瀬戸内小話3
外つ海
夢を見ているのだと、おぼろげに思う。
「おい、こっちだ」
幼子のように手を引かれ、大きな背に連れられて歩く。
海岸沿いの岩肌を、転ばぬように気をつけながら。
ただ、あまりに前を行く男の歩みが大きすぎて、息が切れる。
と、いきなり身体が浮遊する。
「しっかり捕まっていろよ」
突然、視界が高くなる。男の肩に乗った我は、不安定な身体を支えるように、白い髪を掴む。
「心配するなって。落とさない」
言葉通り、大きな掌が背を支える。
数拍後、岩場を登りきった視界には、穏やかな瀬戸内とは違う海が広がっていた。
まだ夜も明けぬ刻に目が覚めた。
初めて訪れた土佐岡豊城。慣れぬ地ということもあるが、なによりも外つ海を見た昨日の興奮が身のうちに根付いて、らしくもない夢まで見たらしい。
遠くに島を望む瀬戸内と違う、荒々しくも広い海。外つ国へ繋がる海だと、船を操る男が教えてくれた。
「瀬戸内と違い、小島も少ねぇ。ここで船を壊しちまったら、浜にたどり着けなければ死んじまうな」
からりと笑う男の笑みは、狭い瀬戸内には不似合いに思えた。
外へと向く土佐を拠点とするにふさわしい、王の笑みだ。
「この厳しい船の作りはその為か」
「ああ。そっちの水軍とはちょっと違うな」
こっちは略奪専用だしな。物騒なことを呟いて、また笑う。
もっとも、毛利水軍とて、元を辿れば土着の海賊。物騒なのは、お互い様であろう。
「しかし、こう大きいと小回りが利かんな」
「瀬戸内じや、それでちっと苦労する」
小島の多い内海を行き来する船と、広い海を走る船と。なるほど、やはり不得手があって当然か。
「……おい、あんた今、どうやって俺の軍を破ろうか考えてただろ?」
少しばかり思考に耽っていると、鬼が笑って邪魔をする。
「分かっているのならば、黙れ」
常に、自軍についても他軍についても、どう動くが最良か考えるのが王将の務め。何かにつけ、策を巡らすのは既に習いだ。
「だったら、もっと面白いものを見せてやるよ」
「……貴様は警戒という言葉を知らんのか?」
さっさと歩き出す男の背に、息を吐く。今は同盟国として互いに手を取っていても、明日には裏切るかもしれない。ゆめゆめ油断するな、とは同盟時に告げた筈なのに。
男は分かったと応えた口で、次々と手の内を晒す。はじめのうちは、何の自信かと腹ただしくもあったが、今となってはただの阿呆だと息を吐く。腹芸がまったく出来ない訳ではなかろうが、身の内に入った者に対しては、甘くなる。それがこの鬼の習いらしい。
「あんたは、俺が負けない限り裏切りゃしねぇよ」
また、からりと笑う。
「そうだろう、西の大将?」
男の言葉に素直に頷くのは、いつまで経っても腹ただしい。しかし、実際のところその通りで。
寝返りを打つと、すぐ傍の白い髪が肌に触れる。
本当に、憎らしいくらい懐の大きな男だ。憎らしくて寝首を掻こうと思ったことは、一度や二度ではない。その度に、そんな己の感情で四国とことを構えるのは得策ではないと、いつも舌打ちする。
だが、ほんの少し分かった気がする。
あの広い外つ海を見て育てば、大らかになるのは仕方ない。土佐の国も民も、皆、そんな空気を持っている。四方に敵を持っていた毛利とは大違いだ。
「……だが、憎らしいことに変りない」
寝息を立てる男の鼻を摘むと、捻り上げる。蛙を潰したような呻き声にほんの少し気をよくすると、目を閉じる。
日輪が上るまでの数刻、また外つ海の夢を見よう。そう、念じて。