1.アペリティフ
「先輩、護送の手配済みました!」
思いっきりドアを開けて、笑顔100パーセントって感じの石垣さんが笹塚さんに報告した。
「犯人はもう殆ど無抵抗でしたが、しっかり手錠かけて、更に後部座席で両側から押さえつけてあります。
証拠品も一切合財運び出しました。後は出発するだけです!」
「オマエ……今回はえらく手際がいいな」
「というわけで、是非アヤさんのサインを!!」
「ダメだっつってんだろ」
いったいどこから取り出してくるのだか、再び差し出された石垣さんの色紙の真ん中に、じゅっと音を立てて笹塚さんの煙草が押し当てられる。
「あぁ~、先輩ひどい、何てことすんですかぁ」
「るさい、うざい、仕事しろ」
名コンビなのか迷コンビなのか、今イチ迷うところだけど、コンビであることには間違いない感じがする。
あの竹田刑事が私のお父さんを殺した犯人だってわかったときには、笹塚さんも相当ショックを受けていたようだったけど。
今は、こうして新しい相棒と仕事をしている。
「良かったですね、笹塚さん」
「え?」
自然と緩んだ口元のまま見上げると、重なった視線が、戸惑ったように揺らめいた。
いくらなんでも唐突過ぎただろうか。
「ああ、そう、だな。
結局、また弥子ちゃんに借りが出来ちまったな。キミたちのおかげで犯人逮捕が早まった」
「はあ」
言葉の意図は曲がって伝わったようだったけれど、気にしないことにした。
そもそも、笹塚さんが新しい相棒と上手くやっているからって、それで私がほっとした理由を訊かれても、説明できない。
「あのー、ところで」
いつのまにか私と笹塚さんの間に回り込んできていた石垣さんが、おそるおそるといった感じで声をかけてくる。
「「え?」」
応えた声が重なったのに、思わずもう一度視線が合わさる。
「あの、ですね。どうにも言い出しづらい雰囲気のところ申し訳ないんですが……。
アヤさんは、どこ行ったんスか?」
そう言われて改めて部屋の中を見回して。
私も初めて気がついた。
ネウロの姿が見えなくなっていたことに。
石垣さんが戻ってくる数分前に、アヤさんは不意に言い出したのだ。
『刑事さん、少し一人になりたいの。構わないかしら?』
『気持ちは判りますけどね。第二、第三の加害者が何時どこから沸いてくるかわからない。
出来ればじっとおとなしくしてて欲しいってのが俺の本音です』
『あなたの事情はわかるわ。でも、さすがに少し、疲れたのよ。
人に見られることを仕事にしていると、いつでも意識を張ってしまって。
一人きりにならないと本当にリラックス出来ないの。お願い、出来ないかしら』
笹塚さんは、その言葉を聞くと、黙ってスーツの胸ポケットから煙草を取り出した。
ゆっくり蓋を上げられたライターから、かちり、と音がして、やがて煙が上がる。
『15分以上は、待てませんよ』
『ありがとう、刑事さん』
そんなやり取りの後、アヤさんが出て行った後は、ネウロの姿はそこにあったのだ。
扉を閉める寸前、透き間から覗いたアヤさんの目が、真っ直ぐ私の隣に注がれるのを、確かに見たから。
「おっかしいっスねー。二人そろってどこ行っちゃったんだか」
二人、そろって。
意味もなく、訳もなく、石垣さんのセリフからそこだけを切り取って繰り返す。
二人そろって。
フタリ、ソロッテ。
「ほんっと、ネウロもアヤさんもどうしたんでしょうねー。
私、ちょっと探してきます」
ドアに向かう足が、段々と速くなるのを、止められなかった。
部屋を出てすぐの廊下を真っ直ぐ行って左に曲がると、大きな窓がある。
そこから、沈みかけた夕陽の真っ赤な光が差し込んで、向かいの壁を染めていた。
そして、その赤い壁にくっきりと浮き上がったシルエットは、一つだったけれど、明らかに二人分だった。
影に近づくたびに、心臓の鼓動が速度をましてゆく。
向こう側に見えるものを見たいのか見たくないのか考えているうちに、あたしは、もう、壁に手をかけて覗き込んでいた。
そこには、ネウロに寄り添うアヤさんの姿があった。
急に、空気が薄くなった気がする。
身体じゅうの血管が、自分はここにいる、って大音響で主張している。
わかってる、そんなこと。
でも、あの二人はわかっているんだろうか。
あたしは、ここにいるのに。
いつか、叶絵の見せてくれたDVDにあった映像そっくりに、アヤさんがふわりと手を差し上げた。
伴って流れる髪が、ひらひらひらめいて、まるで天女が舞っているみたいだ。
キレイ。あたしとは比べ物にならないくらい。
その、手が、するりとネウロの首に巻きつけられる。
ひっ
