ムキムキと兄さん
『でね、でね、兄ちゃんがようやく手紙の返事をくれたと思ったら、やっぱり自分の近況はあんまり書いてなくてね…』
「はいはい」
『絶対俺に何か隠し事してるんだよー。昔からそうなんだ、兄ちゃんって。嘘が下手でさぁ』
「そうなんですか」
電話越しでほぼ一方的にお喋りを続けるイタリアの相手をしているのは、世間から“返し刃”の二つ名で呼ばれ恐れられている日本だ。
つい先日まで孤独な一人旅を続けていた日本だが、今ではこうして電話で世間話をする程度の仲の友人を得ている。ここ数年、特に能力の悪化が顕著になってからは他人との交流を避けていたため、こうした電話での接触にも多少の戸惑いがあったが、概ね心穏やかに過ごすことが出来ている。
『…あ、ごめんね、俺ばっかりペラペラ喋っちゃって!』
「いえ、気になさらないで下さい。私は元から口下手ですから」
珍しく空気を読んだイタリアが慌てて謝罪するが、日本は特に気にすることなく続きを促す。
たまには自分から話題を振るべきだろうか。息を吐いたイタリアの様子を受話器越しに感じ取り、日本は口を開いた。
「ドイツさんはお元気ですか?」
『え、ドイツ?』
「あれから私はお会いしていませんが、あの時酷く怒らせてしまったようなので心配していたんです。何かお変わりはありませんか?」
『うん、変わらず元気元気~。この間のことも、日本が気にすることないよ!ドイツも家に帰ってから、言い過ぎたってちょっと反省してたみたいだし。…今日はアイツちょっと用事があるって言ってたけど、村外れの診療所に居るんじゃないかな?多分』
「診療所?」
『あ、ずっと旅してた日本は知らないかな?俺の住んでる村の外れに、凄く優秀でどんな病気や怪我も一瞬で治しちゃうお医者さんがいるんだよ』
「……一瞬で、って…」
『あー…、日本が思ってる通り、その先生も能力者だよ。プロイセンは、ドイツの尊敬するお兄さんなんだー』
この時、日本の受けた衝撃は計り知れなかった。イタリアの「あのムキムキドイツのこと凄い可愛がっててね、俺にも優しくしてくれるんだ~」という暢気な声が、右から左に頭をすり抜けていく。
プロイセン。日本にとってあまりに聞き覚えのある名。無意識にカタカタと震える手で何とか受話器を持ち直し、日本は考える。
(プロイセン…プロイセン?まさか!本当に彼が私の頭に描いた人物だとするなら、その弟というドイツさんは……)
『もしもし?日本?』
「…つかぬことを伺いますが、ドイツさんのお父上はもしや…」
『ゲルマンさんがどうかしたの?』
「やはり…!そうでしたか…」
『そうだよー。あ、プロイセンとドイツは腹違いの兄弟らしいけどね。俺の周りじゃ知らない人はいないぐらい有名な話だけど…。その分、周りからの期待が大きいってドイツ愚痴ってたなぁ』
ようやく得た確信に日本は唖然とした。世間は何と狭いものだろうか!こんな形で、ゲルマンの息子に会っていたとは!いや、ローマが依頼した仕事をこなしていたという事実から、もっと早くに気付ける筈だった。
『日本?どうしたの?何かあった?』
本日何度目かのイタリアの心配げな問いかけに、日本は息を整えてから答えた。
「そのプロイセンさんとは私も知り合いでしたから、驚いているんです」
村外れの小さな診療所へ向かう男があった。とても医者にかからねばならないような重傷の怪我人や重体の病人には見えない彼が抱えるのは、たくさんの飲料水と食料だ。診療所に入院患者でも居て、その親族なのかと思えばそれもまた違う。何故なら、この小さな診療所には入院設備などないからだ。それは何も、決して診療所が小さすぎるからではない。そんな設備は、端から“必要ない”のだ。
(全く…そういう能力だからとはいえ、少しは無理を控えたらどうなんだ、兄さん)
心の中で静かに怒りの火を灯すのは、来る途中の店であれこれ買い込んだドイツだった。傍から見れば随分重そうな荷物を軽々と持ち、すたすたとなだらかな坂道を歩くこのムキムキが、医者を目指して勉強中のドクターの卵には決して見えないだろう。軍隊に入るか、スポーツ選手にでもなると言われた方が遥かに納得できそうなガチムチ男は、しかし本気で兄のような立派な医者になることを夢見ていた。
たとえ普段の生活態度がアレでも、度を越した兄馬鹿でも、寧ろどちらが年上か分からなくとも、患者を目の前にした時の兄は別人のように働き、人々を癒す。何度も何度もお礼を言われてたじろぎ、遂にはぶっきらぼうに元患者を追い払う姿は、ドイツにとってただただ眩しく輝いて見えた。
