成長することが無い。
丸みを残す輪郭、長い睫に縁どられた大きな瞳、透き通るように白い頬、
薄紅色の、ふっくらとして瑞々しい唇。
生意気で傲慢な物言いもあの頃のままに。
ある日、ふと気付いた。
毎日、その同じ行動を見ていただろうに、私は目に映すだけで見てはいなかったのだ。
主は、何かの拍子に左手の親指の付け根に右手で触れる。
今は失われた、青い宝石の嵌った指輪が、かつてあった場所。
主は、自分のその癖を、気付かずにいる。
転生して後のこの人を、私はきちんと見ていなかったと思い知らされた。
こんな癖を、あの頃の私なら決して見逃したりしないのに。
何という愚かな執事だろう。
苦笑する事さえ面はゆいくらいに、私は愚かだった。
あの出会いの日、私と主の歩く道はリンクした。
簡単には離れないリンクと知っていたが、それは、主の願いが叶うまでの時間、
私に取っては犬の欠伸程の間だと思っていた。
覚えている気も無く、数える事も無理な数の人間たちと契約を交わし、
願いを叶えれば、何を思う事も無く、当たり前に魂を喰らってきたというのに・・。
どの位の長さを生きて来たのかさえ定かでない私が、
これまでの生で覚えのないほどに執着したのが、主だった。
執着、固執、頑なに求めて已まないこれは、こころ?かんじょう?おもい?
何と呼ぶのかは知らないが、真っ直ぐに、激烈な何ものか。
主を傍に置いておきたい。
主の傍らに居続けていたい。
動かない人形のような主でさえ、そう思う。
しかし、私の本心からの望みは、生きて動く主との日々。
碧とアメジストの瞳に、私を映してほしい。
少年らしい高めの凛とした声に、彼の付けた私の名を呼ばれたい。
温かな主の体温に触れたい、触れられたい。
猫の目のように目まぐるしく変わる表情を見ていたい。
小さな背中を視界に収め続けていたい。
柔らかな頬の感触、抱き上げた主の軽さ、私の頸に回す腕の細さと力強さ。
そんな何もかもを、取りこぼす事無く全て、私のものにしておきたい。
そして、最も美味な状態となった主の魂を、私の内に取り込みたい。
私の最上の主との契約を、確かに成就させてやりたいのだ。
その為にこその、嘘まで吐いての毎日だったのに。
取り戻した主を人外のものにしてしまい、
つまりは、彼の望みを果たせなくさせてしまった事への後悔。
胸を掻き毟られる。
その余りの苦しさに、主を見失っていると気付かなかった。
いつから、指輪を無くしたままの指に触れる癖が付いていたのか。
そんな事にすら、意識が向かなかったとは。
主の指にあった指輪。
3年間、主の指にあったそれには、碧い色の透明な宝石が輝いていた。
外光に当ててから急に暗い所で見ると、暫くの間、赤く輝く。
その不吉にして妖しい美しさから、幾多の伝説を持つとも言われる。
発見当時の巨大さから、いつの間にか半分程に分割された石は、
一つは歴史の表舞台で、片割れの方は、闇の世界で受け継がれ続け、
主の家系では、主が最期の所有者であった。
紋章の刻まれた金の指輪と共に、主は、その指輪を外したのだ。
もう、永遠に戻る事の無いあの屋敷に、古い殻を脱ぐように、置き去りにした。
何もかもから解き放たれた証明のように。
いつもと何も変わりの無い日。
主は、薔薇園を散策していた。
他の色味を含まない白の薔薇と、こちらの世界にしか咲かない濁りの無い碧い薔薇。
主は、この碧い薔薇と白い薔薇のコントラストを気に入っているらしかった。
よく、薔薇園の東屋に来ては、本を読んだり、思索に耽っていたりしている。
咲き誇る薔薇の中、主は薔薇より美しい。
私とした事が、よくもまあ、こんな美しいものを見失っていられたものだ。
主が、こんな事で本質を変えてしまうような人ではないと、
充分に知っている筈だったのに。
何も付け加えられていない、何も喪失していない、
私が魅せられ求めた、あの日々のままの主が、ずっとここに居たのに。
最大の望みを叶えてやれなくなったなら、
どれくらいの時が、過ぎて行ったのだろう。
私の属する世界に、主と共に帰って来たのは、最近の事のようでもあるし、
もう、はるか昔の事のようでもある。
主は悪魔に転生してからも、自堕落に過ごすのを嫌って、
