決意は揺れて 2
黄瀬が撮影へと出かけて一週間が経った。未だに笠松への連絡はメール一通すら届いていない。
それも仕方なかった。話を詳しく聞けば、撮影は電波の届かない田舎で行われるらしい。他の撮影は東京近郊で行えたのだが、どうしても、その場所での撮影が必要になるらしい。長期のロケになるということは、モデルの仕事ではなく、テレビドラマか何かだろうと考え付く。相変わらず、仕事の手広さに驚くだけだった。
東京で撮影が入れば戻ってきたときに連絡を入れると言っていたが、まだ他の撮影は入っていないようだった。
「はぁ」
着信のないスマートフォンを眺めて笠松はため息を漏らす。
昨日と今日、体調が優れず気分の悪い日が続いてしまった。そんなときは、いつもなら恋人のメールや電話で気持ちも浮上するのだが、簡単にそれが出来そうにもない。
体調不良の原因を考えてみるものの、ここしばらく残業はなく、日常生活をかんがみても健康に悪そうなことはしていないため、単純に体調が悪いだけとは思えなかった。
「あれの前だったか……?」
思い当たるのは、生理の前。たまに体調が優れなくなることがある。手帳を広げて前回がいつだったかを思い出す。記された日は一月以上前の日付で一週間以上も遅れていることに気づいた。たまにストレスで遅れることもあっても、ストレスの原因など思い当たることはない。
「……あいつと会えないから、とか」
まさかな、と思い浮かんだことを打ち消すように頭を振る。
実際、忙しくて三ヶ月は会えない日が続いても、遅れることはなかった。連絡がないのは初めてだったが、その程度で揺らぐような付き合いはしていない。
ため息を漏れた。
「連絡こねぇかな」
スマートフォンを何度見ても、着信を示すランプは一向に点く気配がなかった。
念のため、と足を運んだ産婦人科で状況を説明すると、淡々と問いかけられた。
「パートナーとの性交渉はどのくらい?」
最初、何を言われたのか理解出来ずに、一拍置いてから一瞬で笠松の顔は熱くなった。
「あ、そのあ、あります……。えっと、頻繁ではないですが」
「じゃあ、妊娠の可能性もありますね。尿検査してみましょうか」
「にんしっ……」
予想もしていなかった。記憶にある限りきちんと避妊はしていて、黄瀬も気をつけていたのだ。そんな、まさか。
信じたくない気持ちとは裏腹に、尿検査では陽性が出る。そのまま、エコー検査をすることになり妊娠が確定した。本来はまだわかりにくい時期なんだけど、と付け加えられて、いっそわからないままのほうが有り難かったと心の中で毒吐く。たとえ、結果が変わらなかったにしても、だ。
病院を出て真っ先に取り出したのはスマートフォン。相変わらず、黄瀬から連絡は来ていない。
さすがに、直接言った方がいいよな。
昼食を兼ねて近くのファミレスに腰を落ち着けると、躊躇いがちにメールの作成画面を開く。あて先は「涼太」。誰かに画面を覗かれても大丈夫なように、あえてフルネームで登録しなかった。
話がある。直接話せそうな日はあるか。会えるのはいつか。電話出来そうなときがあれば教えてくれ。会いたい―――。
言葉を探り探り、メールの本文を書いては消してを繰り返して、思わず漏れ出た本音に作成中のメールごと消す。気軽に出来るSNSを使って連絡を取り合おうと何度か言われたが、笠松が頑なにメールを使い続けているのも、これが理由だった。うっかりと、黄瀬の負担になるような本心を漏らしてしまいかねないからこそ、嫌だと断っている。流行に踊らされないのがセンパイらしい、なんて黄瀬が苦笑いしていたことも記憶に新しい。
悩みに悩んで、短いメールを送った。
『電話でもいいから、話したいことがある。話せる時間はないか?』
甘えているみたいで嫌だと思う反面、妙な感情をこめずに簡潔に書いた。さすがにメールで済ますには気が引けるため、連絡を取れる日時を尋ねるに留めておく。
疲れた。
まだ土曜日の昼過ぎだというのに、自分自身でも驚くほどの疲労感に襲われていた。昼食を取っていないことに気づくも、ベッドに倒れこむ。全身の倦怠感は精神的な疲労からくるとだという自覚とともに、彼女は意識を手放した。
部屋の暑さと目の痛くなるような光で笠松は目を覚ます。
オレンジ色に染まった部屋は西日で溢れていた。今、何時かと横になりながらスマートフォンを探る。上半身を起こしながらつかんだそれは、着信を示すランプが点滅していた。
誰とも約束はなかったよな。
約束を反故していないかだけを心配して開いたスマートフォンの着信履歴に、思わず笠松は固まった。
涼太。
苗字もなく書かれていたのは恋人の名前で、数時間前にメールを送ったばかりの相手。
慌てて、残されたメッセージを確認する。何かあったのかと心配する言葉の後に、俺も話したい、と。甘さを含んだその言葉に、思わず頬が緩んでしまう。しかし、話したい内容を思い出して、一瞬のうちに憂鬱になる。
子供が出来た、なんていったらどんな反応をされるだろうか。今は無理です、おろしてください、責任取れません。黄瀬が自分のしたことに責任を取れないダメな人間だとは思っていなくても、不安ばかりが頭によぎってしまう。むしろ、こんな事態になってしまったことが申し訳ないくらいで、罪悪感から嫌な方向へと想像が働いてしまう。
「堕ろすのだけは、したくないな……」
メールの着信も確認すると、一通だけあった。黄瀬からで、東京での仕事があることと仕事の終わる時間、仕事が終わったらまた連絡するということが、余計な文章も盛られて書かれていた。