Voice Without The Sound
さくらさんに捧ぐ…
“Voice Without The Sound”
こんな生意気なガキの何処がいいのか、私にはさっぱり分からないわ。
見てくれの良さは認めるけど、ちょっと綺麗な子供ってだけじゃないの。
大人に対しての口のきき方もなってないわよ。
なのに、貴方はこのガキしか見ちゃいないんだから。
私の魅力が目に入る余地もないなんて、気に入らないわ。
あなたの行動の理由のすべてがこのガキだなんて、全く持って気に入らないのよ。
だから、私は少しだけ魔法を使うの。
まあ、種明かしをすれば、薬を使うだけなんだけどね。
別に命をどうこうしようっていうわけじゃないわ。
うっかりやり過ぎると私の命に係わるもの。
私のセバスちゃんを独り占めするいけ好かない子供に、
ちょっと悪戯するくらいどうってことないでしょ。
口を少し開けさせて・・・一滴。
これでいいわ。
悪く思わないでね、坊や。
坊やっていうほど可愛げのあるガキじゃないけど。
ふふふっ、明日が楽しみだわ。
「お早うございます。坊ちゃん、お目覚めのお時間ですよ。」
いつもの声が聞こえた。
甘さのある低めの声は、数多のご婦人方の耳を蕩かす危険な声。
まあ、僕には聞きなれたどうという事もない声なのだが。
厚いビロードのカーテンが開け放たれて、明るい光が瞼越しに眩しく感じられる。
刺すような光ではないから、今日は曇りなのだろう。
ぼんやりした頭で、まだ気怠いからだに指令を送り、もぞもぞとベッドで半身を起す。
くしゃくしゃと髪を掻き上げている間に、部屋には紅茶の香りが満ちていく。
今日は、ベルガモットの香りを付けた華やかな香りのアールグレイを用意したようだ。
足をベッドから下ろし、腰掛けた体勢になるタイミングで、
紅茶を注いだカップをヤツの手が差し出した。
「・・・・・。」
何が起きているのか分からなかった。
声を出し、口を動かして言葉を紡いだはずなのに、何の音も聞こえなかったのだ。
喉が乾燥して声が出にくかったのかもしれない。
思い直して、もう一度言葉を口にしてみた。
「・・・・・。」
やはり声が出ていない。
「坊ちゃん、失礼します。」
ヤツは、僕の手から素早くティーカップを取り上げ、テーブルに置き、
僕の前に膝を付いて口を開けさせ喉を確かめた。
「お声を出してみて下さい。」
言われた通りにするが、空気の通る音がするだけ。
ヤツが、整った眉を顰める。
「坊ちゃん、すぐにお医者様をおよび致しましょう。」
こうして、その日が始まったのだった。
医者は原因が分からないと言い、実質、匙を投げた。
セバスチャンは、眉間に深い皺を刻み、何か考え込んでいる。
横になっていたところで声が出るようになるわけでもないので、
僕は、書斎で本を読む事にした。
フランス語のレッスンとダンスのレッスンは休講にした。
口がきけないのをあまり外に漏らさないでいる為には当然の措置なのだが、
ダンスレッスンの休講は、セバスチャンをして“壊滅的”と言わしめる僕には、
願ってもない有り難い事態ともいえるのだ。
ワルツなど踊れなくても、取引の交渉にどれ程マイナスになる事もないものを、
まったく、紳士としての嗜みだなどと面倒以外のなにものでもない。
そんな事より、書類の山を片付ける方が百倍も有用だと思うのだが、
それだけでは円滑にいかないのだと言う。
ストレスが溜まっている為という事も考えられるので、
今日は仕事もしないでいるようにと医者に言われ、書類の整理も出来ない僕は、
仕事に追われて読めなかった本を読む事にしたのだった。
暫く本に没頭していた為、書斎の扉をノックする音に驚いた。
「・・・。」
入れと言おうとして声が出ない事に気が付き、扉を開けるしかあるまいと椅子から立つ。
扉の方へ足を踏み出そうとしたところでヤツの声。
「坊ちゃん、入りますよ。」
扉が開かれ、ヤツが入って来る。
そうだな、許可を知らせる合図を決めておけばいいのだ。
僕のいる部屋の扉まで、こんな風に静かに辿り着くのはヤツだけ。
そもそも、ヤツを通さずに僕の部屋の扉をノックするような者はいないのだし。
テーブルを2回ノックするとか、そんな合図を決めておこう。
椅子に座りなおしてヤツを待つ。
「坊ちゃん、お加減は如何ですか?」
僕の顔を覗き込み、ヤツが言う。
「・・・。」
相変わらず、息が喉を抜きていく音しかしない事を見せる。
「困ったことになりましたね。
お医者様の見立てでは病気の類ではないようですし、
心理的要因といっても、声が出なくなるような突発的な何かがあったようには、
記憶の限り思い当たる事がありません。」
紅茶の用意をしながら、茶葉の説明でもするようにヤツの唇から言葉が紡がれていく。
何か思い当たる事があったようだ。
