今年の冬とグレイシアⅠ
凍えるような、教室の寒さの中だった。そっと、僕は目を開ける。隣の席の菫(スミレ)のことを見る。
一瞬、息を飲む。
そう、目の前には、僕の親友がいた。
変わり果てた姿で。
僕は、口にしようかためらう。
菫は、僕が迷っているのに気づいて、少し微笑んだ。僕は、菫の変わってしまった顔も、その笑顔ですぐに好きになってしまった。
「ねえ、私が何か教えてよ」
菫が、話しかけてくる。僕は、一瞬言葉に詰まる。
「えっと、菫は――うん、グレイシア、かな」
「じゃあ同じだね」
僕も、グレイシア――?
僕は、息を潜めた。
菫は、こんな僕の驚いた姿を眺めて、またくすくす、と笑う。僕って、そんなにおかしいかな……。
「おんなじだね」
「う、うん」
菫が顔を揺らす度に、蒼い艶のある体毛が動く。
「冬らしく、グレイシアでよかったね」
「うん」
菫が会話を積極的に振ってくれているのはわかったが、僕はさっきから、うん、としか答えられていない。菫と一緒にいると、僕のボギャブラリーは半分以下になってしまう。不思議なものだ。
菫は、鞄からハンドミラーを取り出して、自分の姿を見る。
「へえ……こんななんだ」
「えっと……かわいいよ」
「ありがとう、冬樹くん」
僕が真っ赤になってしまったのは言うまでもないだろう。
「冬樹くんも、かわいいよ」
「あ、ありがとう」
そ、そんなにかわいいかな? 僕って。
菫は、ハンドミラーを眺めながら毛並みを整えている。薄く深い蒼(アオ)に染まった体毛は、彼女の体表を余すところなく綺麗に覆っている。目は、薄い紫を帯びた水色に染まっている。また、ひたいについているダイヤ型の透明な結晶は、光を反射して七色に輝いている。
僕が彼女に見とれているのを察した彼女自身は、こっちを見ると、クスッと笑って僕にハンドミラーをそっと差し出した。
「冬樹くんも、自分のことを見てみたら? 私そっくりだよ」
きっと、彼女は僕がジロジロ見ていたことはわかっているのだろう。それで、僕に何かを伝えたいのだ。僕はそんな深読みをしながら、彼女のハンドミラーの柄の端を指先で摘まむようにして、そっとつかんだ。そして、恐る恐る持ち直してから、鏡の表面を覗き込む。
その中には、彼女と同じ姿の僕がいた。
毛は彼女よりも細くて柔らかい感じだった。頭の水晶は彼女より固そうだ。そして一番の違いは、僕の目の色が透明に近かったことだ。
よく見てみると、右目はわずかに金色を帯びているが、左目はうっすらと水色を帯びていることがわかる。左右で、色が違っていた。
彼女が、横から僕の顔を覗きこんで言った。
「オッドアイになったんだ」
「あ、うん、今気づいた」
「私も今まで気づかなかった」
「なんか……変じゃない?」
「そんなことないよ、かっこいい」
「そうかなあ、中二臭いけどなぁ」
今度は彼女にかっこいいと言われて、また真っ赤に照れてしまう僕だった。
@ @ @
十二月十七日正午。この時から、十七歳の少年少女は、一週間と半日だけポケモンになる。
いつからこんな不思議なことが起こり始めたのかはわかっていない。ただひとつ、大昔からずっと起こり続けているということだけはわかっていた。
多くの科学者や哲学者はこの問題に挑んだが、何一つの成果もあげられずにいる。多くの優秀な人材を消していった、恐ろしい力を持つ問題だった。
僕らは、一緒に家に帰るために廊下に出た。
すると、ちょうど担任である高石先生が僕に声をかけてきた。
「おう冬樹、どうだ今の気分は」
「えっと、ちょっと恥ずかしいです」
「まてまてお前――こんな体験一生に一回しか経験できないんだぜ? それも、たった一週間。楽しまなきゃもったいないぞ」
「それもそうですね……先生」
「お前はグレイシアか、何? 彼女の菫と同じで嬉しいか?」
「そっ、そそそれは嬉しいですけど……」
僕はまた下を向きながら顔を赤らめていた。
「それに、お前ポケモンだろう」「それは、まあ」
「だったら裸でいろよ」
「えっ、いや、でもみんなの前で裸になるなんて……それに誰も服脱いでませんし」
「ポケモンが服を着ていること自体おかしいだろ?」
「そもそも、裸でいていいのって骨格が変化する二日目以降ですよね、先生」
横から菫が口を挟む。
「あっ、ばれたか」
「ばれたかじゃないですよ、先生」
僕はつっこんだ。
僕らは、今は完全なポケモンではなく、『ポケ獣人』に近い状態にある。そして二日目の朝には、完全なポケモンになっているのだ。これも、神様が決めたことだから、どうしてかはわからない。