ごく近くで聞こえた音に、見つかりたくないやましさからびくんと肩が震えた。
けれど、それはあたしの喉から出た音だった。
苦しい。まるで、ネウロに回された筈のアヤさんの腕で、首を締め上げられているみたいだ。
この先の展開なんてわかってる。
マンガにもドラマにも、掃いて捨てるほど転がってるなりゆきだ。
それでも、息苦しい。
ありふれてる、なんてこと、ぜんぜん、何のなぐさめにもならない。
それでも、結局。あたしは、一言の声さえ上げられずにその光景を見つめてしまった。
アヤさんが、ネウロの首元を引き寄せて、唇を重ねるのを。
ネウロが、黙って受け容れるのを。
二人の間に交わされるキスが、段々と深くなっていくのを。
そして。
これは、あたしの気のせいかもしれない。
だけど、一瞬、アヤさんがこちらを見た気がしたのだ。
あたしに視線を重ねて、ほんの僅か、嬉しそうに微笑んだ。幸せそう、と言っていいくらいの表情で。
ぽと、と壁にかけていた手から力が抜ける。
あたしは、踵を返して歩き出した。
関係ない。
あたしには関係ない。
ネウロなんて別に、脅されて付き合ってただけだし、お父さんの事件さえ解いてくれたら、あたしのほうはもともと後は用事なんてなかったんだから。
それをここまでいいようにこき使われて。
アヤさんを替わりにするなら、好都合だ。アヤさんも嫌じゃなさそうだし。
勝手にすればいい。
ネウロなんて、勝手に。
「弥子ちゃん?」
「笹、塚さん」
「どうしたの?お腹でも痛い?」
「え?」
「いや、だって、ホラ」
きょとん、として(たつもりで)上げたあたしの顔を、心底困った表情で見ながら、笹塚さんは、そっとあたしの目元に指を伸ばした。
「泣いて、るから、さ」
無骨な指先に、透明な滴が円く乗っかっている。
「大丈夫?」
困った表情のまんま、笹塚さんがうつむいてしまったあたしを覗き込む。
身長差から考えたら、かなり無理な体勢の筈なのに、目いっぱい身体を折り曲げて。
その目が、とても優しかったから。
「笹塚さん……」
あたしは、滴が流れ落ちそうになっていた頬を、笹塚さんのスーツに押し当ててしまっていた。
ネウロなんて、勝手にすればいい。
「笹塚さん」
「とにかく、いったん戻ろう。あんまり動かない方がいい。
もしかしたら、探しているつもりで俺たちが探される羽目になってるかもしれないしな」
思いっきりドアを開けて、笑顔100パーセントって感じの石垣さんが笹塚さんに報告した。
「犯人はもう殆ど無抵抗でしたが、しっかり手錠かけて、更に後部座席で両側から押さえつけてあります。
証拠品も一切合財運び出しました。後は出発するだけです!」
「オマエ……今回はえらく手際がいいな」
「というわけで、是非アヤさんのサインを!!」
「ダメだっつってんだろ」
いったいどこから取り出してくるのだか、再び差し出された石垣さんの色紙の真ん中に、じゅっと音を立てて笹塚さんの煙草が押し当てられる。
「あぁ~、先輩ひどい、何てことすんですかぁ」
「るさい、うざい、仕事しろ」
名コンビなのか迷コンビなのか、今イチ迷うところだけど、コンビであることには間違いない感じがする。
あの竹田刑事が私のお父さんを殺した犯人だってわかったときには、笹塚さんも相当ショックを受けていたようだったけど。
今は、こうして新しい相棒と仕事をしている。
「良かったですね、笹塚さん」
「え?」
自然と緩んだ口元のまま見上げると、重なった視線が、戸惑ったように揺らめいた。
いくらなんでも唐突過ぎただろうか。
「ああ、そう、だな。
結局、また弥子ちゃんに借りが出来ちまったな。キミたちのおかげで犯人逮捕が早まった」
「はあ」
言葉の意図は曲がって伝わったようだったけれど、気にしないことにした。
そもそも、笹塚さんが新しい相棒と上手くやっているからって、それで私がほっとした理由を訊かれても、説明できない。
「あのー、ところで」
いつのまにか私と笹塚さんの間に回り込んできていた石垣さんが、おそるおそるといった感じで声をかけてくる。
「「え?」」
応えた声が重なったのに、思わずもう一度視線が合わさる。
「あの、ですね。どうにも言い出しづらい雰囲気のところ申し訳ないんですが……。
アヤさんは、どこ行ったんスか?」
そう言われて改めて部屋の中を見回して。
私も初めて気がついた。
ネウロの姿が見えなくなっていたことに。
石垣さんが戻ってくる数分前に、アヤさんは不意に言い出したのだ。
『刑事さん、少し一人になりたいの。構わないかしら?』
『気持ちは判りますけどね。第二、第三の加害者が何時どこから沸いてくるかわからない。