(しかし、限界を超える度にこんな状態になっていては、兄さんの身体がもたないだろうに)
何度も繰り返した言葉がその口から洩れることはなかったが、代わりに深い溜息を吐かれた。いくら言っても同じ言葉が返ってくると分かっているから、本人の前では言わなくなっただけなのだが。
「頼まれたら患者を拒否出来ねーんだよ!」
そう、彼は能力の制約上、治療を頼まれると拒否出来ない。どれだけ疲労困憊であろうと、体調不良のピークであろうと、“たすけて”という魔法の言葉を吐かれれば治療せざるを得ない。絶対的な能力を得た代償。プロイセンだけではない、世に言う大能力者とは大抵が、その偉大な力に吊り合うだけの巨大なデメリットを抱えているのだ。
村医者という地位に甘んじていながら、治療速度も尋常ではなく、痛みもなく、手術跡さえ残らない、そもそも手術しないであらゆる病や怪我を治す、神の奇跡のような力を持った男がいる。そんな噂が流れたのはいつ頃からだろうか。人々は救いを求めてドイツの兄に群がったが、そのうち兄でなければ治せないような大病を患った人間がどれほどいただろうか。ドイツはずっと歯痒い思いをしていた。
(己が不注意で出来た怪我なら、自分で責任を持って治すべきだ。一般的な医者にかかっても何ら不都合はない。…兄の力を本当に必要としている人間以外は、全て拒んでしまえばいいのだ)
大量の治療を終えたプロイセンがどんな状況に陥るか、今自分の代わりに見舞いでもして目に焼き付ければいい。兄がドイツにSOSの電話をかけて倒れる度に、いつもそう考える。兄の苦しみを見て見ぬ振りをして、安易に恩恵に与ろうとする輩や、同業者からの謂れのない蔑みや嫉妬から守ってやりたい。その一心で、ドイツは医師を志していた。
「兄さん、来たぞ」
診療所の扉を開けて中を進み、診察室を覗くが居ない。何とか自力で自室へと戻ったのかと、診療所と繋がった自宅の方へ足を踏み入れる。一旦荷物を台所に置くと、ドイツは冷蔵庫の中を確認する。思った通り中身は殆ど空っぽで、先に買出しに行っておいて良かったと胸を撫で下ろす。ただでさえ慢性的に過労気味だというのに、兄は偏食な上に少食だ。
「…と、こんなことをしている場合ではないな」
姿が見えない兄が心配になっていたドイツは買い物袋から食材を取り出すのもそこそこに、廊下を小走りに通って少々荒っぽく寝室の扉を開けた。
「はいはい」
『絶対俺に何か隠し事してるんだよー。昔からそうなんだ、兄ちゃんって。嘘が下手でさぁ』
「そうなんですか」
電話越しでほぼ一方的にお喋りを続けるイタリアの相手をしているのは、世間から“返し刃”の二つ名で呼ばれ恐れられている日本だ。
つい先日まで孤独な一人旅を続けていた日本だが、今ではこうして電話で世間話をする程度の仲の友人を得ている。ここ数年、特に能力の悪化が顕著になってからは他人との交流を避けていたため、こうした電話での接触にも多少の戸惑いがあったが、概ね心穏やかに過ごすことが出来ている。
『…あ、ごめんね、俺ばっかりペラペラ喋っちゃって!』
「いえ、気になさらないで下さい。私は元から口下手ですから」
珍しく空気を読んだイタリアが慌てて謝罪するが、日本は特に気にすることなく続きを促す。
たまには自分から話題を振るべきだろうか。息を吐いたイタリアの様子を受話器越しに感じ取り、日本は口を開いた。
「ドイツさんはお元気ですか?」
『え、ドイツ?』
「あれから私はお会いしていませんが、あの時酷く怒らせてしまったようなので心配していたんです。何かお変わりはありませんか?」
『うん、変わらず元気元気~。この間のことも、日本が気にすることないよ!ドイツも家に帰ってから、言い過ぎたってちょっと反省してたみたいだし。…今日はアイツちょっと用事があるって言ってたけど、村外れの診療所に居るんじゃないかな?多分』
「診療所?」
『あ、ずっと旅してた日本は知らないかな?俺の住んでる村の外れに、凄く優秀でどんな病気や怪我も一瞬で治しちゃうお医者さんがいるんだよ』
「……一瞬で、って…」
『あー…、日本が思ってる通り、その先生も能力者だよ。プロイセンは、ドイツの尊敬するお兄さんなんだー』
この時、日本の受けた衝撃は計り知れなかった。イタリアの「あのムキムキドイツのこと凄い可愛がっててね、俺にも優しくしてくれるんだ~」という暢気な声が、右から左に頭をすり抜けていく。
プロイセン。日本にとってあまりに聞き覚えのある名。無意識にカタカタと震える手で何とか受話器を持ち直し、日本は考える。
