あくまでも・・・
あくまでも・・・
今日の予定をすらすらと吐き出す執事の声を聞いていた。
しかし、聞いて、流していたのだった。
僕には、目論見があったから。
きっちりと服を着せつけられた僕は、食堂に向かう。
すぐ後ろには、僕の執事が、いつものように付き従っている。
僕の、執事。
数日前、裏の仕事で出向いた先で、ヤツの時計の銀鎖が切れた。
すぐに修理をさせたものの、僕は、どうにも気に入らない。
銀鎖は、僕の不注意から切れる事になったのだった。
追っていた者達をあらかた縛り上げ、後はヤードを待つだけと思った一瞬、
逃げたと思った一味の男が、建物の屋上から僕を狙ってライフルを撃った。
音を捉えて身を翻そうとした時には、ヤツの体から、血が噴き出していた。
ヤツは僕の前に身を挺し、銀鎖と共に、代わりに弾丸を受けたのだ。
銀鎖は弾丸を受けて切れてしまった。
あくまで執事なヤツは、この程度で死にはしない。
まあ、痛みはあるし、血も流れはするけれど。
切れた銀鎖は、当然のことながら血まみれだった。
ヤツの血を、銀鎖は吸った。
もう、逃げてしまったものと油断した僕の所為で。
だから、気に入らない。
ヤツが時計を取り出す度に揺れる鎖を見ては、思い出させられるから。
修理はしても、同じ鎖に変わりはない。
僕の不手際が、僕の執事に流血させた事を、その銀鎖は嘲笑う。
指に刺さった小さな棘のようなもどかしい痛みを与える銀鎖。
これ以上は、もう、我慢ならなかった。
今日は、全ての予定をキャンセルさせて、ロンドンへ行くのだ。
急にそんな事を言い出せば、ヤツがどんな顔をするか、
僕には完璧に予想が付く。
だが、僕が引くような性質でないのも、ヤツはよく知っている。
結局は、僕のしたいようにするのだ。
そこはかとない可笑しさがこみ上げて、僕はくすりと笑った。
朝食を終えて執務室に戻ると、僕はヤツに宣言する。
「今日は、これからロンドンに行く。すべての予定をキャンセルしろ。」
ヤツは、目を見開いて無言で驚いた後、僕の目を見据えた。
「坊ちゃん。そんなに急な御用がいつ出来たのですか?」
僕はヤツを見返す。
「今だ。」
「どういったご用向きでしょう?」
「いちいちお前に報告する義務は無い。」
出方を観察しようとしているヤツ。
「私は坊ちゃんの執事です。主の動向は心得ておりませんと。」
「僕はロンドンに行く。それだけ分かればいいだろう。」
視線のぶつかる辺りで火花が見えそうだ。
もしも見えれば、碧と赤の火花が散るさまは、さぞ美しかろうに。
「坊ちゃん。ご用件によっては、私が代わりに参りますが?」
自分の決めた予定を反古にされるのをとても嫌うヤツは、笑顔を作っている。
「僕自身が行く必要がある。」
しかつめらしい顔で対抗する。
「ロンドンのどちらへ?」
「いくつか回る事になるだろう。」
さあ、仮面を剥いでみろ。
「明日以降にずらすことは出来ないのですか?」
まだ粘るようだな。
「いや、今日だ。」
もう、これ以上、あの銀鎖を見るのは御免だ。
ヤツが時計を取り出す度に、僕は、あの瞬間を目の当たりに思い出してしまうのだから。
絶対に引かない。
強い意志を込めてヤツを見る。
暫く僕を観察し、ヤツが溜息をついた。
「坊ちゃん、ファントムハイヴ家当主たるもの、
理由も言わずに予定を変更なさるなどとおっしゃってはいけません。
急なキャンセルは、ご教授をお願いしている家庭教師の方に失礼になりますよ。」
そう来るのは想定済み。
「急を要する用事だと言え。そんなのはよく有る事だろう。」
