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彗クロ 4

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4-1



 なんと空気の悪いことか。密やかに通された王の私室にほろ苦い懐かしさを感じつつも、ガイラルディア・ガラン・ガルディオスは人の好い相好を崩さぬまま、内心の嘆息を禁じえない。あるいは相変わらずと言ってしまえば、それまでなのだが。
「純一音素の凝固構造物、か……」
 文字を追うのにも嫌気が差したとばかりに眉間を揉みながら、古めかしい執務卓の向こうでキムラスカ王インゴベルトが報告書から顔を上げる。組んだ手の甲に顎を乗せながら深々とため息を落とす仕草は、老齢に差し掛かる外見も相まって、威厳に満ちた王の姿をひどく小さく見せた。
 無理もない。のらりくらりが身上である本国の皇帝すら、報告を聞いた瞬間に「またか!」と思わず吐露した一件である。
 大地に突如として巨大な音素の塔が発生するという奇妙な事象が、ここ数日連続している。事例としてはただの二件だが、別件で立て込んでいたところに追い討ちをかけた形で、しかも異常な規模、異様に短いスパンで国を跨いでの連続発生ときて、心中穏やかでいられるはずがない。むしろ『別件』にいざ心血を注がんとしていたところに出端を挫かれた、というのが正確か。関係者の辟易は蓄積するばかりだ。
 かくあるガイも、本来ならばルグニカでの調査に本腰を入れるはずだったところを、ザオ遺跡の〈塔〉の発生により、急遽外交使節としてキムラスカに遣わされた次第である。非公式のものではあるが、今後の速やかな両国の連携のための根回しといったところだ。この手の役回りは今に始まったことでもない。
「アクゼリュス調査団から上がってきた報告です。もちろん、ザオ遺跡の〈塔〉が同一の構造物である保証はありませんが……」
「無関係とは、到底思えぬな」
「ええ。うちの大将も合同調査の必要があると進言しています。ことによっては、ダアトを巻き込む必然も出てくる、とも」
「全世界規模でこれが起こるというのか」
「アクゼリュスはセフィロト跡地、ザオ遺跡は現役のセフィロトです。プラネットストームが停止した影響がなんらかの形で顕在化した、というのが今のところ有力な見解だそうで」
「セフィロトは記憶粒子の吹き上げ口、でしたわね」
 王の脇に控えて耳を傾けていたナタリアが、そっとこぼした。秀でた眉は、父王同様、暗く翳りを帯びている。
 気の毒なものを覚えつつ、ガイは平静にうなずいて返した。
「そう。要は地核エネルギーの間欠泉だ。これを人為的に操作するための触媒がパッセージリングで、ここから生み出されたのがプラネットストームとセフィロトツリー。……全部停止させたはずなんだけどな」
「定期の調査では、極点を除くすべてのセフィロトにおいて、記憶粒子の噴出は今も続いているそうですわ。もっとも、創世暦時代以前の状態に戻った、と見るべきなのでしょうけれど。ただ、記憶粒子の量はわずかずつながら減少傾向にあり、各セフィロトごとに他の音素の支配が強くなってきているとは聞いています」
「地核にはもう第七音素の意識集合体(ローレライ)がいないからな。反動みたいなものがあるのかもしれない。実際、パッセージリングが消滅したアクゼリュスはとんでもない状態になってるしな。……未確認の情報だが、アクゼリュスの〈塔〉に関しては意識集合体が絡んでいる可能性もあるらしい」
 どこまで話したものかと迷い迷い明かすと、覿面に興味を引いたらしい。血縁の有無なぞ瑣末とばかり、ランバルディア父娘はそっくりに目を見開いてみせた。
「〈第一意識集合体(シャドウ)〉だと……!? 観測事例があるとはいっても、千年以前の、およそ伝説の類だろう!」
「存在は論理的に立証されていますから、ありえないことではないでしょうけれど……ザオ遺跡の〈塔〉は第二音素による構築物である可能性が指摘されていますし、それが事実だとすれば、集合体の存在の数だけ〈塔〉が立つ、ということになりかねませんわ! 少なくともあと四……いえ、もしかしたら五ヶ所……?」
「残るセフィロトは八ヶ所だ。極点に二つ、マルクトに三つ、キムラスカに一つ、ダアト、ホド。音譜帯のローレライまで出張ってくるとは思いたくないが、それを差し引いても今回の事象は連続する可能性が極めて高い。すべてのセフィロトに監視を置く必要があるだろう。……マルクトは国内で手一杯です。ダアトにも余裕はないでしょう。極点に関しては、キムラスカを主軸に調査をお願いしたいというのが、マルクトの本音です」
 インゴベルトの渋面に明確な呆れが混ざった。背もたれを押すように胸をのけぞらせ、気安げに肩をすくめてみせる。
「またずいぶんと頼ってくれたものだな。即答はできぬぞ」
「もちろんです。そのあたりは後日、お偉いさんたちで協議するなりして調整してください」
「――マルクトの抱えている『別件』に関する調査権を、キムラスカに委譲すればいい」
 ようやくの苦笑は、蚊帳の外からの不機嫌声にかき消される羽目になった。ガイは口元を引きつらせる代わりに、再度心中で盛大な嘆息を落とした。表面上は何事もなく、努めて意識を逸らしていたほう、場の空気を悪化させることに熱心な物陰の主へと視線を滑らせる。
 執務卓を囲う一同より離れ、部屋の片隅、王の蔵書が居並ぶ暗がりに佇むのは、相変わらずのアッシュだ。前髪を立ち上げ額を晒した姿も妙に懐かしい。
 ルーク・フォン・ファブレ子爵閣下……と呼称すべきなのは重々承知の上だが、体裁を取り繕ったところでアッシュはアッシュなのである。それでも以前はさまざまに葛藤入り乱れた末の、過去を引きずった苦し紛れの呼び名であった気がするが、コーラル城における暴挙を目撃して以来、もはや開き直りに近いものに成り果てた感がある。
 この男を二度と「ルーク」とは呼べない。少なくとも、彼自身が未来を拒絶している限り。
 薄闇の中で、アッシュは不器用な表情筋を皮肉げに歪めた。笑顔のバリエーションが増えたなあ、とガイは暢気に感心した。
「あるいは、例のレプリカをキムラスカで保護することを容認すればいい。そうすれば、危険分子を野に放ったまま懐柔のための外堀を埋めるなどとまだるっこしい真似をせずとも、電光石火でカタをつけてやる。マルクトがキムラスカに頭を下げる必然はなくなるな」
「いや、無理」
 ガイはすげなく手を横に振って即答した。
 たちまちアッシュの眉間に黒々と影が落ちた。迫力だけは大したものだが、こうもあからさまに余裕がないところを見せつけられると、気圧されてやるのも馬鹿馬鹿しい。
「おい……」
「睨むなよ。ダメじゃなくてムリなんだって。例のレプリカの件はとっくに各方面に通達済みだからな。ダアトとユリアシティにも、うちの陛下から私的な報せがいってる。双方とも、事を公にするのは嫌がってるんだ。お前が何かやらかそうとしたら即座に圧力をかけてくるぞ。トリトハイム大詠師はともかく、テオドーロ市長はまあ……ティアのことがあるからな」
 何気なく禁断領域を踏み抜いてしまったようだ。暗がりの殺気が息を飲むように収束した。
 名前ひとつで矛先を見失ったしかめ面に、ガイはもはや吐息を隠すのもやめ、ちらとナタリアの様子を盗み見た。
作品名:彗クロ 4 作家名:朝脱走犯