その心
「あーあ。ほんとあのガキって邪魔だよね」
折原が青葉の出て行ったドアを見やりながら言う。
青葉がいる前ではこの話はできないと、折原が言い出したためだ。
この部屋には2人しかいない。見張りも折原が人払いをしていた。
折原は帝人へ向かい直し、そのまま靴をカツカツと鳴らしながら歩いてくる。
最初に青葉は反抗したが、
「青葉くん、チェスは明日にしよう」
チェス盤はこのままにしておくから。この帝人の言葉でようやく引き下がった。つまり、明日の夜も帝人が相手をしてくれるということだからだ。
「君に執心なのはいいけど、君は俺のものだってこと、分かってないよね」
「それより、隣国の話をお願いします」
折原の延々と続く青葉への呪詛を聞き流し、帝人は折原に尋ねる。
しかし、折原は目を瞬かせ、不思議そうな表情をした。
「隣国?特に何も変化ないよ?」
「…え?」
帝人は折原のこの反応に目を瞬かせる。
先ほど隣国の話があると言って、青葉を追い出したばかりではないか。
「さっきのは、黒沼青葉を追い出す口実に決まってるでしょ」
「…最低です」
青葉には、明日謝っておかねばなるまい。と帝人は一人ごちる。
「そんなのどうでもいいじゃない。それよりさ」
折原は帝人の左横へ立つ。
そのまま、帝人の前にあるテーブルへ手を伸ばした。
帝人が静止の言葉をかける前に、チェス盤は床へあっけなく吸い込まれていく。
歪な音を立てながら床へ転がっていく駒。
キングが折原の足元を通り過ぎていったのを目で追う。
足元から腹、首と視線を上方へ向けていくと、それは楽しそうな表情をした折原と目が合った。
「ね、今日は一緒に寝ようよ」
「僕は、これから園原さんの所に行くので」
「ふふ・・・ねぇ、帝人くん」
―行かせると思う?
折原は帝人の腕を掴み、そう帝人に囁く。
「離してください」
「嫌だね」
触れられた腕が熱い。
帝人は腕の痛みと、胸の苦しさから顔を歪めた。
「っ、園原さんと僕の結婚を勧めたのはあなただったのに!」
「うん、そうだよ」
折原は表情を消して、肯定の言葉を紡ぐ。
「そう。俺が進めた。俺があの女を探して、見つけて、君と出会わせ、そして結婚まで進めたんだよ」
帝人は動揺しているのが分かった。分かっていたはずなのに、折原の口から伝えられるとこんなに辛いなんて。
「だってさ、帝人くん。君がこの国の王になるには、妃が必要だった。俺がどんなに君を王にしたくて、頑張ってもそれは変わらない事実だった。パズルが完成するにはピースが必要なように、王には妃というピースが必要だったんだよ。だから、俺はあの女を君に会わせたんだ。だって、あの女だったら」
―君を愛せるはずがないからね
折原は帝人に顔を近づけ、その頬に触れる。足元のナイトの駒が折原の足に当たる。
折原の手付きは、とても大事なものを触るように繊細であった。
「な、に言って・・・」
震えが止まらない。
まるで折原が触れている個所から、震えが全身へ伝わっているようだ。
「まだ分からない?あの女はね、人間じゃないんだ。だからね、どんなに帝人くんが彼女を大事にしてもあの女には通じないってことなんだよ」
可笑しくて仕方ないというように折原は笑う。
「変だと思わなかった?あの時期の女って生き物はとても多感で、大人への反発をしたり、友達や仲間と共に多くの時間を共有する。自分の見目を気にし始め、そう、恋愛だって彼女たちを形成する大事な項目だ。でも、あの女は自分に対しても、他人への反応も何もない。何故だと思う?」
折原の口は止まらない。
「何故なら、彼女はね、彼女の中に化け物を住まわせているからなんだよ。それがいる内は、彼女は君に興味を示さないだろう。いや、興味を示したらいけないのさ。君を大事に思うなら尚更ね。」
いよいよもって、折原は声を出して笑い出す。
帝人は折原の言っていることの半分も理解できていない。折原の狂言としか感じられなかった。しかし、帝人は折原から離れることも突き飛ばすこともできず、折原を見つめることしかできなかった。息が、苦しい。
折原は天を仰いでいた視線を帝人へ戻す。
―だから、帝人くんを心の底から大事にしてるのも、帝人くんが大事にするのも永遠に俺だけってことなんだよ。
そう言って、怯えている帝人のシャツのボタンを外す臨也は月光を浴びて艶やかに笑っていた。
その冷たい掌と唇に身体を震わせる帝人は、この男こそ人に非ざるもののように思えた。