瀬戸内小話3
厳島の秘宝
その便りは、双方が行き詰まったときにやって来た。
「こんなの罠ですぜ、アニキ!」
「そうですよ。相手は知略に長けた毛利ですぜ」
毛利から届いた和睦の便りにどうしたものかと家臣らに問えば、案の定の答えが返ってくる。
まるで当人の気質を表したような、几帳面な跡による文。これが毛利軍から届けられたときは、当然、元親も策略のひとつと鼻で笑ったものだ。
「だがな。こいつには『宝はやらん』ってあるんだぜ? 普通、オレを誘き出すなら『宝はくれてやる』じゃないのか?」
――厳島の秘宝はこの地の宝なり。海賊風情にくれてやるわけにはいかぬが、見せてやるには吝かではない。夕刻、申の刻までに厳島に来られよ。
そう、書かれた書状を手に肩を竦める。
相手は、人の命を命と思わぬ、鬼以上の鬼。なのに行く気になっているのは、この文面の素直さ故だ。
それでも反対する家臣たちを宥め、兵士らを従え船を出す。
毛利軍も無論兵装は解いていない。物々しい空気が流れる中、元親は厳島へと上陸した。
「こちらでございます」
毛利の家人が先導した先は、厳島神社。ここは神がおわす島として、古くから祭られていた場所でもある。
元就がこの神社の社殿を修復させたのはつい最近と聞く。
海の上に張り出た社を進むと、穏やかな瀬戸内を望む場に、元就は座していた。
「よぉ、お招きに預かったぜ」
「よく来たな、鬼よ……」
既に酒杯を傾けている元就は、つまらなさそうに応える。
「つか、アンタ。もう酒かよ。オレたちとこれから一戦交えるかもしれないってのに、余裕だな」
「そなたが鬼でなく、人としての心があるのであれば、そうはなるまい」
微かに鼻で笑って、空の杯を投げて寄越す。
遠巻きに控えていた小姓が、慌てて近寄って酒を取ると酌をする。
「……オレはここに、酒を飲みに来たわけじゃないぜ?」
「暫し待て。すぐに、そなたが欲したものが現れる」
毒見をすると言う小姓に、構わないと手を振ってやる。こんな大層な場所にまで上げて毒殺するほど、この毛利の殿様は汚くない。
日輪の申し子というならば、神の御前で悪行はすまい。
「…………厳島の秘宝は、物形ではない」
白湯のように酒を舐め、元就は零す。
「どういうことだ?」
「見よ。日輪が沈んで行く」
白い指先が指し示す先には、夕日に染まった水面と、そこに浮かび上がる雄大な鳥居の影。
波の音しかないこの地で、人の生き死にを越えた処で、いつまでも人の世を見守りつづける神々の社。
荘厳な、触れてはならないその景色。
「……美しいな」
くいと杯を傾け、手酌で酒を満たす。
元就は応えない。静かに、彼もまた杯を傾ける。
そうして二人、夕日が沈むまで酒を酌み交わす。
日も暮れ、小姓らが灯りを点すため足音を忍ばせて走り回る。
「厳島の秘宝、馳走になった」
それを契機に、元親は杯を置く。
「……また、拝謁に来てもいいか? あいつらにも見せてやりたい」
それに、隠すことなく柳眉を曲げて、島の主は息を吐いた。
「我は騒がしいのは好まぬ。だが、浜でならば」
「ありがてぇ。そのときは、オレの自慢の酒を持参しよう」
笑って社を去る鬼の後姿。それに、また知れず息を吐く。
「……それは、楽しみである」