人間の時と同じように、一日を24時間で過ごす。
目覚めから、就寝まで、私の懐中時計が無駄になることはなかった。
人間の食事は必要ではないのだけれど、習慣として、
また、味覚が残されているので、数少ない楽しみとして摂取するのだ。
だから、私の屋敷を再生する時、厨房を新たに加えなければならなかった。
そしてまた、定期的に人間の世界に赴いて、食材を調達することも必要になった。
その時には、気晴らしを兼ねて、主を連れて行く事にしている。
自分の存在を欠いてからの人間の世界を、主は、ただ静かな目で見ているだけ。
少しずつ、季節が移ろい、時が移ろい、何もかもが色を変えていく。
何一つ変わる事のない私たちを置いて。
かつて、あちら側の時間の中にいた主が、何を思っているのか、私は訊ねる事をしない。
それを聞き出したところで、どうする手立ても無いのだから。
私は、主の傍近くを離れず、寄り添うだけ。
主も、それ以上を望まない。
今はまだ、この距離を保っている。
あの時、決められてしまった未来を、私は、受け入れられるようになったばかり。
自分の立ち位置を、悪魔たる私が、まだ決めかねている。
契約を交わした主従であっても、以前のそれとは、異なってしまった。
幾多の不安、数多の葛藤を超えて、ここに留まると決めた主。
殆ど永遠ともいえる悪魔の生を、死なずに生きる事にした。
悪魔の生を終わらせる気なら、水底に沈んだ悪魔の剣を探させれば済むのだ。
命令一つで、私は、その魔剣を彼の前に差し出すのだから。
けれど、主は、そうしない。
退屈を嫌う子供が、退屈の繰り返しに身を任せるという。
そんな生き方を彼にさせる為に、その魂を取り戻したのではない。
私の失態が、私の執着が、彼を悪魔に転生させるきっかけになってしまった。
深い後悔に苛まれ続ける私は、
離れて行く事など考えられないのに、その手を取れずにいる。
なのに、私の手の届く位置に居続けてくれる主が、嬉しかった。
いつか来るかもしれず、永久に来ないかもしれない、解氷の時を待つかのようだ。
何も言わずに、その後ろ姿だけで、私に許しを与えてくれる主。
言葉では私に与えられないものを、主は、そっと手渡してくれるのだった。
私は、その主に報いたくて、主の数少ない望みを叶えてやりたいと思う。
主好みの新作スイーツのレシピを入手してみたり、
主の気に入りそうな、他の色味を含まない白い薔薇の新種の苗を取り寄せてみたり、
“シエル・ファントムハイブ伯爵”に仕えていた時と変わらず、
私は、主が心地よくあるようにと心を砕く。
書店で本を物色する姿も、玩具店で新商品を試す姿も、
人間であった時と何も違いは無いけれど、時間の流れは彼に干渉しない。
時代が変わってさえ、同じままなのだ。
同じ年頃の男の子より、いや、女の子よりも華奢で小柄な姿は、成長することが無い。
丸みを残す輪郭、長い睫に縁どられた大きな瞳、透き通るように白い頬、
薄紅色の、ふっくらとして瑞々しい唇。
生意気で傲慢な物言いもあの頃のままに。
ある日、ふと気付いた。
毎日、その同じ行動を見ていただろうに、私は目に映すだけで見てはいなかったのだ。
主は、何かの拍子に左手の親指の付け根に右手で触れる。
今は失われた、青い宝石の嵌った指輪が、かつてあった場所。
主は、自分のその癖を、気付かずにいる。
転生して後のこの人を、私はきちんと見ていなかったと思い知らされた。
こんな癖を、あの頃の私なら決して見逃したりしないのに。
何という愚かな執事だろう。
苦笑する事さえ面はゆいくらいに、私は愚かだった。
あの出会いの日、私と主の歩く道はリンクした。
簡単には離れないリンクと知っていたが、それは、主の願いが叶うまでの時間、
私に取っては犬の欠伸程の間だと思っていた。
覚えている気も無く、数える事も無理な数の人間たちと契約を交わし、
願いを叶えれば、何を思う事も無く、当たり前に魂を喰らってきたというのに・・。
どの位の長さを生きて来たのかさえ定かでない私が、
これまでの生で覚えのないほどに執着したのが、主だった。
執着、固執、頑なに求めて已まないこれは、こころ?かんじょう?おもい?