出来ればじっとおとなしくしてて欲しいってのが俺の本音です』
『あなたの事情はわかるわ。でも、さすがに少し、疲れたのよ。
人に見られることを仕事にしていると、いつでも意識を張ってしまって。
一人きりにならないと本当にリラックス出来ないの。お願い、出来ないかしら』
笹塚さんは、その言葉を聞くと、黙ってスーツの胸ポケットから煙草を取り出した。
ゆっくり蓋を上げられたライターから、かちり、と音がして、やがて煙が上がる。
『15分以上は、待てませんよ』
『ありがとう、刑事さん』
そんなやり取りの後、アヤさんが出て行った後は、ネウロの姿はそこにあったのだ。
扉を閉める寸前、透き間から覗いたアヤさんの目が、真っ直ぐ私の隣に注がれるのを、確かに見たから。
「おっかしいっスねー。二人そろってどこ行っちゃったんだか」
二人、そろって。
意味もなく、訳もなく、石垣さんのセリフからそこだけを切り取って繰り返す。
二人そろって。
フタリ、ソロッテ。
「ほんっと、ネウロもアヤさんもどうしたんでしょうねー。
私、ちょっと探してきます」
ドアに向かう足が、段々と速くなるのを、止められなかった。
部屋を出てすぐの廊下を真っ直ぐ行って左に曲がると、大きな窓がある。
そこから、沈みかけた夕陽の真っ赤な光が差し込んで、向かいの壁を染めていた。
そして、その赤い壁にくっきりと浮き上がったシルエットは、一つだったけれど、明らかに二人分だった。
影に近づくたびに、心臓の鼓動が速度をましてゆく。
向こう側に見えるものを見たいのか見たくないのか考えているうちに、あたしは、もう、壁に手をかけて覗き込んでいた。
そこには、ネウロに寄り添うアヤさんの姿があった。
急に、空気が薄くなった気がする。
身体じゅうの血管が、自分はここにいる、って大音響で主張している。
わかってる、そんなこと。
でも、あの二人はわかっているんだろうか。
あたしは、ここにいるのに。
いつか、叶絵の見せてくれたDVDにあった映像そっくりに、アヤさんがふわりと手を差し上げた。
伴って流れる髪が、ひらひらひらめいて、まるで天女が舞っているみたいだ。
キレイ。あたしとは比べ物にならないくらい。
その、手が、するりとネウロの首に巻きつけられる。
ひっ
ごく近くで聞こえた音に、見つかりたくないやましさからびくんと肩が震えた。
けれど、それはあたしの喉から出た音だった。
苦しい。まるで、ネウロに回された筈のアヤさんの腕で、首を締め上げられているみたいだ。
この先の展開なんてわかってる。
マンガにもドラマにも、掃いて捨てるほど転がってるなりゆきだ。
それでも、息苦しい。
ありふれてる、なんてこと、ぜんぜん、何のなぐさめにもならない。
それでも、結局。あたしは、一言の声さえ上げられずにその光景を見つめてしまった。
アヤさんが、ネウロの首元を引き寄せて、唇を重ねるのを。
ネウロが、黙って受け容れるのを。
二人の間に交わされるキスが、段々と深くなっていくのを。
そして。
これは、あたしの気のせいかもしれない。
だけど、一瞬、アヤさんがこちらを見た気がしたのだ。
あたしに視線を重ねて、ほんの僅か、嬉しそうに微笑んだ。幸せそう、と言っていいくらいの表情で。
ぽと、と壁にかけていた手から力が抜ける。
あたしは、踵を返して歩き出した。
関係ない。
あたしには関係ない。
ネウロなんて別に、脅されて付き合ってただけだし、お父さんの事件さえ解いてくれたら、あたしのほうはもともと後は用事なんてなかったんだから。
それをここまでいいようにこき使われて。
アヤさんを替わりにするなら、好都合だ。アヤさんも嫌じゃなさそうだし。
勝手にすればいい。
ネウロなんて、勝手に。
「弥子ちゃん?」
「笹、塚さん」
「どうしたの?お腹でも痛い?」
「え?」
「いや、だって、ホラ」
きょとん、として(たつもりで)上げたあたしの顔を、心底困った表情で見ながら、笹塚さんは、そっとあたしの目元に指を伸ばした。
「泣いて、るから、さ」
無骨な指先に、透明な滴が円く乗っかっている。
「大丈夫?」
困った表情のまんま、笹塚さんがうつむいてしまったあたしを覗き込む。
身長差から考えたら、かなり無理な体勢の筈なのに、目いっぱい身体を折り曲げて。
その目が、とても優しかったから。
「笹塚さん……」
あたしは、滴が流れ落ちそうになっていた頬を、笹塚さんのスーツに押し当ててしまっていた。
ネウロなんて、勝手にすればいい。
「笹塚さん」
「とにかく、いったん戻ろう。あんまり動かない方がいい。
もしかしたら、探しているつもりで俺たちが探される羽目になってるかもしれないしな」