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たままはなま
たままはなま
novelistID. 47362
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不機嫌なシンデレラ(駒鳥 別バージョン)

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不機嫌なシンデレラ(ようとん様のイラストに寄せて)

「では、少々お待ちくださいませ。」
洗練された動きで一礼し、執事は部屋を後にした。
僕は、執事がコークを足して火を強めた暖炉の炎が、ちろちろ揺らめく様を見ていた。
執事は、僕の体が冷えていると言った。

けれど、本当に冷えているのは、この身の内。
沸々と湧き上がる感情が、僕の表情を凍らせていくのだ。
金の髪に縁どられた甘ったるそうな顔を思い出すだけで、虫唾が走る。
不愉快にして不快。

黒い子羊の皮の手袋の中のあの男の手は、ドロドロとした欲望で出来ている。
手袋越しとはいえ、その醜さが僕に触れたのだ。
奴の手袋の下から滲み出た欲が、僕のしている絹の手袋にも浸みてしまった。
そこから更に皮膚に浸みる。
あの不潔な手が、僕の手を掬い上げ、
嘘と出まかせばかりを吐き出す唇が、手の甲へと押し付けられた。
不愉快極まりない。
指先に、明確な意図を持って、この腕を撫で下ろし、
感触を確かめるような力加減で、僕の腰に手を回したあの男。
触れられた所から膿が湧きそうだ!
執事が肩に羽織らせたガウンを乱暴に剥ぎ取ると、腕を大きく振って放り投げた。
歯痒い。歯痒くて堪らない。
女王の番犬としての仕事の為には、何でもすると言った。
確かに何でもするし、出来ると思ったが、これは、耐えられない。
執事の体温との差が、これ程までに神経を逆なでしようとは。

あの男は、試すような触れ方をしてきた。
実際、自分になびくのかどうかを試していたのだろうが。
誰が、お前などに!
笑みの形に顔の筋肉を引きつらせてみせた自分が厭だ。
仕事である故に、胸の悪くなるのを耐えての事とはいうものの、
曲がりなりにも、あの男の為に笑顔を作った事実が、悔しくてならない。

あの軽薄な唇のふにゃりとした感触が気持ち悪い。
手の甲を、手袋越しにごしごしと擦った。
指を滑らせてきた右腕、手を回してきた腰も、力任せに掻き毟る。
しかし、絡みつく湿度が落とせない。
布越しでは、あの感触を消せないのか。

右手の手袋を剥ぎ取る。
執事が脱がせる時のようにするりと抜き取る事が出来ない。
苛立つ左手で、右手の肘上辺りから手の甲までごしごしと擦るが、
左手の手袋も邪魔だった。
手袋を不器用に引き抜くと、放り投げた。
腹立ちまぎれにブーツも脱ぎ捨て、帽子も叩き落とし、
ドレスも脱ごうと足掻いてみるが、
着た事のないものなので、脱ぎ方がよく分からない。
どうにかこうにか、背中を肌蹴る事に成功し、
肩の布を二の腕の半分ほどまでずり落とすのが精いっぱいだった。
触れられた皮膚を、イライラと爪を立てて引っ掻きまくる。
右腕、手の甲、右腰。
ヒリヒリとして血が滲むのに、どうしてか、気分の悪い感触を払えない。
悔しくて、涙が浮き上がってくる。
唇を強く噛んで、ソファーに俯せに倒れ込んだ。

執事以外の体温が、執事以外の触れ方で触れた時、
自分が、こんなにも怖気立ち、嫌悪感に苛まれ、動揺するとは思っていなかった。
想定外な感情。

イタイ、イタイ、イタイ。

体の痛みより、心の痛みが耐え難い。
所有者である僕の方が痛みを感じるとは、一体どういうことなのだ。
この不快を、この痛みを、自分で制御したいのに・・・。
あの声に触れたら、あの体温に包まれたら、何とかなると思う自分がいる。
堕落。
そんな言葉が浮かぶ。
大声で喚き散らしたい衝動に襲われた。
何か、何でも構わない、僕の身の内に溜まった負のものを吐き出せる言葉を、
あるいは、音を、排出させる事が出来たなら。
けれど、僕は、それを飲み込むのだ。