実際、そうなのだ。
国家の母たる女王陛下からの手紙が来れば、すぐに動かなければならないのだから。
そして、ごく稀にではあるが、ベッドから起き上がれない僕の為に、
執事が言い訳に使う言葉であったりもする。
その言葉を言い訳にする為に電話に向かって語るヤツの顔は、
絶対、緩んでいるに違いないと僕は思っている。
先方に失礼だとかは、僕から何か聞き出そうとする方便に過ぎない。
「これ以上の問答は時間の無駄だ。馬車を手配しろ。」
目を先に反らした方が負けを認めた者。
僕の目は、ヤツを射抜いたままに固定されている。
ヤツは、眉尻を下げ、大きく溜息を吐く。
「困った方ですね。今日はやけに強情でいらっしゃる。」
僕の鼻先へ顔を寄せてくる執事。
「ふん、下らない事を言ってないで、さっさと用意をしたらどうだ。」
お互いの視線で火傷しそうだ。
「その強情の訳を聞かせて頂きたいのですが?」
「強情でもなければ、訳もない。お前に聞かせる謂れもない。」
「・・・。」
「・・・・・。」
「負けず嫌いですね、坊ちゃん。」
「お前が言うか。」
「悪魔に張り合おうとは。」
「悪魔の主だ。悪魔以上で当然だろう。」
「坊ちゃんも、ある意味悪魔ですしね。」
「悪魔使いが荒いからな。」
「おや、自覚がおありでしたか。」
「僕の魂は安くないぞ。しっかり働け。」
「十分な仕事をさせて頂いていると自負しておりますが。」
「契約だから、期間中は当然だ。」
「なるべく急いで復讐を果たして下さいますようお願い致します。」
「それは僕の関知の範囲外だな。」
「それで、今日のお出かけの理由は何なのです?」
「・・・・・。」
「途端に鍵がかかるのですね。まったく、よく出来たお口で。」
呆れ返った顔を見せる執事。
僕は何も言わず、きつい眼差しで執事を見続ける。
何としても、今日はロンドンに行く。
あの銀鎖は、今日、外させるのだ。
計算を誤った主の所為で、執事の血を吸った、銀鎖。
悔しくて、血が逆流しそうだ。
感情に任せていらない事を言わないように、ヤツの目に集中して気を紛らわせる。
男のくせに、何て長い睫だろう。
こんなにまじまじヤツの目だけを見る事も少ないので、この機会に観察する。
この紅茶色の光彩の部分が面積を変える事で、取り込む光の量を調節するわけだな。
今は丸い瞳孔部分は、本性を現す瞳の時には、縦長の猫の目のようになる。
形が変化していくのを見るのも面白そうだ。
何しろ、こいつ以外にそんな芸当が出来る奴を知らない。
今度、機会があれば観察してみたいものだなどと思う。
僕は、ただ、ヤツの目を見ていただけ。
行動としては、それだけ。
暫くの後、突如、執事の深く長い溜息が聞こえた。
ヤツは観念したように瞼を下ろしていく。
「分かりました。予定のキャンセルと、馬車の手配をして参ります。」
どうやら勝敗がついたようだ。
ヤツがニヤリと口元を歪めるのを見届ける間もなく、唇を塞がれた。
「悪魔が小悪魔に負けるとは面白い。」
一瞬のキスを解かれたあと、僕はヤツに言い放った。
「私が猫に弱いのは、よく御存知でしょう。」
今度は、ヤツの口角がくっきりと笑顔の角度まで引き上げられるのを見届けた。
猫に喩えられるのは気に喰わないが、勝てればいいのだ。
ヤツが何本かの電話を済ませる間に、僕は、どんな銀鎖にしようかと考えを巡らす。
銀鎖のデザインは、あまり凝り過ぎないものがいい。
シンプルで、飽きないが、そっけなくならないもの。
ヤツの細身の体に似合いの、程々の重量感のもの。
無駄を削ぎ落とし、かつ繊細で優雅な鎖を探すのだ。
