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決意は揺れて 3

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 黄瀬涼太との熱愛が噂されているのは、黄瀬がサブキャラクターとして連続ドラマで競演した若手女優らしい。か弱そうなイメージで守ってあげたい女性らしい。ただし、女性受けはしないタイプと話されていたが。
 会社に着くと噂好きの女性たちがわいわいと話し込んでいたのを聞いた。思わず、口を挟んでしま移送になったのを、よく自分でこらえたと思う。
 そして、その日は必要以上にスマートフォンの着信を気にしていた。しかし、ため息を漏らすだけの結果となる。
 過去に何度か黄瀬の熱愛報道があった。最初は、動揺することもなく、有名になったもんだと感心するだけだった。その頃はまだテレビに出始めた頃で、まだ幼いまま黄瀬を信じていた頃だったので、何の感情も揺らぐこともなかった。休みの日を一番に優先してくれているのはわかっていたし、嘘をつくのも苦手だってわかっていたから。そして、その当日に、あれは違うんです、と泣きながら電話してきた恋人を思い出す。
 しかし、今回はどうだ。
 連絡は一向に来る気はない。今までは怪しいと言っていたコメンテーターは今度こそ本気だといい、相手の事務所は明言を避けている。情報番組の騒ぎようは今までに見たことがないほど。
 それよりも笠松の不安を煽ったのは、写真を撮られたという日だ。その日は、黄瀬と久しぶりに電話が出来た、移動があるからと電話を切ることになった日。急いでいたのは、その若手女優と会うため出なかったのだろうか。最近、黄瀬が忙しくてあまり会えなかったのも、もしかすると仕事でないときがあったのかもしれない。
 今まで感じたことのない不安が笠松を襲う。
 真っ暗で誰もいない部屋で膝を抱え込む。帰ってきてから何もする気が起きず、食欲もなかった。自分の意思とは裏腹にいろいろなものがこみ上げてくる。
「っ……ぅっ………」
 零れる涙と嗚咽を堪えるのに必死だった。
 長期の撮影で連絡が取れないのは仕方がない。本人ですら気づいていない可能性だってある。そう言い聞かせても、連絡がないことにとどまることのない不安に襲われる。


 妊娠が発覚してから二度目の検査を済ませた。予定外の出費が痛かったなどと他人事のように思っていた。医者からそろそろ悪阻が出てくるから気をつけて、などといわれて何を気をつけろというのだ。安定していないからと、まだ母子手帳ですら交付されてもいないのに妊娠したなんて信じられなかった。
 パートナーには伝えたのかと聞かれれば、相手が出張でまだ話せていないと言うしかなかった。嘘は言っていないが、いつかそのことを伝えられるのか不安になる。
 いっそのこと、生まないほうがいいのかもしれない。
 黄瀬には別の彼女がいて、それなのに自分が妊娠しては、彼の人生ですら潰してしまうことになりかねない。もし、おろせといわれれば、間違いなくショックを受ける。そうでなくても、責任を取って結婚するなど言われても、ただただ罪悪感にさいなまれるのはわかっていた。
 それとも、姿を消すか。
 好きな人との子供なのだから、生みたくないわけではない。出来れば思い出ごと大切にしたい。しかし、果たしてそれが許されるのか。
 どこかでご飯を食べようと思っても、食欲は一向に沸いてくる気配はない。大人しく帰ることを決意した笠松が会計を済ませたときだった。
「お久しぶりです、笠松さん」
「うぉっ!?」
 急に湧いてきた声に驚き、へんな声を上げてしまう。
「ああ、驚かせてしまってすみません」
 まさかこんなところでお会いするとは。華奢で、今にも消え入りそうな少女が一人立っていた。少女と表現するには御幣のある年齢だが、見た目だけは十代に見える彼女は感情が読みにくい。それでも、口元をほころばせていたのだから、会ったことは不快でなかったのだろう。
「あ、ああ。……てか、黒子は何でここに?」
 そんなこと、聞かなくてもわかっているじゃないか、なんて自分の状況を重ねる。
「やっぱ、子供……」
 彼女は恋人の元同級生。黒子にパートナーがいることはもちろん知っている。黄瀬もよく話していたし、大学を卒業したタイミングでそろそろ考えているという話だって聞いた。
 一瞬、黒子はきょとんとした顔をして、くすくすと笑う。
「違いますよ。生理が重いので、薬を処方してもらっているだけです」
「くすり……」
 呟いて、大学時代に旧友からそういったものがあると聞いたことを思い出した。その瞬間、笠松の顔が一気に赤くなる。
「そ、そうだよな。お、重いと大変だもんな!」
 何を勘違いしているんだ、恥ずかしい。
 必死で勘違いをごまかす言葉を探すが、見つからない。コートの上なら冷静でいられるのに、こういったときは上手くいかない。
「笠松さんは……そうですね、良かったらお昼をご一緒しませんか? 十分程度待っていただければ私の用事は済みますので」
「いや、その」
「せっかく、久しぶりに会えたのでお話でもと思ったのですが……」
 ダメでしょうか。小首を傾げて問われれば、笠松に断る術はなかった。

 黒子が選んだのは意外にも、若い女性が好みそうな小洒落たカフェだった。マジバが大好きでいつもバニラシェイクを飲んでいた印象だったが、少しは落ち着いて食べ物の趣味も変わっていったのだろう。
 黒子の頼んだランチセットを同じように頼む。食後の飲み物も聞かれて、あ、と言葉を漏らす。
「あ、私は……」
「笠松さん、ここのオススメはハーブティーとオレンジジュースなんです」
 自然食がコンセプトとあって美味しいですよ。
 黒子は笠松の言葉をさえぎって、先に聞いたこともないハーブティーの名前を挙げた。一方、笠松はよくわからない飲み物よりも、とオレンジジュースを頼む。勧められた手前、断るのは失礼だとそのまま頼んでしまった。
 食事が来る前までは、黒子の近況を聞いていた。仕事のこと、食生活のこと、恋人のこと。不安定な仕事や小食っぷり、しょっちゅうケンカしているなど聞いていて心配になることはあるものの、持ち前の芯の強さで渡り歩いているようで笠松は安心した。
「笠松さんは、どうですか」
 プレートランチが届いたときに、黒子が話を振ってきて思わず固まる。
 精一杯、搾り出せた言葉は可もなく不可もないような解答で、上手く話を広げてくれる黒子に感謝をする。黄瀬のことは匂わせないように、他の日常の話で乗り切った。食後の飲み物が届くまでは。
 差し出された100%のオレンジジュースは、思ったよりも糖度が高くて美味しかった。黒子も、湯気の立つハーブティーを一口飲むと、優しく微笑んだ。
「それで、何週目なんですか?」
 目の前の黒子の表情と向けられた言葉の衝撃のギャップに、ドク、と心臓が強く打つのを感じた。
「え、あ」
「悪阻もひどくなさそうで安心しました。黄瀬くんも、聞いたときは驚いたんじゃないでしょうか」
 屈託のない笑顔で言葉を続ける黒子に、心臓がキュウと縮まったように思えた。
「なんで、その、妊娠したって……」
「先ほどお会いしたときに真っ先に子供って出てきたじゃないですか。普通、自分が通っている理由を思いつくことが多いですから」
 月のものや特有の病気の検査とか。
作品名:決意は揺れて 3 作家名:すずしろ