Fall 2
彼女が狙われているらしいと僕達に知らせがあった時に、本人に知らせて協力を仰ぐ事を進言したのは僕だ。あれだけ肝の座った人物ならば、このくらいの事をやってくれると見越したのである。実際、非常に良く出来た協力をしてくれたと言える結果だった。こちらの完璧に近い実績を挙げてガードを約束したところで、実際には何か不測の事態が起こらないとも限らないのが命のやり取りの現場だ。その立場に置かれたものでなければ分からない、底知れぬ恐怖があるというのに、自分の命が狙われている現場で、爪の先程の緊張感も見せずに自然体を演じて見せた。
バンケットルームを後にしていくターゲットに、本物の女優の実力を知らせてやれないのが残念な気がするくらいだ。笑い出したいのを抑えて、僕は次の指示を飛ばす。
「“ガーデナー”、確保しろ!」
失敗した。
全く、下らない邪魔が入らなければ、絶妙のタイミングで成功したものを。
もう一度チャレンジする機会を狙えなくもないだろうが、このところの対暗殺部隊の件があるからには危険値が高すぎると判断し、私は撤退する事を選んだ。バンケットルームを後にすると、続き部屋になっている給仕室へと入った。無論、濡れたドレスを拭く物を取りに行くためなどではない。ここから撤収する為に、火急的、且つ密やかに姿を眩まさねばならないからだ。給仕室から、スタッフの移動などの為のバックヤードへの扉を開けた。
「ああ、丁度よかったです!すみません、ちょっとお願いしてもいいですか?!」
慌てた様子の、まだ少年に見える金髪のベルボーイが飛びついてきて驚いたが、こんなところで時間を取られている場合ではない。
「すみません。私は急ぎの用事がありますので、他の方にお願いして頂けませんか。」
彼の横を擦り抜けようとしていた私は、その姿からは想像も出来ないような強力さで腕をがっしりと掴まれ、動けなくなった。
「貴方は・・・!」
「僕、急いでいるんですよ!お願いですから一緒に来てください!」
有無を言わさず私の腕をしっかりと抱えて、引っ張って走り出そうとする。
「いえ、私は他の用事がありますので。」
振り払おうとしても、どうしても彼の手は私の腕から外れない。私が、こんな少年のような細い腕から逃れられないなど、ありえない事だ。鍛え上げられた軍の精鋭武官でさえ、私を捉えておく腕力は無いのに。押し問答をしながら、ずるずると引き摺られるなんて。
ベルボーイは、ついと私を見上げた。
「早く付いてきて下さいよ、時間が無いんです。遅いと、僕、怒られちゃいます。」
瞳の奥が笑っていない笑みを浮かべ、巻きつけていた腕を右だけ外し、一瞬、振った。
私の目の前に付き出されたのは、どこから取り出したのか、コンバットナイフ。
刃の柄に近い所に刻印されているリスのマークから、ドイツのアイクホン社の物と分かる。
振出し式のこれは、空挺ナイフPARA-LL80だ。ブレードの長さ8.5cm、幅2cm、厚さは3.5mm、刺されれば、私といえどもそれなりのダメージは免れない代物だった。こんな武器を操る彼は、つまり、対暗殺部隊所属の軍人という事になるのだろう。
「さあ、早く、早く!」
急かされつつ連れて行かれたのは2階の非常階段の踊り場だった。
下にエンジンを掛けっぱなしで、ゴミ収集でもするようなトラックが止まっている。荷台に乗っているのがクッション材の様な物なのが如何にも怪しいが、壁が高く作られているので、夜間のこんな時間に覗きこんだりはされないだろう。
「行きますよ。」
ベルボーイの姿をした少年は、片腕一本で私を手摺の向こう側へと投げ飛ばした。
信じられない。180cmを超える私を、160cm程の彼が簡単に投げるなんて。
私が荷台に落ちるより前に、彼もその身を手摺から躍らせて落ちてきた。途端にトラックは走り出して行く。自分が罠に嵌められて、捕獲されてしまったのだと遅まきながら気が付いたのであるが、少年にがっちりと腕を後ろ手に拘束されて、動きを封じられた私は抗おうともがいてはみるものの、今は成す術がないのであった。こうなったら、彼らの手の内を探る作戦に切り替える方が良いだろう。“デビル”の仕事を見せてやろうではないか。
ゲームは俄然、面白くなってきた。
To be continued