夏祭り
一日に二度も可愛いと言われてしまった。生来華奢でなかなか筋肉がつかない津野にとっては、かわいいという言葉はちょっとしたコンプレックスだった。
「そうか?」
そう言いながら、松浦は津野の髪をもてあそんでいる。時折、耳を指で縁取るように撫でられると、奇妙なくすぐったさで肌が粟立った。
背中や膝から、力が抜けそうになる。
体がフワフワして、頭もぼんやりして・・・さっきより悪化しているなんておかしいな。
ずるり、と背中が背もたれを滑った。
「どうした?」
松浦が気づいて尋ねてくる。
「ん、なんか、まだ酔っ払っているみたいな・・・」
「今頃、酔が回ってきたのか。気持ち悪いか?」
「吐き気はしないけど、フワフワする」
隣に座った松浦の、太くて逞しい腕が目に入った。
このまま松浦に寄りかかって、この太い腕で支えてもらったら、きっと安心できるだろうな。
「大丈夫か」
「うん、あの・・・ちょっと、よりかかってもいいか?」
「ああ」
許可をもらい、松浦の肩に頭を預けるようにして寄りかかる。松浦は腕を腰に回して、津野の体を支えてくれた。上半身を完全に松浦の体へ預けた格好になった。
「ごめん、重いよね」
「気にすんな。酔っ払いの面倒みるのは慣れてるからな」
松浦が喋ると、息が髪にかかった。唇が髪に触れているかのような近さに感じた。
男同士で肩を寄せ合ってベンチに座っているなんて、誰かが見たら不気味な光景だろうな、とぼんやりした意識で考える。
でもいいや、松浦の腕は逞しくて、こんなにもやさしく自分を支えてくれる。
安心感から、津野はゆっくり目を閉じた。
「お酒って、気持ちよくなるね・・・」
津野がゆっくりと呟くと、松浦が笑った気配がした。
「そりゃよかったな。悪酔いした時は二度と飲まねえと思うほど気持ち悪いがな」
「そっか・・・僕は気分がいいよ」
津野がとろんとした声で応える。
頬に触れる感触があって、津野は目を開けた。
目の前に松浦の顔があった。松浦の手が津野の頬を包み込んでいる。その感触が普段よりピリピリと甘く過敏に感じて、全身の皮膚がうっすらと粟立った。
どきり、と心拍が大きく跳ねた。
「・・・おまえ、人前であんまり酒飲むな」
「え、・・・どうして?」
出た声が妙に舌っ足らずで、津野は少し恥ずかしくなった。
「どうしてって・・・危なっかしいから」
頬にあてがわれていた松浦の親指が、津野の唇をかすめた。
「おまえ、酔うと誰の前でもそんな顔するのか」
自分がどんな顔をしているのか分からない津野は、松浦を見つめた。松浦は、笑っていなかったが、怒っている様子でもなかった。少し苛立っているのかもしれないが、むしろ困ったような顔をしている。松浦の指が頬を柔らかく撫でるたびに、うっすらと痺れるような感覚が体を走った。
その感覚が心地よくて、津野は目を細める。
「そんな顔って・・・僕、どんな顔してるの」
松浦の顔がさらに近づいてきて、反射的に目を閉じた。唇を、やわらかく温かいものでやさしく挟みこまれる。
ラッキーストライクの匂いがした。
何度かやさし啄ばむようにキスされ、その間津野はされるがまま松浦の唇を受け入れていた。動悸がわずかに上がる。唇の甘い感触に体が弛緩し、縋るように松浦のシャツの胸元を指先で掴んだ。
やがて唇が離れ、指先から松浦のシャツがするりと逃げた。
目を開けると、松浦が津野から顔を背けながら体を離していくのが見えた。
「・・・帰るぞ」
低い声でそう告げて、松浦はバイクのほうへ歩いていく。
「うん・・・」
小さく返事をして、津野も松浦の後を追った。
津野の家に着くまでの間、松浦は無言でバイクを走らせていた。来た時のように「しっかり掴まれ」とも言われず、津野も無言でバイクに跨り松浦の背に掴まった。松浦は何も言わなかったが、腰に回した津野の腕をぐいと引いて振り落とされないようにしっかり掴まらせてくれた。
一言も交わさぬままの帰路は長く感じたが、津野は松浦の背にヘルメット越しに顔を擦りつけながら、しばらくこのままの時間が続けばいいと思った。
そんな津野の思いをよそに、津野の自宅はどんどん近づいていく。自宅の門の前でバイクがゆっくりと止まり、二人だけの夜の世界は終わりを告げた。
バイクから降り、脱いだヘルメットを松浦に渡す。
「・・・送ってくれてありがとう」
差し出されたヘルメットを無言で受け取る松浦に、それ以上なんと声をかけていいのか分からず、津野は立ちつくした。
いつもなら「また明日。ちゃんと部活に出ろよ」というところだった。普段とおなじように、そう声をかけようとしたが、舌が張りついたようになって声が出なかった。
口を開きかけては閉じる津野の肩を、松浦は突然強い力で引き寄せた。松浦の胸元に倒れこむ津野の後頭部を大きな手で掴み、そのまま唇を塞がれた。
さっきとは違う荒っぽいキスに呼吸が止まりそうになったが、津野はそのまま目を閉じて熱い唇を受け止めた。今度は強く、角度を変えて吸いつかれ、津野もわけが分からないままに必死に吸い返した。
唇を離したときに見上げた松浦の顔は、津野の頬をするりと撫でながら何か言いたそうにしていたが、やはり無言だった。すこしだけ照れくさそうに見えた。
結局、松浦は何も言わず、バイクのエンジン音を響かせて走り去った。津野は自宅の塀によりかかったまま、その背が見えなくなるまで見送った。
今更のように心臓がドキドキとうるさく鳴っている。
自宅に入り、母の「お帰り、遅かったのね」という声を聞き流しながら自室へ行き、ジャージ姿のままベッドに倒れこんだ。体中を血液が凄い勢いで駆け巡っているようで、頭がくらくらした。
そうだ、初めてだったんだ・・・
津野は女の子とも経験がなかった。今夜の松浦とのキスが初めての経験だった。
初めての相手が男だという異常事態を頭では分かっていたが、感情はそれを問題にはしていなかった。
嫌じゃなかった。
それどころか僕は、別れ際にもう一度口づけしてほしくて、言葉を言い淀んでいた気さえする。松浦は、それを察してくれたのかもしれない。
もう一度してほしい、とはっきり自覚していたわけではなかったが、このまま別れたくないと思ったのは本当だった。
何度も、松浦の唇の感触がフラッシュバックする。自分の唇に指先で触れると、体がカッと熱くなった。
ふとんにしがみついて、体の熱が逃げていくのを待った。
沸騰した頭で、必死に考える。何で僕は嫌がらなかったんだろう。何で彼は僕にキスしたんだろう。考えても分からなかった。ただ、甘い痺れに浮かされたようになるだけだった。
明日は、どんな顔して松浦に会ったらいいんだろう。
みんなに変に思われないように、いつもどおりに挨拶して・・・
できるだろうか、顔を赤くせずに、どきどきせずに彼の顔が見れるだろうか。
津野は枕をぎゅっと抱きしめて、暴れる鼓動が収まるのを待った。