あなたと会える、八月に。
◆3
飛空都市に来て、惑星の大陸−−ロザリアはそれを「フェリシア」と名付け、アンジェリークは「エリューシオン」とした−−の育成を始めてしばらく経つうちに、ロザリアは、神たる存在の守護聖たちも、おおよそ自分たち一般の民とそうそう変わらないということを知った。
彼ら九人は、年齢も育った環境も嗜好も実にさまざまだ。そして機嫌の良いときもあれば悪いこともある。当然、うまが合う合わないもあり、ある程度の人間関係も把握できるようになっていた。
総じて守護聖の首座たるジュリアスは、決して他の守護聖たちと親しいという訳ではなかった。それはやはり首座であるが故に口うるさくならざるを得ず、少しでも手を抜いたり、理由もなく行動が遅かったりするようなことがあれば厳しいからだろう。実際、ロザリアもジュリアスが女王陛下の両翼の片側に位置する闇の守護聖クラヴィスが会議に出ずにいるところを叱責し、クラヴィスが疎ましげにしているところを目の当たりにしている。
海辺でも確かにジュリアスはよくわたくしを叱っていたものね。
確かに……確かにジュリアスは、情け容赦なくロザリアを叱り飛ばしてはいたけれど、それでもそれはロザリアのためを思ってのことだと、ロザリアは理解していた−−少なくともロザリア自身、理解していると思った。だから、ジュリアスを怖がってなかなか光の力による育成を頼みに行けずにいるアンジェリークや、ジュリアスを煙たがる他の守護聖たちのことを腹立たしく思った。
そう。あの海辺以外−−聖地でのジュリアスは孤独なのだ、とも。
その一方で、自分が守護聖たちとの親交が深まっているかと問われれば……正直なところ、「否」と答えるしかない。年上の守護聖たちはそれでも、ロザリアにとってはそれほど難なく話をすることができる。なにせロザリアは生まれたときから両親以外、ずっと年上の人間と接する機会の方が多かったからだ。
だから、同年代や年下の者となると事情が変わってくる。スモルニィに行ってからも、どうにか親しくなれたのがあのシルヴィとミレイユの二人ぐらいだった。それでも彼女たちは同性だからまだ良かったが、ロザリアにとって頭の痛い問題は、同年代か年下の異性である守護聖たち−−風の守護聖ランディ、鋼の守護聖ゼフェル、緑の守護聖マルセルにどう対応して良いかわからない、ということだった。それに比べ、同じ女子校のスモルニィの生徒とはいえ近所の子どもたちと接する機会が多かっただけに、この点においてはアンジェリークの方がずっと抜きん出ていた。
もっとも、アンジェリークにしてもゼフェルは苦手だと言った。
「だって、何だかいつも怒っていらっしゃるんだもん。言葉もきついし」
これに関してだけはロザリアも全く同意見だった。育成を依頼しに行くと早く用件を言えといきなり喧嘩腰になって言われ、もともと気の強いロザリアも思わず声を荒げてしまう。最初は守護聖様だからと思って遠慮していたが、同年代で、かつロザリアのプライドも高く、どうにも我慢ならないこともある。また、口が達者なロザリアにまくしたてられてゼフェルも逆上するから、どうしようもない堂々巡りとなる。そんな二人を、ゼフェルの保護者役でもある地の守護聖ルヴァが困惑した表情でなだめることも多かった。
「決して悪気がある訳ではないのですよ、ロザリア。どうかゼフェルを許してあげてくださいね」
穏やかに言い含められてはロザリアも黙らざるを得ない。だが当人のゼフェルが不愉快そうにそっぽを向いたままだと、同じく不愉快になってロザリアが口をとがらせてしまう。
そのような時、ふと、頭の中で声が響く。
『淑女たるもの、そのように口をとがらせてはいけない』
以前は母の口癖だった。
そして少し前までジュリアスが言っていた−−
ふぅ、とロザリアは嘆息する。此処には海辺の……「八月」のジュリアスはいないのだと言い聞かせてみても、気が付けばロザリアの知るジュリアスの面影を、あの『光の守護聖ジュリアス』の中に求めている自分がいる。だがジュリアスは、ロザリアもアンジェリークも平等に扱い、決して馴れ馴れしい態度のないよう接している。ジュリアスがそう徹するであろうことはロザリア自身よくわかっており、乳母のコラにも注意するよう言ったぐらいなのに。
今日は土の曜日。フェリシアを見に行った帰り道、すっかり辺りも夕日で赤く染まっている。ロザリアは息抜きも兼ねて王立研究院からの馬車を断り、寮に向かってゆっくりと歩いていく。
ロザリアはようやくこちら−−聖地や飛空都市と、主星との時間の格差を理解した。今ごろ主星は八月−−ロザリアが十八歳の八月を迎えている頃だ。だがまだロザリアは十七歳のままだった。主星での一年がこの地や聖地での二週間なのだ。だからロザリアがジュリアスの前でヴァイオリンを弾いてみせたあの十二歳のときから、今に至るまで……思ってロザリアは、さらに深いため息をつく。
たった三ヶ月。
結局、ジュリアスの弾く『海』のピアノの旋律を聴けないままでいる。何とか弾けるようになったとジュリアスが言っていたが、よくもまあ練習できたものだ。夜に寮から出ることはないので直接見た訳ではないが、守護聖たちの話しぶりからジュリアスが夜遅く、あるいは休日にも執務室にいるということは聞いている。いくら隔週土の曜日に該当する主星の……あの「八月」を、聖地でのほんの半日をあの海辺で過ごしているとはいえ、それ以外の執務の合間にピアノの練習をするなんて、とロザリアは思う。
ましてや泳ぎの練習など。
ロザリアはあの十五歳のとき、海岸でジュリアスの背中に向かい「一年もあるのよ? 大丈夫よ!」と言い切ったことを思い出す。
……お気の毒だこと。
お気の毒、と思うことはもちろんそれ以上にあるが、それはもうロザリア自身の心の奥底に沈めた。やってしまったことを消すことなどできはしない。かと言って何事もなかったかのように……知り合っていなかったかのようにされることに痛みを感じないと言えば嘘になる。一方で半ば自棄を起こしたかのようにロザリアも、ジュリアスを守護聖の一人−−もちろん首座として敬いはしているが−−として接しているのだから、傍目からすれば……そう、一番事情を知っている乳母のコラからすれば滑稽なことかもしれない。
あの海辺へ行きたい。無性にロザリアはそう思った。
そのとき。
ざぁっと頭上で音がした。ハッとしてロザリアは空を見上げる。
エア・カーだ。飛空都市で見かけるとは思わなかった。十六歳になると同時にエア・カーの免許を取得し、あの八月に嵐の中、空を突っ切った。ほんの少し前のことなのに、もう随分昔のような気がして、ロザリアは目を細めて空を行くエア・カーを見る。夕日であるにも関わらず眩しくて目が痛むのと、拒まれたことへの記憶で胸が痛むのとがない交ぜになっていた。
そのエア・カーがロザリアの行く道の先に降りていく。思わずロザリアは小走りになって、それに近づいた。
作品名:あなたと会える、八月に。 作家名:飛空都市の八月