ドアが開いた音で執事が戻って来たのが分かった。
僕は、全身に毒が回ったかのように、だるい体を起こせない。
尖った感情がエネルギーを放出し、無理に動けば崩壊しそうだ。
僕のそんな様子と、部屋の荒れ様に、執事は立ち止まっているようだ。
僕は、険しい目を執事に向けた。



肩も露わなドレス姿のまま、
何度も星の冴える冷えた空中を飛んだ所為で、主の体は冷えている。
早く温めてやらなければ、風邪をひいてしまうだろうと、
入浴の用意を手早く整え、主の部屋に戻って来て驚いた。
暖炉の傍のソファーに座らせていた筈の主は、
美しく飾られていた装いを、無残な有様に脱ぎ散らかしていた。
主の飛ばす霹靂(へきれき)で青白く光りそうな、ぴりぴりとした室内。
けれど、強い瞳で不機嫌を表す主の、乱れた姿の何という妖しさ。
ソファーに俯せになった主は、ブーツを脱いだ素足をドレスの裾から覗かせ、
しどけなく開いた背中からは、白い滑らかな肌が見えている。
あの背骨に沿って指先で辿ると、主は甘い声を零すのだ。
その光景が、脳裏を過ぎる。

見るともなく前に向けられていた主の視線が、こちらへ動いた。
険しい目なのに、背中にゾクゾクとした感覚が駆け上がっていく。
そうやって我知らず、主は私を虜にするのだ。
凶悪と言えるほどに、純粋にして無垢な魂が、艶めかしさを放つ。
私は、主に問う。
「坊ちゃん、どうなさったのです?」
「気分が悪い!」
キツイ表情で、鋭く言い放った。
これは、扱いによく気を付けなければ。
尻尾の先まで全身の毛を逆立てて、ギラついた目で低く唸る猫のようだった。
これ以上、気持ちを逆なでしないように、ゆっくりと近づく。
傍に寄ってよく見れば、手の甲に、生々しい血のにじむ傷があった。
腕の方にまで、傷は広がっている。
「坊ちゃん、この傷は?!」
白い肌を無数のみみずばれが這い、血がぷくりともりあがっているところもある。
手を取ろうとすると、邪険に振り払われた。
「消えない!あの感触・・。」
なるほど、そういうことだったかと納得した。
主は、色めいた意識を持って触れられたのが、不快でならなかったのだ。
「坊ちゃん、左手を見せて頂いてもよろしいでしょうか。」
静かに、主に訊ねる。
暫く沈黙し、声で答える事はなかったが、その手を、私の手に預けてきた。
桜色の指先にある形の良い爪の先に、血が・・・。
こんなにするくらいに耐え難かったと、主は訴えているのだ。
胸を、締め付けられる。

イタイ、イタイ、イタイ。

主が、自らの手で体に傷を付けたのは、あの子爵の所為。
あの子爵に触れられるのを許さなければならなかったのは、仕事の所為。
主が、ここまでの気持ちを抱えていると気が付かなかったのは、
それは、私が悪魔だから?

「馬鹿ですね、こんなに傷だらけにして。
こんな痛い思いをする前に、どうして私に仰らないのです。」
自分でも思っていなかった弱々しいほど細い声が出た。
私自身が、痛がっているからか。
主の小振りな頭を撫でれば、手袋越しにその体温が伝わる。
総毛立つ子猫の体温。
美しく澄んだ、碧とアメジストの瞳が、真っ直ぐに私の目を見詰めてくる。
私が、唯一価値を認める、二つと無い大切なもの。
彼の他に護るべきものは無く、彼の他に護りたいものなどない。
この命に代えても護る。
契約を遂行するという美学の為にだけでも、一定の価値はあるけれど、
それは、今の私には、すでに卑小なもの。
美麗で、聡明で、高い熱を身の内に秘めた、甘い肌の、私だけの主。