今日の予定をすらすらと吐き出す執事の声を聞いていた。
しかし、聞いて、流していたのだった。
僕には、目論見があったから。
きっちりと服を着せつけられた僕は、食堂に向かう。
すぐ後ろには、僕の執事が、いつものように付き従っている。
僕の、執事。
数日前、裏の仕事で出向いた先で、ヤツの時計の銀鎖が切れた。
すぐに修理をさせたものの、僕は、どうにも気に入らない。
銀鎖は、僕の不注意から切れる事になったのだった。
追っていた者達をあらかた縛り上げ、後はヤードを待つだけと思った一瞬、
逃げたと思った一味の男が、建物の屋上から僕を狙ってライフルを撃った。
音を捉えて身を翻そうとした時には、ヤツの体から、血が噴き出していた。
ヤツは僕の前に身を挺し、銀鎖と共に、代わりに弾丸を受けたのだ。
銀鎖は弾丸を受けて切れてしまった。
あくまで執事なヤツは、この程度で死にはしない。
まあ、痛みはあるし、血も流れはするけれど。
切れた銀鎖は、当然のことながら血まみれだった。
ヤツの血を、銀鎖は吸った。
もう、逃げてしまったものと油断した僕の所為で。
だから、気に入らない。
ヤツが時計を取り出す度に揺れる鎖を見ては、思い出させられるから。
修理はしても、同じ鎖に変わりはない。
僕の不手際が、僕の執事に流血させた事を、その銀鎖は嘲笑う。
指に刺さった小さな棘のようなもどかしい痛みを与える銀鎖。
これ以上は、もう、我慢ならなかった。
今日は、全ての予定をキャンセルさせて、ロンドンへ行くのだ。
急にそんな事を言い出せば、ヤツがどんな顔をするか、
僕には完璧に予想が付く。
だが、僕が引くような性質でないのも、ヤツはよく知っている。
結局は、僕のしたいようにするのだ。
そこはかとない可笑しさがこみ上げて、僕はくすりと笑った。
朝食を終えて執務室に戻ると、僕はヤツに宣言する。
「今日は、これからロンドンに行く。すべての予定をキャンセルしろ。」
ヤツは、目を見開いて無言で驚いた後、僕の目を見据えた。
「坊ちゃん。そんなに急な御用がいつ出来たのですか?」
僕はヤツを見返す。
「今だ。」
「どういったご用向きでしょう?」
「いちいちお前に報告する義務は無い。」
出方を観察しようとしているヤツ。
「私は坊ちゃんの執事です。主の動向は心得ておりませんと。」
「僕はロンドンに行く。それだけ分かればいいだろう。」
視線のぶつかる辺りで火花が見えそうだ。
もしも見えれば、碧と赤の火花が散るさまは、さぞ美しかろうに。
「坊ちゃん。ご用件によっては、私が代わりに参りますが?」
自分の決めた予定を反古にされるのをとても嫌うヤツは、笑顔を作っている。
「僕自身が行く必要がある。」
しかつめらしい顔で対抗する。
「ロンドンのどちらへ?」
「いくつか回る事になるだろう。」
さあ、仮面を剥いでみろ。
「明日以降にずらすことは出来ないのですか?」
まだ粘るようだな。
「いや、今日だ。」
もう、これ以上、あの銀鎖を見るのは御免だ。
ヤツが時計を取り出す度に、僕は、あの瞬間を目の当たりに思い出してしまうのだから。
絶対に引かない。
強い意志を込めてヤツを見る。
暫く僕を観察し、ヤツが溜息をついた。
「坊ちゃん、ファントムハイヴ家当主たるもの、
理由も言わずに予定を変更なさるなどとおっしゃってはいけません。
急なキャンセルは、ご教授をお願いしている家庭教師の方に失礼になりますよ。」
そう来るのは想定済み。
「急を要する用事だと言え。そんなのはよく有る事だろう。」
実際、そうなのだ。