僕たちは、廊下を進んでいたら、同じく幼なじみである西川とすれ違った。ポケモンになっても、ゴツい体型の西川はすぐにわかった。ゴーリキーになっていたからだ。あと、ポケモン同士だと、お互いの顔の違いが不思議とわかった。
「オッス、及川」
西川とは、幼稚園の頃から名字で呼びあっていた。だから、高校でもそのままだった。
及川というのは、僕の名字だ。
「西川はゴーリキーか」
「何? お前は彼女とおんなじグレイシアってか? おいー」
西川は笑いながら僕を突っつく。
「うるさいなぁ」
「なーに、本当はうれしいくせに」
「ああんもうっ!」
「それじゃ、俺急いでるから!」
「おいっ」
「じゃあねー」
僕と彼女は、ハイテンションな西川を見送った。
@ @ @
僕は、彼女と一緒に昇降口までやってきた。
「うぅ……外も寒いね、冬樹くん」
「というか、雪降ってない?」
「最近地球が寒冷化してるって聞くからね」
「グレイシアになっても、寒いものは寒いんだね……菫も寒い?」
「うん、もっと厚着したい」
「菫は私服の方が似合ってるからね」
「ありがとう」
「いやいや、いつも可愛いから……」
菫はそれを聞いて、無垢な笑顔を返してくれた。僕はやっぱり照れていた。
「冬樹くんの、そのマフラーもおしゃれでいいね」
「あ、ありがとう、菫のマフラーも似合ってる」
「そう、良かった。嬉しい」
僕が何かを言う度に、菫は微笑みを返してくれる。僕も、それに応えようといつも必死だ。
僕たちは、外に歩み出す。うっすらと、白い層が地面を覆っている。
「寒いね、大事なことだからもう一回」
「冬だからね、早く春が来るといいや」
「冬樹くんは、名前は冬なのに、春が好きなんだ」
「それ去年も言ってた」
「あ、そうだっけ」
彼女はてへぺろ、の動作をした。僕には可愛すぎて直視できなかった。
「東京だと、雪はめったに降らないんでしょ?」
「えっと、一冬に数回ぐらいかな、おそらく。僕が東京にいた頃はそうだったけど」
「こっちは寒くて大変でしょ?」
「盆地だから、夏でも東京より暑いし、冬は比べ物にならないぐらい寒いよ」
「そうなんだー、私も東京に住みたいな」
「あ、あんまりオススメしない。ゴミゴミしてて息苦しいよ……」
「そうかな、私都会って好きだよ。ビルとかが建ってるのって、本当に綺麗」
「こっちは星空がきれいだよ」
「星空なんて飽きちゃうよ。見てても全然動かないし」
一瞬、息を飲む。
そう、目の前には、僕の親友がいた。
変わり果てた姿で。
僕は、口にしようかためらう。
菫は、僕が迷っているのに気づいて、少し微笑んだ。僕は、菫の変わってしまった顔も、その笑顔ですぐに好きになってしまった。
「ねえ、私が何か教えてよ」
菫が、話しかけてくる。僕は、一瞬言葉に詰まる。
「えっと、菫は――うん、グレイシア、かな」
「じゃあ同じだね」
僕も、グレイシア――?
僕は、息を潜めた。
菫は、こんな僕の驚いた姿を眺めて、またくすくす、と笑う。僕って、そんなにおかしいかな……。
「おんなじだね」
「う、うん」
菫が顔を揺らす度に、蒼い艶のある体毛が動く。
「冬らしく、グレイシアでよかったね」
「うん」
菫が会話を積極的に振ってくれているのはわかったが、僕はさっきから、うん、としか答えられていない。菫と一緒にいると、僕のボギャブラリーは半分以下になってしまう。不思議なものだ。
菫は、鞄からハンドミラーを取り出して、自分の姿を見る。
「へえ……こんななんだ」
「えっと……かわいいよ」
「ありがとう、冬樹くん」
僕が真っ赤になってしまったのは言うまでもないだろう。
「冬樹くんも、かわいいよ」
「あ、ありがとう」
そ、そんなにかわいいかな? 僕って。
菫は、ハンドミラーを眺めながら毛並みを整えている。薄く深い蒼(アオ)に染まった体毛は、彼女の体表を余すところなく綺麗に覆っている。目は、薄い紫を帯びた水色に染まっている。また、ひたいについているダイヤ型の透明な結晶は、光を反射して七色に輝いている。
僕が彼女に見とれているのを察した彼女自身は、こっちを見ると、クスッと笑って僕にハンドミラーをそっと差し出した。
「冬樹くんも、自分のことを見てみたら? 私そっくりだよ」
きっと、彼女は僕がジロジロ見ていたことはわかっているのだろう。それで、僕に何かを伝えたいのだ。僕はそんな深読みをしながら、彼女のハンドミラーの柄の端を指先で摘まむようにして、そっとつかんだ。そして、恐る恐る持ち直してから、鏡の表面を覗き込む。
その中には、彼女と同じ姿の僕がいた。
毛は彼女よりも細くて柔らかい感じだった。頭の水晶は彼女より固そうだ。そして一番の違いは、僕の目の色が透明に近かったことだ。
