五月雨
ビニール傘の表面に当たっては砕けていく雨粒を見ながら、俺はふと思ったことを口にした。
「あ、名前聞いてなかったよな」
「俺、は…名乗るほど大した奴じゃないんで」
「江戸時代の武士かよ、お前は」
笑い声が、水滴に吸い込まれるように落ちる。
何とはなしに右側を見遣れば、パタパタと水滴を浴びてさらに濃くなった黒があった。
「おいおい、肩濡れてるぞ。もっと内側に入れって」
「あ、いや、俺のじゃないですし、俺身体だけは頑丈なんでホント平気なんで」
口を開けば、慌てたように理由を捲くし立てる。
もしかしなくとも距離を置かれているのは、一目瞭然だった。
「後輩が遠慮すんなって。先輩には甘えられるうちに甘えとけよ」
「…あの、どうして俺が後輩って、」
「お前、2年の平和島静雄だろ?」
名前を口に出した途端、ハッとした顔で俺を見る。
気付けば、いつの間にか立ち止まっていた。
静雄は俺の次の言葉を待っているらしい。と同時に、それに酷く怯えているようにも見えた。
「まあ俺は噂とか気にしない性質だし、後輩となれば誰とでも仲良く――」
「怖く、ないんですか」
伏せられた睫毛が、雨に溶け出しそうに見えた。
下から覗き込もうにも、完全に俯いてしまったそいつの真意を図ることは出来ない。
「何で俺がお前を怖がる必要があるんだよ」
「でも、」
息巻いたように、顔が上げられる。
それこそ雨と混ざり合ってしまいそうな程、ぐしゃぐしゃの表情がそこに在った。
湿気を帯びた金髪に、右の指先を突っ込む。
そのままぐしゃぐしゃと掻き回しながら、俺は静かに口を開いた。
「友達に、怖いも何もないだろって事だ」
ふ、と唇の端を上げて笑って見せる。
何やら顔を赤くして俯いたそいつは、やっぱり猫みたいだと思った。
作品名:五月雨 作家名:蒼氷(そうひ)@ついった