あなたと会える、八月に。
◆4
「ちっ、調子悪いなぁ」
聞き覚えのある声だった。考えてみれば、この地でこのような乗り物に乗っているのは彼−−ゼフェルぐらいしかいなかった。飛空都市という所はまったく不思議で、自分たちが育成する大陸を見に行くときは遊星盤というものを利用する。自由自在に空を飛ぶ。それはエア・カーのように訓練する必要もなく、設定すれば自分で運転する必要もなく、自動的に制御されて楽に移動や発着陸もできる。その一方で都市の中での移動は、もっぱら古風に馬車が使われていた。あるいは馬自体に乗る−−ロザリアはまだジュリアスが乗っているところを見たことがなかった。オスカーが日の曜日に栗毛の馬を走らせてるのは見かけたけれど。
目の前では、軽く身を翻してエア・カーから降りたゼフェルが、ボンネットを開いて中の具合を見ていた。
「まあ!」ロザリアはゼフェル相手ということで一瞬躊躇したものの、エア・カー自体を見るなり思わず声をあげた。「これは……!」
「げっ」
ゼフェルが妙な声を漏らす。そのような驚き方をしなくても良いものを、と思いつつロザリアはそのエア・カーの車種を告げて感嘆の声をあげた。
「わたくしもこれと同じシリーズの車種に乗っていましたの」
「えっ!」
今度はましな方だと、ロザリアは思った。
「おめーが、これに?」
信じられない、と言いたげな表情でゼフェルが叫ぶ。頷いてロザリアは自分が乗っていたエア・カーの名称を告げるとゼフェルは顔をしかめた。
「ちぇっ、オレのより上位のヤツに乗りやがって……」そこで途切れた。そしてゼフェルは慌てて言葉をつなぐ。「ちょっと待ちやがれ、ロザリア。それって、おめーの持ち物じゃねぇだろ? あれはおおよそ若い女が乗るよーな代物じゃねぇぞ」
「ええ、父のエア・カーのコレクションの中の一台ですが」相変わらず荒っぽい言葉遣いだこと、と思いつつロザリアは言う。「でもわたくし、それが一番気に入っていましたの。だってあれは……」
「一番スピードが出るから」
ゼフェルとロザリアの声がそろった。そろって二人は顔を見合わせ、笑い合った。笑いながらロザリアは、思ったより悪い方ではなさそうだわ、と心の中で呟いた。
「げーっ、四時間かかる道程を二時間で走らせただと?」呆れ返ったようにゼフェルは、エア・カーに背をもたれかけつつ言った。「おめー、そんなことして止められたり捕まったりしなかったのかよ」
「ええ。嵐だったってせいもあるかもしれませんけど」
「……嵐、だと?」
途端にゼフェルの表情が硬くなる。それを見てロザリアは、ああ、この方も守護聖なのだ、と改めて認識する。聖地−−女王のお膝元である主星での嵐は、そのまま女王の力の翳りを示すものに他ならないからだ。
「……ええ」ロザリアも声を落とした。「聖地からお呼びがあったので、その前にどうしても行きたいところがあって」
さすがにそれが、ジュリアスに会うためだったとは言わなかったけれど。
「へえ」少し表情を緩め、ゼフェルはロザリアを見た。「おめーみたいな優等生でも、そんなこと、するんだ」
ふだんならたぶん一気に不機嫌になったかもしれないが、ロザリアにしてもなるほど、ルヴァの言い様ではないが、ゼフェルの言葉に悪気はないのだと感じつつあった。
「ええ、でも……ある意味、爽快でしたわ」
ゼフェルはニヤリと笑った。
「ふーん。じゃあ、お手並み拝見といくか」
「え?」
「今、ちょっと具合がいまいち良くねぇからスピードは出ねぇし、ここじゃそれほど出しちゃならねーけど」
ロザリアは、自分が滑稽なほど嬉しい気持ちになるのがわかった。
「わたくし、こう言っては何ですけど」
「言ってみろよ」可笑しそうにゼフェルが促す。「運転が上手いってぇんじゃねーだろーな」
その言葉にロザリアも、クッと笑ってみせる。
「そのとおりですわ」
「面白れぇ、やってみな!」
そう言ってゼフェルは助手席に回って乗り込むと、運転席のドアを大きく押し開いた。
「……嘘じゃねーみてぇだな」
「何がですか?」
「上手い」
「まあ」ロザリアは笑った。「そうでしょう? 教習所でも成績優秀ですし、父よりずっと上手に乗りこなせますから」
「ちぇ、ちょっと誉めたらこれかよ」そう言うものの、ゼフェルは少しも不機嫌そうではなかった。「けどよ、結構これってマニア向けなのに」
「そのようですわね。他のエア・カーじゃつまらなくて」
「へぇ」鼻を指でこするとゼフェルは感心したように笑った。「どっちかってぇとオレはエア・バイクの方が好きなんだけどよ、こいつは別格だ」
「エア・バイクは許しが得られなかったんですの」ふぅ、とため息をついてロザリアが言う。「馬とエア・バイクは一人で乗るなと」
「へっ、そこらへんが『お嬢様』だな」そう言って腐しはするものの、文句を言おうとするテンポを少しずらすと、決してゼフェルが嫌みで言っているのではないことはすぐわかる。「まあ、どっちも転けたとき、もろに自分の身に降りかかるからな」
ふとロザリアは、ジュリアスも馬から落ちたことがあるのだろうかと思いつつ運転していたが、つい日頃の悪い癖が出てしまった。
「お、おい、ロザリア! スピード!」
ゼフェルからの短い単語の羅列でロザリアは、ハッとして速度計を見た。あっという間に速度が上がり、飛空都市を突っ切ってしまおうとしている。慌ててロザリアは速度を緩める。
「……驚かすなよ」ふぅ、と息を吐くとゼフェルは続けた。「でも、オレがさっき運転していたときはこんなにすっきりスピードは出なかったのに……」
ゼフェルの言葉が途切れた。表情が険しくなっている。
「申し訳ございません、つい調子に乗ってしまって」
謝るロザリアの言葉を遮り、ゼフェルはロザリアの肩を掴んだ。
「え?」
「このままで席、替われるか?」
「ええっ?」
「ちっ、よりによってあいつに見られるたあ……」
ピンときてロザリアも、操作パネルを使って下方を見る。そこには見慣れた人影が映っている。
ジュリアス。
「……いいえ」ロザリアはゼフェルを見据えると首を横に振った。「先手を取ります。参りましょう」
「な、何を言ってんだ、おめーっ!」
狼狽したゼフェルが半ば叫ぶようにして声を上げたが、ロザリアは頓着せず引き返す。
黄金色の髪が風に流れている。
後部座席から見たのは十五のとき。そして運転席から見たのは……十六歳。
近づくにつれてジュリアスが険しい表情で立っているのがよくわかる。けれどロザリアは心の中で笑う−−嗤う。十六歳のあの夏のときよりはずっとまし。あの、すさまじい激昂ぶりと比べればずっと。
こちらを厳しい目つきで見ていたジュリアスの表情が、エア・カーが地表に近づくにつれ、少しだけ動いたことをロザリアは認識する。そしてロザリア自身もジュリアスに向かってエア・カーを減速させ、やがて道を撫でるように着地した。
横でゼフェルが小さく口笛を吹く。目でゼフェルなりの賛辞に挨拶するとロザリアは、正面から近づくジュリアスを見つめた。
作品名:あなたと会える、八月に。 作家名:飛空都市の八月