よく見てみると、右目はわずかに金色を帯びているが、左目はうっすらと水色を帯びていることがわかる。左右で、色が違っていた。
彼女が、横から僕の顔を覗きこんで言った。
「オッドアイになったんだ」
「あ、うん、今気づいた」
「私も今まで気づかなかった」
「なんか……変じゃない?」
「そんなことないよ、かっこいい」
「そうかなあ、中二臭いけどなぁ」
今度は彼女にかっこいいと言われて、また真っ赤に照れてしまう僕だった。
@ @ @
十二月十七日正午。この時から、十七歳の少年少女は、一週間と半日だけポケモンになる。
いつからこんな不思議なことが起こり始めたのかはわかっていない。ただひとつ、大昔からずっと起こり続けているということだけはわかっていた。
多くの科学者や哲学者はこの問題に挑んだが、何一つの成果もあげられずにいる。多くの優秀な人材を消していった、恐ろしい力を持つ問題だった。
僕らは、一緒に家に帰るために廊下に出た。
すると、ちょうど担任である高石先生が僕に声をかけてきた。
「おう冬樹、どうだ今の気分は」
「えっと、ちょっと恥ずかしいです」
「まてまてお前――こんな体験一生に一回しか経験できないんだぜ? それも、たった一週間。楽しまなきゃもったいないぞ」
「それもそうですね……先生」
「お前はグレイシアか、何? 彼女の菫と同じで嬉しいか?」
「そっ、そそそれは嬉しいですけど……」
僕はまた下を向きながら顔を赤らめていた。
「それに、お前ポケモンだろう」「それは、まあ」
「だったら裸でいろよ」
「えっ、いや、でもみんなの前で裸になるなんて……それに誰も服脱いでませんし」
「ポケモンが服を着ていること自体おかしいだろ?」
「そもそも、裸でいていいのって骨格が変化する二日目以降ですよね、先生」
横から菫が口を挟む。
「あっ、ばれたか」
「ばれたかじゃないですよ、先生」
僕はつっこんだ。
僕らは、今は完全なポケモンではなく、『ポケ獣人』に近い状態にある。そして二日目の朝には、完全なポケモンになっているのだ。これも、神様が決めたことだから、どうしてかはわからない。
僕たちは、廊下を進んでいたら、同じく幼なじみである西川とすれ違った。ポケモンになっても、ゴツい体型の西川はすぐにわかった。ゴーリキーになっていたからだ。あと、ポケモン同士だと、お互いの顔の違いが不思議とわかった。
「オッス、及川」
西川とは、幼稚園の頃から名字で呼びあっていた。だから、高校でもそのままだった。
及川というのは、僕の名字だ。
「西川はゴーリキーか」
「何? お前は彼女とおんなじグレイシアってか? おいー」
西川は笑いながら僕を突っつく。
「うるさいなぁ」
「なーに、本当はうれしいくせに」
「ああんもうっ!」
「それじゃ、俺急いでるから!」
「おいっ」
「じゃあねー」
僕と彼女は、ハイテンションな西川を見送った。
@ @ @
僕は、彼女と一緒に昇降口までやってきた。
「うぅ……外も寒いね、冬樹くん」
「というか、雪降ってない?」
「最近地球が寒冷化してるって聞くからね」
「グレイシアになっても、寒いものは寒いんだね……菫も寒い?」
「うん、もっと厚着したい」
「菫は私服の方が似合ってるからね」
「ありがとう」
「いやいや、いつも可愛いから……」
菫はそれを聞いて、無垢な笑顔を返してくれた。僕はやっぱり照れていた。
「冬樹くんの、そのマフラーもおしゃれでいいね」
「あ、ありがとう、菫のマフラーも似合ってる」
「そう、良かった。嬉しい」
僕が何かを言う度に、菫は微笑みを返してくれる。僕も、それに応えようといつも必死だ。
僕たちは、外に歩み出す。うっすらと、白い層が地面を覆っている。
「寒いね、大事なことだからもう一回」
「冬だからね、早く春が来るといいや」
「冬樹くんは、名前は冬なのに、春が好きなんだ」
「それ去年も言ってた」
「あ、そうだっけ」
彼女はてへぺろ、の動作をした。僕には可愛すぎて直視できなかった。
「東京だと、雪はめったに降らないんでしょ?」
「えっと、一冬に数回ぐらいかな、おそらく。僕が東京にいた頃はそうだったけど」
「こっちは寒くて大変でしょ?」
「盆地だから、夏でも東京より暑いし、冬は比べ物にならないぐらい寒いよ」
「そうなんだー、私も東京に住みたいな」
「あ、あんまりオススメしない。ゴミゴミしてて息苦しいよ……」
「そうかな、私都会って好きだよ。ビルとかが建ってるのって、本当に綺麗」
「こっちは星空がきれいだよ」
「星空なんて飽きちゃうよ。見てても全然動かないし」
作品名:今年の冬とグレイシアⅠ 作家名:響音カゲ