夏祭り
「球蹴り」なんて馬鹿にしたような口ぶりだが、松浦は本当はサッカーが好きなのだ。そうでなければ、あれだけの技術を身につけることはできない。もちろん天性の素質もあろうが、子供の頃から相当の練習を重ねてきたはずだ。
もうひとつ、津野が個人的に感じている変化がある。以前は津野を無視していた松浦と西崎が、ふつうに話してくれるようになったことだ。
彼らのコミュニケーション方法はとにかく乱暴で、挨拶代わりに背中や尻をバシッと叩かれたりする。これが結構痛い。西崎には背後から首根っこをチョークスリーパーよろしく絞められたこともあった。苦しくて首に巻きついた西崎の腕を何度も叩いてギブアップサインを出したが、絞めている西崎は楽しそうだった。初めの頃はいきなり叩かれてゲラゲラ笑われて何事かと思ったが、どうやらこれが彼ら流のスキンシップらしいと分かって、自分に歩みよってくれていることが嬉しかった。
津野のたこ焼きの皿が空になった頃、男子生徒が一人駆けよってきた。
補導員や学校の先生が見回りに来ているという話だった。
「ビールの一本や二本で捕まんのも面倒だなあ。逃げるか」
松浦が億劫そうに立ち上がる。他の連中も動きだした。
「おまえら、車?」
「おう、このままヤサに戻るわ。松浦はバイクだろ?大丈夫か、酔っ払いが」
「バーカ、酔うほど呑んじゃいねえよ」
ヤサ、の意味がよくわからなかったが、とにかくみんな帰るらしいことは分かった。自分も、酒臭いのが見つかる前に帰らなくてはならない。
そう思って立ちあがると、すい、と腕を取られた。松浦だった。
「送っていくぜ。モタモタしていると補導されるぞ、キャプテン」
「お、松浦がめずらしく優しいなー。明日は雪でも降るんじゃねえ?事故んないように気をつけろよ、津野ー」
西崎が松浦をからかいながら、じゃあな、と去っていく。向こうに仲間が車を駐車しているらしい。
うん、と頷きながら、松浦に引っ張られて彼らとは違う方向へ進む。祭りの人ごみは、どういうわけか松浦が歩くと自然と割れて道が出来ていた。大柄で強面の彼は、歩いているだけで人が避けていくらしい。周囲からは、不良にひ弱な高校生が絡まれているように見えているのだろう。
程なくして、街頭の下に見覚えのある大きなバイクが止めてあるのが見えた。
松浦がヘルメットを差し出してくれた。受け取ると、不意に頬を手の甲で撫でられた。
松浦がこちらを見ていた。相変わらず強面の仏頂面だが、これは心配している顔だ。最近少しだけ松浦の表情が分かるようになってきた。
「顔が赤いな。酔ったか?」
松浦の指が頬を滑る。少し冷たく感じる。それだけ自分の顔が熱いのか。
「あ、うん・・・。ちょっと酔ったかな。なんだかフワフワしてる・・・」
足元がおぼつかないということはないが、ほんの少し体が浮いているような、力が入らないような感覚だった。
酔っ払って気持ちいい、っていうのは、こういう感じのことなのかな。
ヘルメットを被り、バイクの後ろに跨った。バイクに乗るのは初めの津野に、松浦は丁寧にここをしっかり掴んでいろよ、と教えてくれ、その度にこくこくと頷いた。
バイクのエンジンの振動が、体に響く。松浦の広い背中にしがみつくと、煙草の匂いがした。
「津野、酔い覚ましに、ちょっと付き合わねえか?」
「え、どこに?」
深夜ではないが、そこそこ遅い時間だった。女の子ではないので門限でうるさく怒る両親ではないが、帰宅が遅いと心配するかもしれない。
津野の心配を察したのか、松浦は口元で笑った。
「なに、少しそこまで散歩だ。たいして時間はとらせねえ。・・・かばん、落とすなよ」
豪快なエンジン音を響かせ、二人乗りのバイクは走りだした。
***
「わあ、綺麗だね」
ヘルメットをはずし、津野は目の前の景色に感嘆の声を上げた。
松浦に連れられて来たのは、道路のわきにある公園のような広場だった。公園と言っても車を止めて休憩する程度のもので、ベンチが数台あるだけで、誰もいなかった。高台にあり、眼下に街の夜景が広がっていた。街頭、車のライト、ビルや住宅の灯りが星のように瞬いている。さっきまでいた神社はどこだろう、と探したが、小さい光の群れにまぎれてしまって分からなかった。
カチッとライターに火をつける音がした。振り返ると、バイクに跨ったままの松浦が煙草をふかしている。その姿が、津野には格好よく映った。
松浦は、いつも格好いい。サッカーをしている時の驚くような技術とパワーでの豪快なプレイもそうだが、普段の姿も、ちょっと大人っぽくて、堂々としていて、悪ぶっているのがとてもさまになっている。
その格好よさが津野にはあこがれだった。
「ここ、よく来るの?」
「たまにな。一人で走っているときとか」
そう言いながら、咥え煙草のままバイクから離れ、近くのベンチにどっかりと腰を下ろした。津野も松浦に倣い、隣に座る。
いつもは一人で来ている場所に、自分を連れてきてくれたのか。この夜景を見せるために。
そう思うと嬉しくて、松浦の隣に、少し近づくように座った。いつもは、たとえば練習中にナイスプレイをたたえようと近づくと「うっとおしい」と怒られるが、今なら怒られないような気がした。
思った通り、松浦は津野を振り払わず側に座らせている。
顔の熱さと浮遊感は続いていた。アルコールのせいで心拍数も上がっているのだろう。いつもより鼓動が速い。
「こんな夜景スポットがあるなんて、知らなかったな」
「夜景スポットってほど、たいしたことはねえよ。有名な場所は人も多いし、デートコースになっているから、女連れに占拠されてるんだよな・・・車がびっしり停まってて、ゆさゆさ揺れてる車もあるしなぁ」
「揺れる?なんで?」
無邪気な津野の問いに、松浦は一瞬津野を見つめ、そののち、くっくっと笑いだした。
「なんだよ、なんで笑うの?」
「いやあ、おまえって本当・・・。揺れてるのは、車の中で女とヤっているからだよ。カーセックスしてんの」
「・・・!」
酒ですでに熱い顔が、さらに二段階くらい温度が上昇するのが自分でも分かった。きっと、今の自分の顔はゆでだこのように真っ赤だろう。
「まあ、俺も女連れていくならそっちに行くけどな。女は夜景とか喜ぶし、そういう雰囲気作れば、ロマンチックねー、なんて言いながらやらせてくれる」
そういって松浦は煙草の煙をふうっと吐き出した。
松浦の下品な会話はいつものことではあったが、女性経験がなく元来が奥手な津野はいつまでたっても慣れなかった。性的な話題になる度に顔を赤くし、松浦と西崎にからかわれる。
松浦が微笑みながら、津野のほうへ手を伸ばしてきた。耳をかすめるように、大きな手が津野の髪を掬う。
指先が耳に触れ、びくりとした。松浦の指のほうが冷たく感じるほど、耳まで赤くなっているのだろう。
「かわいいな、おまえ」
低く囁くような松浦の声。精悍な顔が、普段よりずっと近くにあった。ドッドッ、と自分の心臓の音がやけにはっきりと聞こえる。
まだ酔いがさめていないのかな。でも、さっきより鼓動が速くて、なんだか息苦しい・・・。
「か、かわいいとか言われても、嬉しくないよ・・・」