僕は、先を促すようにヤツの目を見返す。
視線を受け止めたヤツは、作業を止める事無く口を開いた。
「多分、私の領分の者が何がしかの動きをしたのではと思います。」
事の起こりは、ヤツの領分の者。
魔物、死神、天使のような、人間とは理を異にする者達の世界に由来の何か。
そういう事なら、僕は何もする必要が無い。
ヤツに任せておけばいいのだ。
僕が動こうとしたところで、足手まといにしかなりはしないのだから。
ヤツが焼きたてのアップルパイを切り分けるのを横目に、ソファーに凭れ直す。
視線を合わせて、目に力を籠めた。
それを認めたヤツの口元に笑みが形作られる。
「イエス。マイ・ロード。」
言葉を口に出さずとも、こういう時の僕の言いそうな事など百も承知。
ふん、食えないヤツだ。
一人でいる時間の長い僕は、声を失っているからといって、普段とそう変わる事も無い。
独り言を呟いても声になっていなくて気が付く程度の事。
書類整理で一日終わる時など、殆ど人と話さないままでいるのだから、
大した不自由は感じないのだ。
面白そうかと思って取り寄せさせた本の予想外のつまらなさにがっかりして、
昼食後のひと時をサンルームのソファに座り、ぼんやりと庭の薔薇を眺めていた。
サンルームの扉をノックする音。
テーブルを二回コツコツと叩くと、ヤツが入って来る。
「坊ちゃん、少し気温が低くなりましたので、ひざ掛けをお持ちしました。」
そういえば、むき出しの膝がひんやりしているようだった。
僕の前まで来たヤツは、腰を少し屈める。
白い絹の手袋がひらりひらりと動いて、畳まれていた布を広げていく。
毎日見ているのに、コイツの動きの優美さにはいつも目を奪われてしまう。
ほっそりとした長い指が、見惚れる動きで、ふわりと僕の膝の上に柔らかな布を置いた。
本性は人間に忌み嫌われる魔物でありながら、無駄に美麗なのはどういう訳だろう。
これも、ヤツの言う美学とやらによるものなのか。
指の動かし方ひとつも、コイツはおざなりにはしない。
悪魔というのは、永遠を生きる為に些細な事にも拘るように出来ているのだろう。
そうする事で、持て余す時間をやり過ごす。
果ての無い時の流れを彷徨って行くのも、楽ではないということか。
時々こうして人間と契約するのは、いい暇つぶし・・・。
「坊ちゃん。」
腰を屈めた姿勢のままで、僕の顔を覗き込んできたヤツ。
“Voice Without The Sound”
こんな生意気なガキの何処がいいのか、私にはさっぱり分からないわ。
見てくれの良さは認めるけど、ちょっと綺麗な子供ってだけじゃないの。
大人に対しての口のきき方もなってないわよ。
なのに、貴方はこのガキしか見ちゃいないんだから。
私の魅力が目に入る余地もないなんて、気に入らないわ。
あなたの行動の理由のすべてがこのガキだなんて、全く持って気に入らないのよ。
だから、私は少しだけ魔法を使うの。
まあ、種明かしをすれば、薬を使うだけなんだけどね。
別に命をどうこうしようっていうわけじゃないわ。
うっかりやり過ぎると私の命に係わるもの。
私のセバスちゃんを独り占めするいけ好かない子供に、
ちょっと悪戯するくらいどうってことないでしょ。
口を少し開けさせて・・・一滴。
これでいいわ。
悪く思わないでね、坊や。
坊やっていうほど可愛げのあるガキじゃないけど。
ふふふっ、明日が楽しみだわ。
「お早うございます。坊ちゃん、お目覚めのお時間ですよ。」
いつもの声が聞こえた。
甘さのある低めの声は、数多のご婦人方の耳を蕩かす危険な声。
まあ、僕には聞きなれたどうという事もない声なのだが。
厚いビロードのカーテンが開け放たれて、明るい光が瞼越しに眩しく感じられる。
刺すような光ではないから、今日は曇りなのだろう。
ぼんやりした頭で、まだ気怠いからだに指令を送り、もぞもぞとベッドで半身を起す。
くしゃくしゃと髪を掻き上げている間に、部屋には紅茶の香りが満ちていく。
今日は、ベルガモットの香りを付けた華やかな香りのアールグレイを用意したようだ。
足をベッドから下ろし、腰掛けた体勢になるタイミングで、
紅茶を注いだカップをヤツの手が差し出した。
「・・・・・。」
何が起きているのか分からなかった。
声を出し、口を動かして言葉を紡いだはずなのに、何の音も聞こえなかったのだ。
喉が乾燥して声が出にくかったのかもしれない。
思い直して、もう一度言葉を口にしてみた。
「・・・・・。」
やはり声が出ていない。
「坊ちゃん、失礼します。」
ヤツは、僕の手から素早くティーカップを取り上げ、テーブルに置き、
僕の前に膝を付いて口を開けさせ喉を確かめた。
「お声を出してみて下さい。」
言われた通りにするが、空気の通る音がするだけ。
ヤツが、整った眉を顰める。