何と呼ぶのかは知らないが、真っ直ぐに、激烈な何ものか。
主を傍に置いておきたい。
主の傍らに居続けていたい。
動かない人形のような主でさえ、そう思う。
しかし、私の本心からの望みは、生きて動く主との日々。
碧とアメジストの瞳に、私を映してほしい。
少年らしい高めの凛とした声に、彼の付けた私の名を呼ばれたい。
温かな主の体温に触れたい、触れられたい。
猫の目のように目まぐるしく変わる表情を見ていたい。
小さな背中を視界に収め続けていたい。
柔らかな頬の感触、抱き上げた主の軽さ、私の頸に回す腕の細さと力強さ。
そんな何もかもを、取りこぼす事無く全て、私のものにしておきたい。
そして、最も美味な状態となった主の魂を、私の内に取り込みたい。
私の最上の主との契約を、確かに成就させてやりたいのだ。
その為にこその、嘘まで吐いての毎日だったのに。
取り戻した主を人外のものにしてしまい、
つまりは、彼の望みを果たせなくさせてしまった事への後悔。
胸を掻き毟られる。
その余りの苦しさに、主を見失っていると気付かなかった。
いつから、指輪を無くしたままの指に触れる癖が付いていたのか。
そんな事にすら、意識が向かなかったとは。
主の指にあった指輪。
3年間、主の指にあったそれには、碧い色の透明な宝石が輝いていた。
外光に当ててから急に暗い所で見ると、暫くの間、赤く輝く。
その不吉にして妖しい美しさから、幾多の伝説を持つとも言われる。
発見当時の巨大さから、いつの間にか半分程に分割された石は、
一つは歴史の表舞台で、片割れの方は、闇の世界で受け継がれ続け、
主の家系では、主が最期の所有者であった。
紋章の刻まれた金の指輪と共に、主は、その指輪を外したのだ。
もう、永遠に戻る事の無いあの屋敷に、古い殻を脱ぐように、置き去りにした。
何もかもから解き放たれた証明のように。
いつもと何も変わりの無い日。
主は、薔薇園を散策していた。
他の色味を含まない白の薔薇と、こちらの世界にしか咲かない濁りの無い碧い薔薇。
主は、この碧い薔薇と白い薔薇のコントラストを気に入っているらしかった。
よく、薔薇園の東屋に来ては、本を読んだり、思索に耽っていたりしている。
咲き誇る薔薇の中、主は薔薇より美しい。
私とした事が、よくもまあ、こんな美しいものを見失っていられたものだ。
主が、こんな事で本質を変えてしまうような人ではないと、
充分に知っている筈だったのに。
何も付け加えられていない、何も喪失していない、
私が魅せられ求めた、あの日々のままの主が、ずっとここに居たのに。
最大の望みを叶えてやれなくなったなら、