(プロイセン…プロイセン?まさか!本当に彼が私の頭に描いた人物だとするなら、その弟というドイツさんは……)
『もしもし?日本?』
「…つかぬことを伺いますが、ドイツさんのお父上はもしや…」
『ゲルマンさんがどうかしたの?』
「やはり…!そうでしたか…」
『そうだよー。あ、プロイセンとドイツは腹違いの兄弟らしいけどね。俺の周りじゃ知らない人はいないぐらい有名な話だけど…。その分、周りからの期待が大きいってドイツ愚痴ってたなぁ』
ようやく得た確信に日本は唖然とした。世間は何と狭いものだろうか!こんな形で、ゲルマンの息子に会っていたとは!いや、ローマが依頼した仕事をこなしていたという事実から、もっと早くに気付ける筈だった。
『日本?どうしたの?何かあった?』
本日何度目かのイタリアの心配げな問いかけに、日本は息を整えてから答えた。
「そのプロイセンさんとは私も知り合いでしたから、驚いているんです」
村外れの小さな診療所へ向かう男があった。とても医者にかからねばならないような重傷の怪我人や重体の病人には見えない彼が抱えるのは、たくさんの飲料水と食料だ。診療所に入院患者でも居て、その親族なのかと思えばそれもまた違う。何故なら、この小さな診療所には入院設備などないからだ。それは何も、決して診療所が小さすぎるからではない。そんな設備は、端から“必要ない”のだ。
(全く…そういう能力だからとはいえ、少しは無理を控えたらどうなんだ、兄さん)
心の中で静かに怒りの火を灯すのは、来る途中の店であれこれ買い込んだドイツだった。傍から見れば随分重そうな荷物を軽々と持ち、すたすたとなだらかな坂道を歩くこのムキムキが、医者を目指して勉強中のドクターの卵には決して見えないだろう。軍隊に入るか、スポーツ選手にでもなると言われた方が遥かに納得できそうなガチムチ男は、しかし本気で兄のような立派な医者になることを夢見ていた。
たとえ普段の生活態度がアレでも、度を越した兄馬鹿でも、寧ろどちらが年上か分からなくとも、患者を目の前にした時の兄は別人のように働き、人々を癒す。何度も何度もお礼を言われてたじろぎ、遂にはぶっきらぼうに元患者を追い払う姿は、ドイツにとってただただ眩しく輝いて見えた。
(しかし、限界を超える度にこんな状態になっていては、兄さんの身体がもたないだろうに)
何度も繰り返した言葉がその口から洩れることはなかったが、代わりに深い溜息を吐かれた。いくら言っても同じ言葉が返ってくると分かっているから、本人の前では言わなくなっただけなのだが。
「頼まれたら患者を拒否出来ねーんだよ!」
そう、彼は能力の制約上、治療を頼まれると拒否出来ない。どれだけ疲労困憊であろうと、体調不良のピークであろうと、“たすけて”という魔法の言葉を吐かれれば治療せざるを得ない。絶対的な能力を得た代償。プロイセンだけではない、世に言う大能力者とは大抵が、その偉大な力に吊り合うだけの巨大なデメリットを抱えているのだ。
村医者という地位に甘んじていながら、治療速度も尋常ではなく、痛みもなく、手術跡さえ残らない、そもそも手術しないであらゆる病や怪我を治す、神の奇跡のような力を持った男がいる。そんな噂が流れたのはいつ頃からだろうか。人々は救いを求めてドイツの兄に群がったが、そのうち兄でなければ治せないような大病を患った人間がどれほどいただろうか。ドイツはずっと歯痒い思いをしていた。
(己が不注意で出来た怪我なら、自分で責任を持って治すべきだ。一般的な医者にかかっても何ら不都合はない。…兄の力を本当に必要としている人間以外は、全て拒んでしまえばいいのだ)
大量の治療を終えたプロイセンがどんな状況に陥るか、今自分の代わりに見舞いでもして目に焼き付ければいい。兄がドイツにSOSの電話をかけて倒れる度に、いつもそう考える。兄の苦しみを見て見ぬ振りをして、安易に恩恵に与ろうとする輩や、同業者からの謂れのない蔑みや嫉妬から守ってやりたい。その一心で、ドイツは医師を志していた。
「兄さん、来たぞ」
診療所の扉を開けて中を進み、診察室を覗くが居ない。何とか自力で自室へと戻ったのかと、診療所と繋がった自宅の方へ足を踏み入れる。一旦荷物を台所に置くと、ドイツは冷蔵庫の中を確認する。思った通り中身は殆ど空っぽで、先に買出しに行っておいて良かったと胸を撫で下ろす。ただでさえ慢性的に過労気味だというのに、兄は偏食な上に少食だ。
「…と、こんなことをしている場合ではないな」
姿が見えない兄が心配になっていたドイツは買い物袋から食材を取り出すのもそこそこに、廊下を小走りに通って少々荒っぽく寝室の扉を開けた。