manjusaka
「私が教皇たる理由……か」
小さな種が芽吹き、健やかに成長して可憐な蕾が花開くその日までと慈しみ過ごした日々。色鮮やかに瞼の奥で映し出された。
あっという間に通り過ぎてしまった、最も安らかな時間。美しい命を記すように咲いたその瞬間。喩えようのない喜び。
けれども無情にも花は手折られ、味わった底知れぬ絶望、痛み、憎悪の果ての狂気。奪い去った命の数々。赤く、黒く塗り替えられていく景色。抱く闇の濃さと深さに恐怖を覚えながら、自らが描き望む正義を貫き、布いてきた。
そのような中で、幾年月を経て再び私の前に現れた花は、同じ花とは思えなかった。例えるならば、まるで、そう……私とカノンのような、似て非なるもの。
それが乙女座の黄金聖闘士として存在する目の前にいるシャカ。
最も憎い存在であると同時に愛しい存在。憎しみを貫き通すことができれば良かった。あるいは憎しみを捨て、小さなシャカと同じようにただ慈しむように愛することができれば良かったとさえ思う。だが、そのどちらもできなかったのだ。
形を変えた感情が芽生えていた。それは愛しさと同じ分だけ、憎しみを増すのだ。そして憎しみと同じだけ愛しさは募っていく。狂わんばかりの情愛ともいえるものへと変容していった。
思考に疲れて脱力し、教皇の玉座へと倒れ込むように座る。最も相応しくない者が腰を落としている皮肉に薄く笑いを立てた。座り心地がいいとは一度たりとて思ったこともない。
「まさかそのような問いをされる日が来るとは思わなかったが」
「少なくとも私には……あなたは聖域のためにその身を捧げ、尽くしているように見えた。時に残酷ではあったけれども。だが、それも聖域の、女神のために正義を布くためなのだと。だからこそ、この監獄のような教皇の間で雁字搦めにされながらも、自己を犠牲にしてまで、女神を、聖域を、守り続けてきたのではないのでしょうか。それに――」
「それに?」
「たとえ、私を欺き、懐柔させる手立てだったとしても……あなたは――」
紡ぎかけた言葉をぐっと呑み込んだシャカ。真っ直ぐに定められていた顔は俯き、何かに堪えるように唇を噛み締めていた。長らくの沈黙。結局シャカはその後の言葉を口にしようとはしなかった。一つ息を整え、長年の澱をほんの少しだけ吐露する。
「私は……教皇としての立場を利用して私の理想とする正義を掲げ邁進したのみ。だが、今となっては甚だ疑問だがな」
「疑問?」
「ああ。私はただ――大切なものを奪い去ったこの世界を憎み、報復したかっただけに過ぎなかったのだと。シャカ、以前おまえが私に告げたように、それこそ私はこの世界に復讐するためだけの存在として生まれ、生きてきたに過ぎないのかもしれない」
肯定も否定もせずにじっと耳を傾けるシャカ。必要以上に語りかけてしまいそうだった。サガという生き方を捨て、教皇として生きてきた今までの自分をシャカに理解して欲しかったのだろうか。さらに口を開きかけたとき、扉の向こうから声が掛かり、邪魔が入ったため中断した。
シャカは何か言いたげな表情ではあったが、僅かに礼を示す行動を取ると、ふうわりと風を払うようにマントを翻しながら、現れた時とは違って扉へと向かい、教皇の間を後にした。入れ違いに教皇付きの従者が入り込んで来た。一瞬だけ、この場に居る筈のないシャカの存在にぎょっと驚いて見せたが、すぐさま取り繕い、火急の要件を告げたのだった。
重い扉の向こうに消えていくシャカを見送りながら、今一度、シャカと話す機会が欲しいと願う。
もしも、心底にひた隠した仄暗い望みを告白した時、シャカはどのような答えを導き出すのか……知りたいと思ったのだ。だが、すぐさま「知ってどうする?」と深い心の闇の嘲笑う声が聴こえ、その考えを打ち消したのだった。