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彗クロ 4

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4-8



 一目見た印象は、「胡散臭い」だった。
 どこがどうというわけではない。異性受けの良さそうな見てくれをしてはいるが、いちいち目を惹くほどに非凡とも感じない。全体の雰囲気は一切の鋭角を持たず、ゆえに精悍さとも縁遠い。人の好さ「しか」表れない面構えは、ルークに言わせれば甘いマスクといよりユルい腑抜け面だ。
 ……天稟の大小に関わらず、自己の価値を十人並みの場所に置くことで精神の安寧を得る、そういったありふれた感性に同調はできないが理解できぬでもない。目の前の男には実によくあてはまる人物像だろう。しかし、それだけで片付けて良いものか……違和感の正体を思案しつつ、ルークは男に口を開いた。
「……観光客か?」
 男は唐突な呼び止めにも嫌な顔ひとつせず、いっそにこやかに頷いて返した。
「ええ、そんなものです。商談が終わったついでにあちこち見て回っていたのですが、すっかり道に迷ってしまいましたよ。ほんと、広い街ですねぇ」
 のほほんとした語り口にも、ごくごく何気ないたたずまいにも、たわいない話の内容にも、微塵の不審も感じさせない。しかしこの「胡散臭くなさ」がかえって胡散臭い……と感じてしまうのは、少々ひねくれすぎているだろうか?
 表情筋が苦々しく力みそうになるのをこらえつつ、ルークは親指でぞんざいに背後を指し示して見せた。
「子供を捜している。十代前半、赤毛の、男だ。この先に行ったと思うんだが、見かけなかったか?」
 男はひとつまばたくと、かぶりを振った。
「いえ、この先はしばらく一本道でしたが、誰ともすれ違いませんでしたよ」
「……本当か?」
「ええ……といっても、なにせこの暗さですし、初めて歩く場所ですから、見落としはあるかもしれませんが。失礼ですが、地元の方ですよね? その子は弟さんですか?」
 赤毛と口述したせいか、とんでもない誤解が返ってきた。……いや、むしろ全くの誤解とも言い切れないのが厄介なところと言える。ひとつ屋根の下でひとかたの兄弟として接しあう自分と同じ顔をした赤毛の子供をありありと思い描いてしまって、ルークは今度こそ隠すことなく凶悪に顔をしかめた。かといって、他に適当にごまかしの効く単語も見当たらず、曖昧に首肯するしかない。
「……まあ……そんなようなものだ」
 決まり悪くルークがぼやくと、男は申し訳なさそうに苦笑した。
「だとしたら、僕はお役に立てそうにありませんね。この辺りは入り組んでいて迷路みたいになってますし、さっきもこの先の路地でずいぶん苦労させられました。小さな子供なら隠れられる場所もいくらでもありそうだ。まして土地勘のある地元の子が相手では、僕のような余所者は敵いそうもありません」
「――」
 ルークは小さく息を呑み、絶句した。
 ……土地勘。
「あれ? どうかされましたか?」
「いや……」
 こちらの変質を機敏に悟ったらしい気遣いに、反射的に否定を返しながらも、ルークの目線は低く落ちていく。
 ――あの子供の足取りに、迷いは感じなかった――……
「……すまない、手間をとらせたな」
「え? ああ、いいえ、どういたしまして。弟さん、見つかるといいですね」
「…………ああ」
 おざなりなルークの礼にも、男は露ほどの不快も滲ませず、現れた時と同様にのんびりと昇降広場方面へ去っていった。
 ルークは男を目で追うこともしなかった。通りすがりの人間に感じた漠然とした違和感などにかまけている余裕は、もはやない。
 完全に他者の気配が絶えるのを待ち、ルークは深々と肺に酸素を取り込んだ。瞼をきつく引き下ろし、闇を……不完全なりに、先ほどよりはもう少しマシな暗闇を、眼球に塗りたくる。呼吸を整え、鼓動を落ち着け、己の前から世界を消す。
 意識は深く、底なしの闇へと沈み込んでいく。黒々たる海の表層を漂う、理論と保身で編み上げた薄っぺらな虚栄の衣をあっさりと突き抜け、ルーク・フォン・ファブレという破綻だらけの立体パズルの内へ、内へ――深淵へ。
 ……粘つく泥のような闇の中に、それはある。箱の形をしているのは、ルークがそうあれと望んだからだ。
 厳密に仕分けておかなければ自己を保てない、だから箱の概念で固めた。二度と直視はしたくない、だから蓋で塞いだ。本当なら棄て去りたい、けれどできない、時に無性に中身を覗きこまずにはいられない、だから、鍵はかけていない。――かけられない。
 ここに、この中に、『ルーク・フォン・ファブレ』が犯したすべての罪が――

