【同人誌】残照の面影〈上〉【サンプル】
じっくりと、我が子の姿を、ただ眺める。
おかしなものだが、それだけで何時間でも過ごせるように感じている。何においても無駄を厭い、特に時を無為に過ごすことなどできない性分だと言うのに。
子ができるとは、こうした変化のあるものか。
「どうしますか?」
ふいに、望美に訊ねられる。
何のことかと振り返ると、横たわったままの妻は、
「名前、どうしますか?」
改めて問う。
それは、もう一つしかない。今この時からすれば、先の未来まで知っているからではなく、妻の懐妊が分かったときから、男であればこの名前を、と考えていたものだ。
「万寿と名付ける」
泰衡が言うと、えっ、と望美は少し驚いたような声を上げた。
「もう決めたんですか?」
今度は妻の傍らに寄って、眉を顰める。
「不満か?」
「いえ、そうじゃなくて……お義父さんたちにつけてもらったり、相談してからかなって、思っていたから」
「そのつもりは、一切なかったが」
父の二人目の子として生まれた泰衡の幼名は、小次郎とされた。妾腹の兄は、太郎とつけられた。泰衡は、二番目の子どもだった。それでも、正室の子であるがゆえに、総領は泰衡がなるものと、彼が生まれた時点で、ほぼ決まっていた。だからこそ、兄より秀でなければならぬと、母に言われて育った。いずれ自分にも子ができたら、太郎だ次郎だと、生まれた順を示すような名はつけまいと、考えてきた。
そうですか、と妻は応え、
「まんじゅ」
ゆっくり、噛みしめるように、子の名を口にする。
「ヨロズの万に、コトブキの寿と書く」
字面を教えると、人差し指で空中に字を書く振りをして、笑みを浮かべて泰衡を見た。
「たくさん、いいことがありますように――って意味ですね」
良い名前だと思います、とも言う。
元服すれば、表立って名乗ることはなくなる。仮初めのようなものだ。だが、そこにこそ純粋に親の願いを託せるのではないか。
「万寿」
子の顔を見やりながら、彼女は呼びかける。
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作品名:【同人誌】残照の面影〈上〉【サンプル】 作家名:川村菜桜