国家の母たる女王陛下からの手紙が来れば、すぐに動かなければならないのだから。
そして、ごく稀にではあるが、ベッドから起き上がれない僕の為に、
執事が言い訳に使う言葉であったりもする。
その言葉を言い訳にする為に電話に向かって語るヤツの顔は、
絶対、緩んでいるに違いないと僕は思っている。
先方に失礼だとかは、僕から何か聞き出そうとする方便に過ぎない。
「これ以上の問答は時間の無駄だ。馬車を手配しろ。」
目を先に反らした方が負けを認めた者。
僕の目は、ヤツを射抜いたままに固定されている。
ヤツは、眉尻を下げ、大きく溜息を吐く。
「困った方ですね。今日はやけに強情でいらっしゃる。」
僕の鼻先へ顔を寄せてくる執事。
「ふん、下らない事を言ってないで、さっさと用意をしたらどうだ。」
お互いの視線で火傷しそうだ。
「その強情の訳を聞かせて頂きたいのですが?」
「強情でもなければ、訳もない。お前に聞かせる謂れもない。」
「・・・。」
「・・・・・。」
「負けず嫌いですね、坊ちゃん。」
「お前が言うか。」
「悪魔に張り合おうとは。」
「悪魔の主だ。悪魔以上で当然だろう。」
「坊ちゃんも、ある意味悪魔ですしね。」
「悪魔使いが荒いからな。」
「おや、自覚がおありでしたか。」
「僕の魂は安くないぞ。しっかり働け。」
「十分な仕事をさせて頂いていると自負しておりますが。」
「契約だから、期間中は当然だ。」
「なるべく急いで復讐を果たして下さいますようお願い致します。」
「それは僕の関知の範囲外だな。」
「それで、今日のお出かけの理由は何なのです?」
「・・・・・。」
「途端に鍵がかかるのですね。まったく、よく出来たお口で。」
呆れ返った顔を見せる執事。
僕は何も言わず、きつい眼差しで執事を見続ける。
何としても、今日はロンドンに行く。
あの銀鎖は、今日、外させるのだ。
計算を誤った主の所為で、執事の血を吸った、銀鎖。
悔しくて、血が逆流しそうだ。
感情に任せていらない事を言わないように、ヤツの目に集中して気を紛らわせる。
男のくせに、何て長い睫だろう。
こんなにまじまじヤツの目だけを見る事も少ないので、この機会に観察する。
この紅茶色の光彩の部分が面積を変える事で、取り込む光の量を調節するわけだな。
今は丸い瞳孔部分は、本性を現す瞳の時には、縦長の猫の目のようになる。
形が変化していくのを見るのも面白そうだ。
何しろ、こいつ以外にそんな芸当が出来る奴を知らない。
今度、機会があれば観察してみたいものだなどと思う。
僕は、ただ、ヤツの目を見ていただけ。
行動としては、それだけ。
暫くの後、突如、執事の深く長い溜息が聞こえた。
ヤツは観念したように瞼を下ろしていく。
「分かりました。予定のキャンセルと、馬車の手配をして参ります。」
どうやら勝敗がついたようだ。
ヤツがニヤリと口元を歪めるのを見届ける間もなく、唇を塞がれた。
「悪魔が小悪魔に負けるとは面白い。」
一瞬のキスを解かれたあと、僕はヤツに言い放った。
「私が猫に弱いのは、よく御存知でしょう。」
今度は、ヤツの口角がくっきりと笑顔の角度まで引き上げられるのを見届けた。
猫に喩えられるのは気に喰わないが、勝てればいいのだ。
ヤツが何本かの電話を済ませる間に、僕は、どんな銀鎖にしようかと考えを巡らす。
銀鎖のデザインは、あまり凝り過ぎないものがいい。
シンプルで、飽きないが、そっけなくならないもの。
ヤツの細身の体に似合いの、程々の重量感のもの。
無駄を削ぎ落とし、かつ繊細で優雅な鎖を探すのだ。