「――――……!?」
 愕然と、双眼を見開いた。
 全身の、細胞の、一片残らず、凍えた。
 そしてそれきり、一歩たりとも動けなかった。
 幾分と経たぬのち、ルークを呼ぶ者があった。
「アッシュ!」
 ルークをその名でおおっぴらに呼ぶ人間は、今では希少だ。
 果たして、前方から駆け寄ってくるのは、ガルディオス家のガイラルディア・ガラン。あるいは元使用人ガイ・セシル。いずれであろうとガイはガイだ。ファブレ家に遺恨あるホドの生き残りであり、『ファブレ家嫡男』の無二の親友でもある。この二つはガイの中で矛盾しない。対立する二つの事実を、長い年月をかけてゆっくり飲み干し、完全に己が血肉としている。
 この男の強さは、この健全すぎる精神は、ルークが決して持ち得ず……しかし欲してやまぬもの。
「はぁ、こんなところにいたのか。どこで油売ってたんだ、まったく。旦那さ――公爵、カンカンだぞ?」
「ガイ……『ルーク』は」
 発した本人の名と一言一句違わぬその単語を、ここにはいない別の人物のそれであると誤りなく認識する反射神経に関しても、この男は随一だ。生来の柔和な相がたちまち鋭く険を帯びるさまは、寸暇前までの友誼らしき馴れ合いは所詮虚構に満ちた児戯にすぎないのではないかと、ルークを自虐の淵に追い込んではばからない。
 それほどに、ガイの心に根ざした『ルーク』の存在は、深いのだ。
「……あいつは、この辺りに土地勘はあったか?」
 ルークの問いかけはつぶやくように頼りなく、ひどくかすれた。
 ガイは剣呑さよりも困惑と怪訝の色濃い形に眉を歪め、見渡すように夜のバチカルに視線を馳せた。吹き抜けの外、遙か城下を見下ろすところで眼差しを留め、低く抑制された声で答える。
「……あいつが自由にバチカルを歩けた期間なんざ、知れたもんだ。少なくとも俺が知る限りは、中央広場と港、ファブレ家と王城の往復が精々。中層階なんて、行き方も知らなかっただろうな」
「屋敷を抜け出すようなことはなかったのか?」
「誘拐騒ぎがあった後だぞ。おまえがいた頃とは警備の質が違う」
「ヴァンの妹にはあっさりと侵入を許したようだがな」
「いや、さすがに七年も平穏無事が続けば緊張感も緩むし、そのうえ大譜歌なんて持ち出されたら、近衛師団でも連れてこなけりゃ抵抗できるかも怪しいだろ。軍事訓練を修めたユリアの子孫が外から侵入するのと、七年こっきりしか人生経験のない箱入りが中から抜け出すのとじゃ、話が違う。……もっとも、あいつは退屈な日常に不満は口にしても、その状況を自分から打破するっていう発想は、たぶんなかった……というか、そういう考え方自体、できなかったんだろうけどな……」
作品名:彗クロ 4 作家名:朝脱走犯