決意は揺れて 1
「……い、一時間後なら。……いえ、大丈夫っス」
すぐ傍で声がした。心地よい布団の中から出るのがもったいなく思いながら、重いまぶたをゆっくりと開けながら、顔を上げる。
「黄瀬……」
「あ、すみません。起こしちゃいました?」
スマートフォンを布団の上に置いた変わりに、黄瀬は笠松に手を伸ばし、髪を撫でた。その手が顔に下りてきて、そのかさついた大きな手に頬を摺り寄せると、黄瀬が柔らかい笑みを浮かべる。けれど、直後にその表情は曇った。
「センパイすみません。事務所に呼び出されて、今すぐ行かないといけなくなって……」
その途端、笠松の意識ははっきりと覚醒する。
驚いて、真っ直ぐと黄瀬を見つめる。なんでこんな朝早くから。思うことはいろいろとあっても、眉を下げてしょんぼりとした表情の黄瀬に何を言っていいのかわからず、唇を引き結んだ。
こちらが年上なのだから、大人に振舞わなければ。
「仕事なんだろ。今が大事だって、お前も言ってたじゃないか」
本当は寂しいけど、なんて本心はプレッシャーになると飲み込む。もともと、そんな甘ったるいことを言うのは柄ではない。
「そ、っスね」
黄瀬は立ち上がり、昨日着ていた服を着始めた。笠松はその後姿をじっと見つめる。
「あと、再来週の火曜日から撮影でしばらく地方の方に行くことになりました。こっちで仕事があれば戻って来るんですけど、多分、会える時間はないみたいなんス」
背を向けながら告げる黄瀬の背中は、いつもとは違ったように見えた。
「そっか。撮影はどのくらいかかるんだ?」
「予定では、一ヶ月」
「……ずいぶん長いな」
きちんと上体を起こして見上げると、ちょうど黄瀬が振り返る。そこにいるのは、モデルの黄瀬涼太で、笠松の知っている後輩の黄瀬ではないように見えた。
外を歩いても平気な格好をした黄瀬に対して笠松は布団すら出られない姿で、それに気づいて掛け布団を手繰り寄せる。胸元まで隠していると、黄瀬に布団ごと抱きしめられた。
「今、すごく大きなお仕事を貰ったんです。最近、忙しかったのもそのためです。センパイといる時間も大切なのも本当ですが、お仕事をしっかりして地盤を固めておきたくて」
宥めるように、言い聞かせるように言う黄瀬。それは、誰に対して言い聞かせているのか、笠松には判断がつかなかった。
「わがままだってわかってます。でも、待ってて欲しいんス。落ち着いたら絶対、センパイとの時間を取ります」
だから、と続ける黄瀬に笠松は大丈夫と応える。
「待ってるから。お前が頑張ってるのも知ってるし、私との時間を大事にしてくれるのもわかってる。だから、無理だけはしないで、お前はやりたいように過ごしてくれればいいよ」
何があってもすべてを真正面から受け止めると決めたのは笠松自身で、黄瀬を待つ以外の手段を取るなど考えたこともなかった。