あなたと会える、八月に。
◆33
その瞬間は異様に静かだった。
守護聖たちへの指示は止まり、アンジェリークがゆっくりと顔を上げる。それは、全ての星についての力の望みの確認とその供給が終わったことを意味していた。
それが感覚的にか、女王のサクリアがそうさせたのか−−星の間の隅ですっかり弱ってしまっていた躰を、ディアに支えられつつ起こして、女王がアンジェリークを見た。
言葉は発せられることなく、まるでどこか遠くの場所で二人は会話をしているようだった。その時間が長いのか短いのか−−それ以前に、今はこうしてここに集まってきてからどのくらいの時が流れたのか−−それすらわからなくなっていた守護聖たちは、じっと二人の様子を見守るしかなかった。
やがて女王がディアの腕に寄りかかったまま崩れるように倒れ、アンジェリークもまた膝をつきかけたところで、両脇にいたジュリアスとクラヴィスが腕を掴み、どうにか持ちこたえた。
「……終わったようです」
絞り出すようにそう宣したのは、駆け寄ったルヴァやオリヴィエと共に女王の躰を支えたディアだった。
思わずジュリアスが、腕を掴んだままのアンジェリークを見る。アンジェリークは微かに笑みを浮かべ、こくりと頷いた。
その後の宮殿内は一気に興奮の坩堝<るつぼ>と化した。ずっと張り詰めた空気の中、星の間を見守っていた女官や文官、近衛兵たちはもちろんのこと、王立研究院でもデータ類で状況の激変ぶりが如実に表れ、宇宙自体の移行が研究員たち自身にもはっきりと認識できるようになったことでますます騒ぎは大きくなった。
そして誰もが新女王の誕生に狂喜した。
守護聖たちもようやく宇宙の移行が無事完了した喜びを実感しつつあった。だが、まだ手放しで喜ぶべきではないとジュリアスが言うと、誰も否定せず頷いた。
そこで彼らはしばらく、交替で星の間にいることとなった。互いを見回せば、あまりの顔色の悪さに軽口すら交わせない状態だったからだ。
その最たる者はアンジェリークだった。
だがアンジェリークは星の間から離れることを嫌がったため、呼ばれた女官たちは隣室の控えの間へ彼女を休ませるための用意を始めた。
無論ジュリアスも首座として、ずっと休まず詰めるつもりだったのだが、どうしても気になることがあった。
「クラヴィス、すまないが」
ジュリアスは横にいるクラヴィスを見た。
「……ロザリアか」
閉じていた目をうっすらと開いてクラヴィスが言う。ジュリアスは頷いた。
「確認してくる」
ちらりとジュリアスを一瞥するとクラヴィスは、それ以上は何も言わないまま再び目を閉じた。
「すぐ戻る」
そう言うとジュリアスは、星の間の扉へと向かった。
確認、か。
以前やったように、通信装置を使ってあの研究員に連絡すれば、新宇宙−−今となってはもう我らが宇宙というべきか−−にある星の二つの大陸のことや、ずっと視察を続けてきたロザリアの様子を確認できる。だが大切なそれらのことと同じく……いや、ある意味それ以上に大切な確認事項があった。それは、いざ宇宙の移行が済み、まだ正式な詔はないにしろ事実上アンジェリークが新女王として即位することが間違いない今の状況での、ロザリアの進退だった。これだけは、機器と他人を通して行いたくはなかった。
女王補佐官になって、今のディア同様、新女王アンジェリークを支えてくれれば、と思う。
けれど−−
星の間を出るとジュリアスは、首座として少しでも早く宮殿へ戻るべく急いで行こうとしてふと目眩<めまい>に似たものを感じた。ずっと星の間の中で籠もっていたのに、一気に躰を動かそうとした無理が祟ったらしい。思わず壁に手を当て、どうにか屈み込むような事態にはならずに済んだ。
そのとたん、腕を掴まれた。
「来いよ」
そう言って、掴んだ腕をぐいと引っ張ったのはゼフェルだった。
「同じ宇宙になったんだ、こっちの方が絶対速い」宮殿の外へ出るとゼフェルはジュリアスに言った。「次元回廊の復旧なんて待っててもキリねぇし、ましてや宇宙船なんて用立ててたら時間ばかり喰っちまう」
「だがゼフェル、これは」
ゼフェルの言うことはもっともだし、彼の手が示すエア・カーは確かに空を飛ぶことはできるが、いくら同じ宇宙になったとはいえ、とりあえず飛空都市は主星とは別の星にあるのに、と思ったところでゼフェルが挑戦的な目でジュリアスを見た。
「あんた、オレを誰だと思ってんだ?」
ゼフェルは先に休憩することになっていた。そこで、乗ってきたエア・カーで気晴らしがてら少し空を飛びたいと思いついたとき、ふと心によぎるものがあった。
ロザリア……あいつ、どうすんだ?
思い出す。
ロザリアのエア・カー運転はなかなか堂には入っていた。とくにあのスムーズな加速っぷりは小気味良かった。
同じ宇宙に存在するようになった飛空都市へ、久しぶりに顔を出しても良いなと思ったそのとき、ジュリアスがクラヴィスに何か呟いているのを見た。「ロザリアか」と言っているクラヴィスの、低い声が聞こえた−−
ふーん……ジュリアスも行くつもりらしいな。
もっとも、ジュリアスが行くとなればそれは正式な回答−−これからどうするのか−−を得るためだろう。
その前に、オレはとっととエア・カーで。何ならロザリアにもちょっとぐらい、気晴らしさせてやってもいいし。
そう思い、先に星の間を出たジュリアスを見届けてから……と思ったところで、ジュリアスがふらついたのを見てしまった。
ちっ、相変わらず無理しやがって。
ゼフェルはジュリアスに対し、引け目がある。そのことについてすでに詫びは入れたから、もう忘れてしまってもいいと思ったが、そうそう割り切れるものでもなかった。
でももう、これでチャラだ。
ジュリアスを乗せたエア・カーは、多少の距離であれば宇宙空間をも飛べるよう改造してあった。それに納得し、ゼフェルの機転に礼を述べたジュリアスに、ゼフェルは少々得意げな気持ちになった。
車中ではしかし、エア・カー絡みのこと以外、話はしなかった。ましてやロザリアのことは一切口にしなかった。ジュリアスには考えるところはあるようだったが、ロザリアの口から出た言葉が真実だとゼフェルは思っていた。
作品名:あなたと会える、八月に。 作家名:飛空都市の八月