「坊ちゃん、すぐにお医者様をおよび致しましょう。」
こうして、その日が始まったのだった。
医者は原因が分からないと言い、実質、匙を投げた。
セバスチャンは、眉間に深い皺を刻み、何か考え込んでいる。
横になっていたところで声が出るようになるわけでもないので、
僕は、書斎で本を読む事にした。
フランス語のレッスンとダンスのレッスンは休講にした。
口がきけないのをあまり外に漏らさないでいる為には当然の措置なのだが、
ダンスレッスンの休講は、セバスチャンをして“壊滅的”と言わしめる僕には、
願ってもない有り難い事態ともいえるのだ。
ワルツなど踊れなくても、取引の交渉にどれ程マイナスになる事もないものを、
まったく、紳士としての嗜みだなどと面倒以外のなにものでもない。
そんな事より、書類の山を片付ける方が百倍も有用だと思うのだが、
それだけでは円滑にいかないのだと言う。
ストレスが溜まっている為という事も考えられるので、
今日は仕事もしないでいるようにと医者に言われ、書類の整理も出来ない僕は、
仕事に追われて読めなかった本を読む事にしたのだった。
暫く本に没頭していた為、書斎の扉をノックする音に驚いた。
「・・・。」
入れと言おうとして声が出ない事に気が付き、扉を開けるしかあるまいと椅子から立つ。
扉の方へ足を踏み出そうとしたところでヤツの声。
「坊ちゃん、入りますよ。」
扉が開かれ、ヤツが入って来る。
そうだな、許可を知らせる合図を決めておけばいいのだ。
僕のいる部屋の扉まで、こんな風に静かに辿り着くのはヤツだけ。
そもそも、ヤツを通さずに僕の部屋の扉をノックするような者はいないのだし。
テーブルを2回ノックするとか、そんな合図を決めておこう。
椅子に座りなおしてヤツを待つ。
「坊ちゃん、お加減は如何ですか?」
僕の顔を覗き込み、ヤツが言う。
「・・・。」
相変わらず、息が喉を抜きていく音しかしない事を見せる。
「困ったことになりましたね。
お医者様の見立てでは病気の類ではないようですし、
心理的要因といっても、声が出なくなるような突発的な何かがあったようには、
記憶の限り思い当たる事がありません。」
紅茶の用意をしながら、茶葉の説明でもするようにヤツの唇から言葉が紡がれていく。
何か思い当たる事があったようだ。
僕は、先を促すようにヤツの目を見返す。
視線を受け止めたヤツは、作業を止める事無く口を開いた。
「多分、私の領分の者が何がしかの動きをしたのではと思います。」
事の起こりは、ヤツの領分の者。
魔物、死神、天使のような、人間とは理を異にする者達の世界に由来の何か。
そういう事なら、僕は何もする必要が無い。
ヤツに任せておけばいいのだ。
僕が動こうとしたところで、足手まといにしかなりはしないのだから。
ヤツが焼きたてのアップルパイを切り分けるのを横目に、ソファーに凭れ直す。
視線を合わせて、目に力を籠めた。
それを認めたヤツの口元に笑みが形作られる。
「イエス。マイ・ロード。」
言葉を口に出さずとも、こういう時の僕の言いそうな事など百も承知。
ふん、食えないヤツだ。
一人でいる時間の長い僕は、声を失っているからといって、普段とそう変わる事も無い。
独り言を呟いても声になっていなくて気が付く程度の事。
書類整理で一日終わる時など、殆ど人と話さないままでいるのだから、
大した不自由は感じないのだ。
面白そうかと思って取り寄せさせた本の予想外のつまらなさにがっかりして、
昼食後のひと時をサンルームのソファに座り、ぼんやりと庭の薔薇を眺めていた。
サンルームの扉をノックする音。
テーブルを二回コツコツと叩くと、ヤツが入って来る。
「坊ちゃん、少し気温が低くなりましたので、ひざ掛けをお持ちしました。」
そういえば、むき出しの膝がひんやりしているようだった。
僕の前まで来たヤツは、腰を少し屈める。
白い絹の手袋がひらりひらりと動いて、畳まれていた布を広げていく。
毎日見ているのに、コイツの動きの優美さにはいつも目を奪われてしまう。
ほっそりとした長い指が、見惚れる動きで、ふわりと僕の膝の上に柔らかな布を置いた。
本性は人間に忌み嫌われる魔物でありながら、無駄に美麗なのはどういう訳だろう。
これも、ヤツの言う美学とやらによるものなのか。
指の動かし方ひとつも、コイツはおざなりにはしない。
悪魔というのは、永遠を生きる為に些細な事にも拘るように出来ているのだろう。
そうする事で、持て余す時間をやり過ごす。
果ての無い時の流れを彷徨って行くのも、楽ではないということか。
時々こうして人間と契約するのは、いい暇つぶし・・・。
「坊ちゃん。」
腰を屈めた姿勢のままで、僕の顔を覗き込んできたヤツ。
作品名:Voice Without The Sound 作家名:たままはなま